アフガン戦争の終結は、いかなる民族であれ屈服しなければ大国の侵略支配など成し遂げられないことを証明した。第二次大戦からこの方、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン侵攻など、米国は世界中で戦争を仕掛け、各地で残虐な殺戮をくり返してきた。しかし、どこでも徹底的に侵略に抗う民族的なたたかいが勝り、最終的には支配は叶わなかった。アメリカの支配階級のなかで成功経験として刻まれる「日本モデル」と呼ばれるような完全支配は、日本を除いた他の国では実現できなかったのである。
徹底的に国民をなぶり殺しにして戦意を喪失させ、抵抗力を削ぎ、なおかつ屈服したその国の旧支配層を隷属させて支配を貫徹する。「日本モデル」とはすなわち、そういうことであった。支配層の屈服と隷属が必須で、民族の主権を売り飛ばし、なんでも米国の言いなりになるような侵略者への骨の髄からの忠誠がなければ、まず成り立たないのである。
第二次世界大戦において、中国侵略に行き詰まっていた日本の支配層は南下政策を進め、その果てに必然的に太平洋戦争へと突入し、最後はアメリカに単独占領される道を選んだ。負けるとわかっていた戦況でなお戦争を長引かせ、その間にも沖縄戦、広島、長崎への原爆投下、東京大空襲をはじめとした全国空襲が丸裸状態の日本列島各地を襲い、無辜の非戦闘員にいたるまでがなぶり殺しにされた。どの記録を見てもわかるように、320万人といわれるかの大戦における邦人の死者数のほとんどが終戦前年からの1~2年に集中しており、「アメリカに敗北する」シナリオのもとで膨れあがったものだった。
学徒動員や40代にいたるまで駆り出された南方の戦地といえば、武器も食料も持たされずに輸送される途中、太平洋で船もろとも撃沈されて海の藻屑となった命も少なくない。かつがつたどり着いた島々でもすでに兵站など機能しておらず、大半が餓死に追い込まれたり、それは死にに行くためだけに駆り出されたようなものであった。
こうして内地でも外地でも徹底的に国民が殺戮される一方で、東京空襲では皇居やGHQが戦後に本部として利用したビル群や施設は一発も狙われず、米軍がいざ本土上陸する前には日本軍みずから武装解除して銃声一発響くこともなかった。そして、国民に塗炭の苦しみを強いた戦争犯罪者どもは、今度は米国のエージェントとなって戦後支配の支柱となる有り様であった。そうした「日本モデル」のバトンをつないだ為政者どもの残りカスが、孫の代になって腐敗堕落を極めているというのが今日の日本の政治状況であろう。 武蔵坊五郎