広島に世界最初の原子爆弾が投下されて69年目の8月6日が迫ってきた。アメリカは第2次世界大戦末期、日本の敗戦が決定的であったとき、広島・長崎のなんの罪もない人人の頭上に立て続けに原爆を投げつけ、幾十万もの市民を殺りくし、街は廃虚と化した。原子雲の下でくり広げられた地獄図を、決して消し去ることはできない。アメリカがこの蛮行を正当化して日本を新たな核戦争の盾にする戦略を打ち出し、安倍政府がこれに付き従い集団的自衛権の行使を叫ぶなかで、いまわしい体験がまざまざと蘇り新たな怒りを呼び起こしている。「アメリカは原爆投下を謝罪せよ」「広島、長崎をくり返すな」「日本の青年をアメリカの戦争にかり出すな」「アメリカは核を持って帰れ」「すべての原発の運転と建設を中止せよ」、の世論が全国を圧倒している。これを全国民的な基盤を持つ原水爆禁止・戦争反対の巨大な力へと束ね、8・6広島行動に大合流させ、全国、世界へ発信することが強く期待される。
再び核戦争の標的にする暴挙
原子爆弾は人類史上もっとも残忍な大量殺りく破壊兵器である。この兵器を人間の頭上に投げつけたのはアメリカだけであり、投げつけられたのは日本人だけである。広島、長崎に原爆を投下したアメリカの蛮行は、人類の名において許しがたい犯罪である。だが、アメリカは今もってこれを謝罪するどころか、「日本軍国主義の無謀な戦争を早く終わらせるために必要であった。これで多くの生命を救うことができた」というペテンをもてあそび、戦後一貫して核兵器の独占と核恫喝によって世界を威圧し、いたるところで戦争をひき起こしてきた。
オバマ政府は、4月のNPT(核拡散防止条約)準備会議では「核兵器廃絶」を口にする一方でNPTの批准を拒否している。それは他国の核開発には脅しをかける一方で、みずからは5000発もの核弾頭を保有し、「核の先制使用」を公言して臨界前核実験や最新鋭の核ミサイルなど「使える核兵器」の開発に拍車をかけるためである。アメリカが国際的に孤立を深め、経済的にも窮地に立つなかで打ち出した「東アジア重視戦略」は、米軍がグアムなどの「安全地帯」に退く一方で、日本全土をアメリカの国益のための核戦争の最前線基地にしてアメリカ本土を守る盾にしようとするものである。
安倍政府が、憲法の解釈を強引にねじ曲げて米軍を守るための武力行使を焦って閣議決定し、法的整備など戦時国家体制づくりに血道をあげるのは、こうしたアメリカの戦略に忠実に従うものである。安倍政府が「先制攻撃」を公言し、日本の青年をアメリカの傭兵に差し出し命を奪う行為は、そのまま日本を報復攻撃の標的にさらし、国土を原爆の廃虚にする危険性をかつてなく高めている。
他国には核兵器を持たせないが、アメリカだけは最後まで「使える核兵器」を持ち続けるという主張が、核兵器の廃絶に向かうものでないことは明らかである。世界の核兵器を廃絶するには、アメリカが真っ先に実行しなければならない。
原爆投下の蛮行 単独占領を狙った殺戮
1945(昭和20)年8月6日、アメリカは周到な計画と世界制覇の野望を持って、広島市民の頭上に原爆を投下した。人人が街頭に出て活動を始める時間帯に、人家の密集地を狙った冷酷極まる虐殺、破壊であった。年寄り、母親、子ども、中学生、女学生らをはじめ非戦斗の十数万人が、閃光一下、街頭から消え、あるいは火炎に包まれ、建物の下敷きになって息絶えた。その後数カ月のうちに多くの者が原爆症に苦しみながら死んでいった。これはその2日後に投下された長崎でも同じであった。
広島、長崎への原爆投下は決して、アメリカが偽って正当化するような理由からなされたのではなかった。当時、すでに日本の敗戦はだれの目にも明らかであり、軍事的勝敗を決するのに、原爆を投下する必要はまったくなかった。アメリカは沖縄で20万人を虐殺して占領し、制空権、制海権を完全に握り、日本の都市という都市でなんの妨げも受けずに民家を空襲し、逃げまどう人人を虫ケラのように殺してきた。南の島に武器も持たされずに送られる兵隊は、待ち伏せするアメリカの潜水艦に撃沈され、戦地ではジャングルを逃げまどい、飢えと病気で死に絶える状況であった。
天皇制支配層は、中国戦線ですでに決定的に敗北していたことから、「国体の変革」(革命)を恐れて負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突き進み、民族の利益を売り渡して延命を願う道を突き進んだ。そのために、国民の生命と安全を守るどころか、アメリカの皆殺し作戦に捧げて身の証を立てることまでやってのけた。
アメリカが原爆投下を急いだのは戦後世界制覇の野望から、ヤルタ会談にもとづき参戦するソ連を脅しつけ、天皇を頭とする日本の支配層を目下の同盟者に従えて日本を単独で占領支配するためであった。そうして、日本全土に米軍基地を張りめぐらし、「民主的改革」と称して日本社会の富をアメリカが強奪する支配構造にとって変え、日本全土を戦後のアジア侵略の拠点にするためであった。このことは、戦後の全体験が、なによりも原爆投下から69年を経た今なお、対米従属の鎖に縛られたもとで、大多数の国民が貧困と苦難を強いられ、新たな戦争の危機を引きよせる日本社会の現状がはっきりと証明している。
アメリカは日本を長期にわたって隷属させるために、サンフランシスコ講和とともに安保条約を締結させ、その後も実質的に占領状態を強いてきた。それは「民主主義」の装いで、沖縄や岩国など核兵器を配備した米軍基地を根幹に日本の自衛隊、警察、検察・裁判所、官僚機構・翼賛議会、マスメディア、御用学者などを使って抑圧支配するものであった。そのもとで日本の国家主権を奪い、日本の富を奪い尽くす占領期からつながる植民地的支配・略奪の構造が築かれてきた。
福島原発事故とその処理の顛末、汚染水をコントロールしているとウソぶき、被災者の生活や復興をサボり、ただアメリカの指図に従って原発再稼働に突っ走る安倍政府の姿は、地震列島に54基もの原子力発電所をつくらせたのは、原爆投下者とそれに隷属した売国勢力であり、第2次世界大戦における民族絶滅作戦の残虐性の延長線上にあることを暴露するものである。
今日、安倍政府がアメリカ金融資本に日本の富を差し出すための郵貯、年金、農協共済などの金融、さらには労働、医療など生活の全面にわたる規制緩和を強行し、また国内の労働者から搾りとった巨額の資金を海外に投下する財界・大企業に奉仕することで、人民を貧困のどん底に突き落としている。米軍下請の戦争への突っ走りは、国内の消費購買力を失い、拡大した海外権益の確保を求める財界の要請でもある。
アメリカは新たな核戦略のもとで、ミサイル防衛網はもとより、核攻撃用戦斗機、ステルス戦斗機、無人偵察機、原子力空母・潜水艦、イージス艦など日本への核配備を強めて、自衛隊や韓国軍とともに中国や朝鮮を挑発・威嚇する合同軍事演習をくり返し、アジアでの緊張をつくり出している。
安倍政府は尖閣問題やミサイル発射問題を騒いで、近隣諸国との対立・緊張を激化させ、アメリカの指揮の下に南西諸島に自衛隊を配備し海兵隊の役割を担わせる上陸演習を進めてきた。さらに、中東、アフリカなど地球の裏側で戦火を交えるための態勢づくりが公然と進められている。集団的自衛権行使容認の閣議決定にそった法整備、日米防衛協力指針(ガイドライン)の改定にこたえるためにやっきになっているのは、それを合法化するためである。
とくにホーネットやハリアーなど核搭載機に空中給油するKC130 15機を沖縄から移転し、厚木から五九機もの空母艦載機を移駐させ、岩国を極東最大の核出撃基地にするなど、被爆地広島湾岸一帯を核戦争の標的にしようとする屈辱的な暴挙を決して許すことはできない。
安倍政府の戦争政治 全国でわき起こる行動
集団的自衛権の行使容認に突っ走る安倍政府の戦争政治に反対し、若者を戦場に送る徴兵制の復活に反対し、政府・官僚、マスコミ、御用学者に頼るのではなく、みずからの統一した力でたたかうことによって日本社会を立て直そうという世論と行動が全国隅隅からわき起こっている。
TPPに反対する農業者、漁業者、医療従事者、文化・知識人らの運動は、東北被災地の生産を基礎にした復興をめざすたたかいと結びついて、また知識人の憲法改悪、秘密保護法など戦時国家体制づくりに反対する運動と連動して力強く発展している。原発立地、再稼働、輸出に反対する世論は、全国を圧倒している。私企業の利益のために住民の健康を脅かし町の崩壊をもたらす事業を国策として強行する下関安岡沖洋上風力発電に反対する運動が、30万市民の利益を代表し安倍代理市政に反対する下関の市民運動と連携し、医師らを先頭に広範な基盤をもって広がり、漁業補償金受け取りを拒否する祝島を先頭にした上関斗争とともに全国の期待と注目を集めている。
また、かけ算九九や漢字が読めないのに、子どもに英語を押しつけて民族的な魂を抜き、冷酷な個人主義を植え付け論理的科学的な思考をできないようにして、殺人が平気でできるような兵隊づくりにするための軍国主義教育に反対し、みんなのために団結して知徳体の全面にわたって成長させる教育運動が、父母・教師をはじめ教育関係者の熱い支持のもとに発展している。マスメディアを動員し「自由・民主・人権」を掲げた教育の国家統制をうち破る力を持って発展している。
勢いよく発展する運動は、地域共同体の結束による生産振興と結びついた運動として、植民地支配からの脱却を求め、売国政策に反対する旗印を明確にし、安保斗争のような全国的な政治斗争を求める大衆的な基盤を拡大して発展している。このような人民運動の新たなうねりを、全国民的な原水爆禁止運動に合流させることが、差し迫った課題となっている。
1950年、米軍占領下の広島で中国地方の労働者を中心に、アメリカの原爆投下の犯罪をあばいてたたかわれた8・6平和斗争は、その後全国各地で原爆展を急速に広げるなど、思想・信条、政党・政派をこえた全国民的な原水爆禁止運動の出発点となった。原爆詩人・峠三吉が活躍したこの時期の私心のない運動は、国際的な影響を広げ、広島で原水爆禁止世界大会を開催するまでに発展し、朝鮮戦争で原爆を使おうとしたアメリカを縛る力をつくった。
この十数年来、この1950年8・6斗争の原点に立ち返った「原爆と戦争展」運動が全国のすみずみに広がり、被爆者の新鮮な怒りを共有し、青少年が真剣に学び受け継ぐ運動として生命力を持って発展してきた。それは、アメリカの原爆投下に感謝し、これを擁護して、原水禁運動を内部から攪乱、分裂する役割を果たしてきた修正主義、社会民主主義の潮流が雲散消滅するのと鮮やかな対比をなしている。
「原爆と戦争展」を訪れた参観者は世代をこえて、圧倒的多数の国民が経験した第2次世界大戦の真実をありのままにいきいきと描いたパネルと、二度とあのような目にあってはならないという被爆者、戦争体験者の切実な思いに魂を揺さぶられ、ここにこそ核兵器の廃絶と戦争を阻止する力と展望があるとの確信を強めて、支援を寄せ、積極的に行動に参加している。
1950年代前半、京都大学生の綜合原爆展や沖縄の琉球大学生の原爆展などを、全国民的な熱い支持のもとに犠牲を恐れず献身的に担った人人が、「原爆と戦争展」運動に当時のような熱気と活力あふれる運動が継承されていることを見て、惜しみない協力を申し出る状況が生まれている。そこでは国民的な基盤をもって発展し、国際的に大きな影響を与えた優れた伝統を持つ日本の原水禁運動が、「ビキニ事件を契機にした杉並の主婦の運動」から始まったのではなく、1950年占領下の広島でたたかわれた運動が出発点であったことがあらためて強調されている。
また、核や戦争への恐怖を叫ぶだけの小集団の運動ではなく労働者を中心に農漁民、商工業者、青年・婦人、教師、文化人・知識人、宗教者など、広範な各界各層がそれぞれの場で共同のたたかいを発展させ、共通の敵に向けて全国的に束ねることによって、原水爆禁止、戦争阻止の巨大な力を発揮することができること、1950年代の岩国の平和教育など、当時の伝統を今こそよみがえらさなければならないとの論議が発展している。
それは原水禁運動の内部から進歩的な装いで、「反核はいいが反米になってはいけない」「広島が軍事都市だったから原爆が投下された」「おじいさん、おばあさんの世代が悪いことをしたから、原爆を落とされても仕方がなかった」などといって、被爆市民や強制的に戦地にかり出され無残に殺されていった者を「加害者」であったと攻撃し、アメリカの原爆投下の正当化・免罪を助けてきた潮流が暴露一掃されるなかで、急速な広がりを見せている。
「原水協」や「原水禁」の潮流は今では、アメリカのために犬馬の労をとる安倍晋三の行きすぎをたしなめるオバマを礼賛し、その「核廃絶」のペテンの擁護者となって被爆市民に敵対し、朝鮮や中国との対立を煽ることで戦争への道を掃き清める役割を果たしている。それは「日本軍国主義の無謀な戦争を早く終わらせて、民主主義を持ち込んだ」といって、アメリカの原爆投下に感謝した潮流の今日的帰結であり、その正体がすっかり暴露されている。
朝鮮、中国の植民地支配から中国への侵略戦争に乗り出し敗北した歴史の厳しい教訓からも、アメリカの属国となってふたたび中国と戦争したり、アジアを戦場にするのは恥ずべきことである。対米従属の鎖を断ち切り、近隣諸国との友好・連帯関係を主導的に強めることこそ民族の誇りである。各地の「原爆と戦争展」では近年、留学生など外国からの参観者がパネルへの深い共感を語り、共通の敵アメリカに対する共同のたたかいを同じパネルでやっていこうとの論議が新たな高まりを見せている。
1950年8・6斗争が切りひらいた原水爆禁止運動を継承し「原爆と戦争展」運動を全国隅隅に押しひろげ、私心なく誠心誠意奉仕する活動者を形成、拡大することが、切実に求められており、その条件はかつてなく成熟している。
8・6広島行動 原爆展軸に取組が連続
今夏、広島には全国から多くの人人が、かつてなく高い問題意識を持って現状の打開の方向と行動を求めて、学習に訪れる。そのような期待にこたえて、広島の本当の声を代表する8・6広島行動に世代をこえて広く結集し、大きな成果をあげることが期待される。毎年の広島行動は広島市民がもっとも共感と信頼を寄せる最大の平和勢力の運動として展開されてきた。八月に入って、広島では次のような行動が展開される。
第13回広島「原爆と戦争展」が7月30日(水)から8月7日(木)まで、袋町の市民交流プラザで開催される。全国的に「原爆と戦争展」パネルを使った展示活動を広げる方向で交流する機運が高まっている。5日(火)午後4時ごろから、同会場ロビーで全国各地から訪れた被爆者、平和愛好者による交流会がおこなわれる。
さらに、劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』が広島県民文化センターで、4日(月)午後1時半から、午後6時半からの昼夜2回公演で開催される。
平和公園では、7月は毎週土曜・日曜、8月は6日(水)まで毎日、青年学生が主体となった原爆展キャラバン隊による「原爆と戦争展」の街頭展示が原爆の子の像横で展開される。
8月5、6日には山口県、北九州の小中高生平和の旅が広島を訪れ行動する。5日午後1時から、平和公園で結団式をおこない被爆者から体験を学ぶ。6日午前10時から原爆の子の像の前で平和集会をおこない、原水爆禁止広島集会で構成詩を発表する。
8月4、5、6の3日間、広島市内で広島の被爆市民の本当の声を訴える複数の宣伝カーによる宣伝活動がおこなわれる。広島の本当の声を全国、海外から訪れた人人に大きくアピールする。
8月6日にはこれら一連の行動を総結集して、原水爆禁止広島集会(原水爆禁止全国実行委員会主催)が午後1時から、広島県民文化センターで開催される。集会には、戦争体験者から子どもたちまで世代をこえて参加。広島、長崎、下関の被爆者の発言をはじめ、沖縄、岩国のたたかいや青年学生の意見発表、劇団はぐるま座の詩の朗読、小中高生の構成詩などが予定されている。新しい広島アピールを採択。集会後、広島の被爆市民の声を代表し、子どもたちの詩の群読を先頭に市内をデモ行進する。