市長や政治家、市幹部職員OBの介在による私物化や恣意的な大学運営が問題視され、昨年から今年にかけて3分の1の教員が幻滅して退職していった下関市立大学では、来年3月に任期が切れる川波洋一学長の後任をめぐって理事会推薦候補として韓昌完(ハン・チャンワン)副学長の名前があがり、9月には決定されようとしている。韓教授といえば2019年6月に前田晋太郎市長が、大学の規程などを飛び越えて強引に採用した人物として当時物議を醸したが、まだ市立大学に来て2年もたっていない人物がついには学長の座に上り詰めるというのである。前田市長及び安倍派界隈の人々は、なぜこれほどまでに特定の人物に権限を集中させるのか、下関市立大学は大学としてどのような将来像を描いているのか、大学の内外で疑問の声が高まっている。一方で大学の教育環境といえば多数の教員が退職した後の補充がなされていないため、経済学の専門性が保てないだけでなく、ゼミ定員が従来の12~13人から18人に増え、少人数指導とはいえない事態にも直面している。市立大学で何が起こっているのかを描いてみた。
現在、水面下で進行しているのが学長選考だが、今回から学内の意向投票などなく、教員は学長選考会議からのメールで「理事会が韓氏を学長候補者に推薦した」事実を知らされるだけで、まったく蚊帳の外に置かれている。2019年の定款変更と規程変更で、理事会ですべて決められる仕組みをつくったためだ。
これまで学長選考の場合、「(教員の)推薦者2名以上が連署の上、推薦者1名を推薦責任者として……(学長候補)を推薦できる」としていた。ところが新しい規定では「理事会の構成員のうち、2人以上の連署によりおこなう」としている。つまり理事2名の署名がなければ候補者推薦はできない。理事を任命するのは理事長であり、現在の理事の構成を見ても、教員出身は1人もいない。
市幹部職員OBとして理事長の山村氏(江島市長時代の副市長)、副学長兼事務局長の砂原氏(元総合政策部長)の2人、それに韓副学長、川波学長、外部理事では山口銀行の取締役と元中学校の校長だった人物の6人が理事として名を連ねている。従って理事ではない教員が学長候補者を推薦することはできず、教職員による意向投票すらもなくなり、「教員は学長選びにかすりもしない」状態なのだ。
学長選考について「学長は、選考会議の選考に基づき、理事長が任命する」(定款第11条の3)とされている。そして、学長選考会議の議長は砂原雅夫副学長兼事務局長がつとめている。経営審議会から3人、教育審議会から3人で構成されるメンバーもみな、現体制に忠実な教員と韓教授が連れてきた研究チームの教員らで構成されているため、韓教授の学長就任はほぼ決定的と見られている。
専門性や客観性を重んじ、真理真実を追究する「学問の府」といわれる大学の現場で、これまでのように大学を支える全教職員の判断を仰ぐことなく、いわば身内で事が決まっていくような状況が定款変更や規定変更によって正当化され、学長選考の在り方が変貌してしまったのである。
一般の市民から見たとき、今回の人事は「市長が鳴り物入りで連れてきた教授を選挙もなく学長に据えた」と映っても仕方のないものとなっている。理事長の任命権者は市長であり、その理事長が任命した理事たちが推薦した人物を理事長が学長として任命するという仕組みのなかで、前田市長が市長室に山村理事長を呼びつけて招聘(へい)を依頼した教授が学長に就任するからである。
砂原氏が次期理事長か 市幹部OBの天下り
同時に最近になって市役所界隈で話題になっているのが、「砂原事務局長が次期理事長ポストを狙っているのではないか」というものだ。というのも、砂原氏が以前からことあるごとに、「(大学の)定款上、外国人も学長になれる」としきりに周囲に触れ回っていたことから、今回の学長選考についても「まさか」と思って注目していた関係者も少なくなかった。フタを開けてみたら韓氏を学長にするレールが敷かれていたわけで、山村氏が退任した後の「韓&砂原」コンビは現実味を帯びているのだという。韓氏を学長にするために砂原氏が安倍後援会の幹部として知られるS旅館のW氏とゴソゴソしていることも話題になっており、そうした様子を観察してきた地元事情通のなかには、「山村ではなく、これは砂原の乱だ」と評す人までいる。
前田市長及び安倍派の面々が崇め奉るように連れてきた教授の採用をやってのけ、就任早々に理事に就任させ、副学長ポストをはじめとした権限を集中させ、定款変更については議会の承認をとり付けるために貢献し、ついには学長就任までエスコートしてきた最大の功労者(執行部から見た)は「砂原以外にいない」といい、論功行賞として「理事長」ポストが与えられるのではないか? とひそひそと話題にしているのである。
市役所を退職した幹部OBの天下り先としては、下関市立大学の事務局長職も年収1000万円ごえの高給ポストではあるが、そこからさらに「渡り」で理事長ポストに収まるとなると、60歳定年を過ぎてからの余生たるや超高給取りの暮らしが補償されたようなものでもある。
現に後輩の市役所幹部職員たちのなかから「砂原さんだけいつまでも居座ってずるい」という恨み節もあがっているのも事実なのだ。パイプが目詰まりを起こし、年金満額支給まで数年の行き場がない後輩からすると、給与額がガクンと下がる再任用で耐えるのと高給ポストが与えられるのとでは天と地ほどの落差なのだ。理事長を任命するのは市長であり、最終的には前田晋太郎市長の判断に委ねられるが、その場合、市長の意向をきっちり実行した、すなわち強引なる教員採用や専攻科設置も含めて市長の思うがままの大学運営をしたことの証左となり、下関市立大学は前田晋太郎の私物なのか? という疑問にもなる。
定款変更し権限を集中 2年で教員17人退職
下関市立大学のここ1、2年の変容は著しい。直接には一昨年の2019年6月に前田晋太郎市長が一押しする教員の採用と専攻科設置をめぐって、学内で定められた手続きを経ることなく強引に決定したことから始まった。
前田晋太郎市長が当時、琉球大学に在学していた韓昌完教授とその研究チームを下関市立大学に迎え入れようと専攻科設置に向けて動き出した。通常なら専攻科設置は大学内で何年にもわたって議論を重ねて進めていくものだ。大学の将来像を描きながら、それを支えるスタッフや教員が一丸となって建設していくからで、共通の合意なり意志形成が欠かせない。ところが前田市長の意向で唐突に動きはじめ、教育研究審議会も経ずに韓教授と研究チームの女性2人の採用を決めたのだった。
経済の単科大学にいきなり教育学部の専攻科を設置するわけで、通常ならまずそれ自体があり得ない。しかし、教員人事や教育・研究内容について、教授会や教育研究審議会などを中心に、客観的な評価に基づいた厳正な選考がおこなわれてきた大学内で、突如、市長の思いつきや一存で、教員採用や専攻科設置が決まっていったのだった。
これまで市立大学では教育内容や教員採用については教授会や教育研究審議会などで論議して民主的な手法で決めてきた。そのため教員たちは、従来のやり方に反した市長の縁故採用に対して9割が反対の態度を示した。それに対して従来の定款なり規定で認められないのなら定款や規定そのものを変えてしまえと定款変更議案を自民党多数の市議会が可決し、2020年1月には韓教授を外部理事として招き、その年の4月から新たにもうけられた副学長ポストに就けた。
その後、韓教授が「経営理事」「大学院担当副学長」「相談支援センター(ハラスメント相談含む)統括責任者」「国際交流センター統括責任者」「教員人事評価委員会委員長」「教員懲戒委員会委員長」を兼任するようになった。教員の人事も教員の懲戒もすべて権限を握ることになり、異常な権限集中がおこなわれたのも特徴だ。
そして学内でくり広げられた事は、ものいう教員に対しては懲戒処分や裁判をチラつかせたり、世間に対して下関市立大学で起きている事態を公表した理事(学部長)を解任したりと強権で黙らせる手法だった。その結果、この2年間で3分の1にあたる17人の教員が嫌気がさして次々と大学を辞めていく事態にもなった。これでは「総合大学化」もなにも、現状の経済の単科大学としても持つのか? と不安が語られるほど、教育機関としての体制が揺らいでしまっている。
こうして2021年度は退職した専任教員の補充も十分にされないまま始まった。新年度で補充されたのは韓教授のグループの6人だけだ。
大学は誰のものなのか 市民や学生に説明を
そのもとで大学教育はどうなっているのか。大学では今年度から100人以下の規模での対面授業と、専門演習(ゼミ)が再開した。
「社会学や国際貿易学といった経済学専門の若手の熱心な教員がやめていったことで、経済学の専門性が欠落してしまった」「1人の教員が担当する学生が増えて、ゼミの人数がこれまで12~13人だったのが18人に増えている。とても少人数指導とはいえない」「やめた教員の補充がないため非常勤講師で対応しているが、本来は通勤できる範囲で教員を雇わないといけないのだが、今はコロナ禍のオンライン授業が可能なため大阪や東京在住の講師がおこなっている。オンライン授業で教員不足の実態が見えにくいが、実態は深刻だ」と語られている。
国公立大学のゼミは教授1人につき数人規模が一般的だが、私立大学では30人規模のゼミ生を抱えている場合もある。一般的に公立、私立では大きな違いがあるが、一人一人の学生に細やかに目を配り指導することを意識した国公立基準の体制で考えた場合、下関市立大学が以前から1人の教授につきゼミ生が12人というのもスタッフ不足をあらわしていた。それがさらに1・5倍のゼミ生を抱えなければならないほど、教員が足りていない。
そうしたなかで前田市長が公約に掲げた「総合大学化」にむけて、市立大学の将来に大きくかかわる新学部設置の構想が動き出している。7月21日には「下関市立大学における新学部設置に関する諮問会議」(荒井修亮・水産大学校代表)が発足した。市役所総務部によると、「データサイエンス」と「看護学部」に関する部会を開き、10月には全体会議を開いて答申を出すスケジュールになっている。ただ、このことに関しても教員に対しては何の説明もなく、雲の上で話が進んでいる状態だ。
教員の一人は、「下関市立大学があることで、国から下関に入ってくる約五億の交付金のうち、2億円ほどが市の財政に充てられている。存在するだけで市の財政に貢献してきた側面がある。今後、理系の学部をつくるとなれば市の財政から持ち出しが必要になるだろう。市立大学は市民の大学でもあり、説明が必要だ。市長の公約だからという理由だけで一部の人間だけで突っ走ることはできない」と指摘する。
また多数の教員が退職するなかで、経済学を学びたいと思って通う学生の教育環境が支障を来しており、「“新学部設置”“専攻科設置”といってお友だちばかり登用しているが、土台となるはずの経済の単科大学としての体制が危うくなっており、学生のためになっていない」と本末転倒の事態を危惧する声も少なくない。
教員たちのなかでは、一昨年から辞めていった17人に続いて、来春にも下関市立大学を辞めるための準備を進めている人々が多数おり、閉塞感の漂う空気のなかで見切りを付けていく動きに拍車がかかっている。この調子で泥船から逃げ出すように教員が大量に去って行ったとき、大学としての機能が維持できるのか不安視する声も少なくない。
市長及び安倍派の面々がバックアップする形で「大学改革」と称した強権支配によっていうことを聞かせたつもりが、終いには強権を振るう相手がいなくなり、残されるのは大学を支える優秀な教員たちが去って行った箱としての「下関市立大学」があるだけともなりかねない。
現実には「総合大学化」どころか経済の単科大学としての体制も危うくなっているというのがあるがままの姿で、傍から見ていて「何やってんだろう…」「それは大学改革ではなく、大学崩壊ではないか?」と思うものがある。
前田市長及び安倍派の関係者は、なぜそれほどまでに韓教授一人を重宝するのか、それはいったい誰の指示なのか、彼らは下関市立大学でいったい何を始めようとしているのかが一般の市民にとってはわかりづらいものとなっており、今後の動向が注目されている。
少なくとも下関市立大学は前田晋太郎大学でもなければ安倍後援会メンバーの私物でもなく、下関市が設置した公立大学であり、郷土のみんなの大学としてその運営の在り方の是非については論じられなければならない。
下関市立大学の現状は散々たるものになっている事が明白である。
市長を引き摺り下ろして安倍派の自民党議員を落選させないと学校が私物化され、日大のようになってしまう。これは避けたい。もう公立大学といえない。市民が立ち上がる、学生が立ち上がらないとこの大学は駄目になつてしまう。
先生が逃げているのに学生は立ち上がれません。市民は誰が何しようが直接自分の懐に害がない限り立ち上がりません。