コロナ禍を「さざ波笑笑」と嘲笑した男が「屁みたいな」退職に追い込まれた。数学には強かったが国語には弱かったのか、はたまたそうしたいきった表現が格好いいと思ってしまったのかはわからない。いずれにしても、傍から見ていると最終的に「屁みたいな高橋洋一」になってしまっているではないかと思うほど、あっけない内閣官房参与職からの辞職だった。いい歳して、ツイッターみたいなものでいたらないことをつぶやかなければよいのに、あえて世間を刺激することで自己顕示欲が満たされていたというのだろうか。いくら東大卒の元エリート官僚とはいえ、そこに賢さを微塵も感じないし、コロナ禍の苛立ちを逆なでした挙げ句の降板劇は格好悪いの一言に尽きる。
ところで、「屁みたいな○○」というような言葉遣いを平然とする人間について、育ちが悪いと一刀両断されればどうしようもないのだけれど、世間一般でも「屁みたいな奴」「屁みたいな事」「屁みたいな問題」「屁とも思わない」等々、「たいしたことない」「屁ほどの価値もない」「たわいない」「くだらない」「とるに足りない」といった意味合いで使われることはままある。綺麗な言葉ではないし乱暴で下品ではあるけれど、格好つけて「屁でもねえよ!」なんていいつつ仕事を安請け合いしちゃう場面だってあるだろう。あるいは「屁みたいな奴」なんていわれた日には、屁に例えられた側からするとすこぶる立腹して一触即発の危機に発展するくらいのパワーワードだと思うのだけど、屁とはそのように価値のない、たいしたことのない存在に貶める言葉としての力が宿っているから不思議である。
こうしてみると、「屁みたいな緊急事態宣言」「屁みたいな防疫対策」「屁みたいなPCR検査数」「屁みたいな一時給付金」「屁みたいなアベノマスク」「感染拡大に慌ててまた放り投げた屁みたいな安倍晋三」「屁みたいな菅内閣」「屁みたいな自民党」といったように、「屁みたいな」をくっつけるだけでそれぞれの言葉がリアルな響きや印象を伴ってバージョンアップし、なるほど事コロナについては屁みたいなことしかしていないのが日本政府だとつくづく思う。そんな屁の尻元すなわち内閣官房参与たる者が「屁みたいな」「さざ波笑笑」なんて上から目線で脳天気な発信をするから、世間としては「屁みたいな」ことしかしてない連中が何いってんだ? と苛立つのだろう。コロナ禍の苦しみが押し寄せているからなおさらである。
「屁と火事は元から騒ぎ出す」という。今回の内閣官房参与による騒ぎもその類いなのだろう。 吉田充春
※なんて言葉遣いの汚いコラムだこと! とお怒りの読者の皆様におかれましては、何卒ご容赦下さい。“内閣官房参与だった高橋洋一氏、「さざ波笑笑」から「屁」で辞任”だなんてニュース原稿をテレビ画面越しにキャスターが大真面目に読み上げているのを見て、ちょっと真面目にはいられないといいますか、このコロナ禍でみんなが四苦八苦している折に、お騒がせ者がいい歳して何考えてんだ? と呆れたのです。問題である「屁みたいな」という言葉遣いをしたのはほかならぬ高橋洋一氏であり、コラム担当者としては日頃よりそのような乱暴かつ下品な言葉遣いはいたしません! お叱りの向きには、「私ではなくあの人がいった!」と高橋氏を指さしたいと思いますので、あしからず。