アフガニスタンでは、バイデン政府が8月31日までの米軍撤退を表明するなかで、15日までに国内のほぼすべての州都を支配下においたタリバンが、首都カブールに進攻して大統領府や政府庁舎を制圧し、日本時間の16日早朝政府に対する勝利宣言をおこなった。ガニ大統領は国外に逃亡し、アフガニスタンにおけるアメリカの傀儡(かいらい)政権は崩壊した。米軍が2001年の9・11事件を口実にアフガニスタンに侵略し20年がたつ。アフガン戦争の最後は、1964年から本格的に攻撃を開始し75年のサイゴン陥落で終わったベトナム戦争と同様に侵略者アメリカの大敗北に終わった。
アメリカのブッシュ政府は2001年、9・11事件はイスラム過激派組織「アルカイダ」の犯行で、その指導者はオサマ・ビンラディンとし、アフガニスタンにすべてのアルカイダ幹部の引き渡しを求めた。当時のタリバン政府は引き渡しを拒否したため、米英などが「アフガニスタンはテロリストをかくまっている」として、同年10月7日から航空機、巡航ミサイルによる攻撃をおこない、20年におよぶアフガン戦争が始まった。
米英軍は空爆だけでは決定的な打撃は加えられないため、地上戦部隊としてタリバンに追い詰められて北部にこもっていた軍閥を懐柔し「北部同盟」を組織した。米空挺部隊がこれと組んで首都カブールやタリバンの本拠地カンダハルを制圧し、タリバン政府を打倒した。しかし米軍の軍事作戦で数万人以上の民間人を無差別に殺戮(りく)し、米軍の駐留が長引けば長引くほど反米感情は高まった。
2001年の侵略後アメリカは数千億㌦を費やしてアフガン政府の軍隊を創設し支援した。政府軍は米軍によって20年間訓練され、最新鋭の武器で武装した30万人の兵士によって構成された部隊であった。また、国家警察隊は一時15万人余りに拡大した。だが、軍の脱走兵は多く、その分の給与を司令官が着服するなどの汚職・腐敗が横行し、戦闘能力は低かった。これは、この軍隊が外国の侵略者に仕える軍隊であるところから来る必然的なもので、国民のなかで強固な支持基盤を築くことはできなかった。
また、アメリカは米国帰りの亡命者を中心とする新政権を擁立した。だがその行政能力は乏しく、海外からの援助資金の横領や過酷な徴税など腐敗が広がり、国民の反発を招いていた。
他方でタリバン政府は打倒されたものの、タリバン兵はパキスタン北西部に避難したり、武器を携えて故郷に帰ったりして力を温存した。タリバン兵の総数は約6万人、それに協力する民兵を含めても20万人程度と推計されている。数だけみれば30万人のアフガニスタン政府軍には遠くおよばない。
タリバンは2005年以降反撃の戦闘をくり広げ、昨年段階で国土の3分の2を支配するまでに勢力をのばしていた。米軍はアフガン侵攻後、政府・軍を支援しながらタリバン掃討作戦を続けてきたが、地方に根を張ったタリバンに手を焼いた米軍は結局撤退に追い込まれた。
昨年3月、当時のトランプ政府がタリバンとのあいだで和平合意を締結し、米軍の撤退を約束した。それまでアメリカ政府は「テロリストとは交渉しない」としていたものを、タリバンと対等の交渉に臨んだのであり、それ自体アメリカの完全な敗北だ。バイデン政府も今年8月いっぱいで撤退を完了させると表明した。
このアメリカ政府の米軍撤退表明がタリバン大攻勢の引き金になった。8月12日、タリバンはアフガニスタン第二の都市カンダハルと第三の都市ヘラートをあいついで制圧したが、そのさいに政府関係者はいち早く退避し、都市を事実上タリバンに明け渡した。
14日に陥落した第四の都市マザリシャリフでは、アフガニスタン軍が真っ先に降伏して撤退した。そのため正規軍とともにたたかっていた反タリバンの民兵も総崩れになった。各地でたたかわずに敗走するアフガニスタン軍は多くの最新鋭の武器・装備を放棄していった。タリバンは政府軍が放棄したアメリカ製兵器を手に入れ、装備をさらに拡充している。
そしてアフガン軍より先に米軍が逃げ出している。8月初旬に米軍のほとんどが首都カブールの北にある広大なバグラム空軍基地から密かに退去した。アフガン軍に通知することもなく、暗闇の中で逃げ出した。この様は、1975年のサイゴン陥落でヘリコプターにつかまって逃げる米軍の無様さの記憶を呼び起こしている。
化石燃料の略奪が狙い
アメリカのアフガン侵略の目的は「テロとのたたかい」でも「ビンラディン」でもなかった。それらは単なる口実にすぎない。ビンラディンは2001年12月にはすでにアフガニスタンにはおらず、2011年5月に潜伏先のパキスタンで米海軍特殊部隊に殺害された。それでもアメリカはアフガン侵略をやめなかった。
アフガン侵攻は2001年の9・11以前から計画されていた。2001年1月に大統領に就任したジョージ・ブッシュは、アメリカの石油と天然ガスの在庫が減少しているため、豊富な化石燃料資源に対する影響力を高め、パイプライン、製油所などのインフラ整備をおこなうことを狙っていた。アフガンは石油とガスが豊富な中東の近くにあり、中央アジアの旧ソビエトのそばにある。さらにアフガンでは銅や金、リチウムなど何百万㌧もの有益な鉱物資源が発見されている。
ブッシュ政府は、アメリカのエネルギー大手の利益のために、アフガン全土での石油とガスのパイプライン建設を狙っていた。ブッシュは1970年代の元テキサス石油幹部であり、2000年の大統領選挙ではエクソンモービルなどアメリカの化石燃料会社から多額の寄付を受けていた。ディック・チェイニー副大統領は1995~2000年までエネルギー大手・ハリバートンの最高経営責任者だった。アメリカの占領下でアフガンの豊富な石油、ガス、鉱物資源は少数の多国籍鉱業コングロマリットが略奪する計画だった。
アフガニスタンへのアメリカの大規模な介入は1970年代後半に始まっている。タリバンは1978年のサウル革命(王を追放し、農地改革など実行)で政権を握ったアフガンの社会主義政府を転覆させるためにCIAに組織され、資金提供される反乱のなかで生まれた。
反乱の鎮圧を口実にした旧ソ連軍が侵攻し1989年にアフガンから撤退した後、1996年にタリバンが政権を握った。アメリカのジミー・カーター政権はアフガンの紛争を旧ソ連を崩壊させるプログラムにくみ込んでおり、1990年のソ連崩壊、冷戦構造の崩壊に連動している。
旧ソ連との戦争中にCIAは、タリバンが招待する形をとって、武装グループの一つであるオサマ・ビンラディンのアルカイダ組織をアフガニスタンに引き入れ、拠点を置かせていた。ブッシュ政権はアフガンを侵略する口実としてのアルカイダの存在を9・11以前から掌握していた。
米史上最長の戦争で敗北
「アメリカでもっとも長い戦争」と呼ばれ、ベトナム戦争の2倍も要したアフガン侵略戦争で、米兵2400人余りが犠牲になり、2万人以上の負傷者(うち重傷4500人余り)を出した。米ブラウン大学の調査ではアフガン国軍と警察の犠牲は6万4000人を上回った。
アフガンに米兵10万人以上が展開していた2010~11年には、アメリカの戦費は年間1000億㌦(約11兆円)近くに達し、2001~20年のアフガン戦費は総額で8400億㌦(約91兆円)にのぼった。また、米国務省は復興プロジェクトに440億㌦(約4兆8500億円)を投じた。アフガンとイラク戦争の両方を合わせると6兆㌦(約660兆円)という天文学的な規模に達する。米軍産複合体がそれだけ国家財政を食い物にしたことを物語っている。
バイデン大統領は13日、「私たちは20年間で1兆㌦(約110兆円)以上を費やした」とのべ、8月31日の米軍完全撤退をあらためて表明した。これほどの国民的な犠牲を払って侵略戦争を継続することにアメリカ国内での反戦機運が高まっている。
アフガニスタンは歴史的に大国の侵略に抗してきた。1838年から42年の第一次アフガン戦争ではイギリス軍を全滅させた。1878年から80年の第二次アフガン戦争でもイギリス軍を苦戦させた。だがこのときは敗北し、アフガニスタンは外交をイギリスに委ねる保護国となったが、内政は自立で、イギリス人の移住は認めず、毎年イギリスから報償金を受けることで和解した。1919年の第三次アフガン戦争では一時はイギリス領インドの一部まで攻め込んで完全な独立を認めさせた。アフガニスタンはしばしば「帝国の墓地」と呼ばれている。
アメリカはフランスが惨敗した後のベトナムに侵略して敗北、アフガンでも旧ソ連が敗退した後に侵攻して同じく大敗北を喫した。1990年のソ連崩壊による米ソ二極構造の崩壊後、「一強」を豪語してきたアメリカの敗北は、現在世界を動かしている真の主人公がアメリカなどひと握りの大国ではなく、民族の独立・主権を身体をはって守る無数の人々であることを示した歴史的な証左となっている。
タリバンによるカブール掌握以降、日本を含む西側メディアは、タリバンの「残虐性から逃れる市民」と、アフガニスタンがイスラムジハード主義者の温床になるという危険性を、最大限喧伝することに努めている。この報道姿勢は、トニー・ブレアに代表される「米軍は居残るべきだ」という主張を後押しし、アメリカによる戦争を正当化することをも後押しする。そもそも、100万人規模のパキスタン、イラン、トルコへ逃れたアフガニスタン人難民は、内戦から逃れたのであり、タリバンの統治が原因ではない。その事実は、メディアでは脇に追いやられている。
西側主要メディアが、アメリカの戦争に加担した責任は大きい。そのことを声を大にして言わないと、戦争を正当化する「世論」なるものが、何度でも形成される。