いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『疫病と人類』 著・山本太郎

 著者は長崎大学熱帯医学研究所教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学、感染症対策で、アフリカのケニアやジンバブエ、カリブ海のハイチなどで感染症対策に従事した経験を持ち、コロナ禍で自己の見解を発信してきた。昨年末に出版された本書は、コロナ禍のなかでどう生きるか、すなわち人命を守りつつ被害を最小限にし、柔軟性あるしなやかな社会をどうつくっていくかについて問題提起をおこなっている。

 

 人類と感染症の歴史は古い。一万数千年前、農耕と野生動物の家畜化によって定住生活が始まると同時に、感染症の流行が始まった。感染症の恒常的流行には少なくとも数十万人規模の人口が必要だからだ。その後、中世ヨーロッパのペストの流行、コロンブスが新大陸に持ち込んだ天然痘、第一次大戦下で世界的流行となった「スペインかぜ」、また日本人と疫病の歴史を概観しているが、昨年本紙でも詳しく触れたので、興味のある方は本書を見てほしい。

 

 その歴史をもとに著者が強調しているのは、ウイルスは絶滅すべき対象ではなく、ウイルスとの共生が必要だということだ。

 

 コロナウイルス感染拡大に対して各国の政治リーダーは、「戦争だ」「撲滅すべき悪だ」といった。だが、今回のパンデミックに倒すべき相手はいない。感染した人たちや感染対策で経済的、社会的困難に陥った人たちという「守るべき人たち」がいるだけだ。コロナ対策を「戦争」に置き換えることが、守るべき人たちに我慢と自己責任を強いるのと表裏一体となっている。

 

 ウイルスとは、遺伝情報を伝達する核酸(DNAとRNA)と、それを含むタンパク質からなるが、自力で複製できない。ウイルスは自己の複製に宿主の細胞機能を必要とする。だからウイルスは宿主の根絶を意図していない。

 

 もし人間が根絶をめざしてウイルスに強い淘汰圧をかけると、ウイルスに自らが生き延びるための進化を促すことになる。人間もそれに対抗する手段を開発する必要に迫られ、際限のない「軍拡競争」になってしまう。長期的にはその競争に、人間は勝つことができない。ウイルスの変異の速度が人間のそれを何百万倍も上回るからだ。

 

 また、すべてのウイルスが病気を引き起こすわけではない。病気を引き起こすウイルスは全体の1%もない。大半のウイルスは人と共生しており、ある種の内在性ウイルス(過去に感染したウイルスが宿主に組み込まれた断片)は感染症に対して保護的に働いている。

 

 近年の研究は、哺乳動物においてウイルスが胎児を保護する役割を果たしていることを明らかにした。胎児組成の半分は父親に由来するが、これは母親の免疫系にとっては異質な外来物で拒絶の対象となる。それでもなぜ胎児が拒絶されず、母親の胎内で生きていけるのかというと、拒絶反応を引き起こす母親の免疫細胞は、胎盤によって胎児の血管に入ることを阻止され、拒絶反応が回避されているからだ。その胎盤形成に大きく関与しているのがウイルスだという。ウイルスは数十億年にわたって、あらゆる試行錯誤を通して、生態系のなかで複雑で強固なネットワークを構築しており、それは地球上のすべての生命を支える基本構造の一つとなっている。

 

 もう一つ著者が強調するのは、ソーシャル・ディスタンスの意味である。過去のインフルエンザ流行の歴史から学ぶべきことは、外出を自粛し社会的距離をとるという公衆衛生学的対策は、流行拡大を遅延させることはできても、拡大そのものを止めることはできなかったことだ。ただ、流行拡大の速度を遅くすることで医療崩壊を防ぐことができるし、ワクチンの開発から接種まで長期間が必要ななか、その時間を稼ぐことができる。

 

 問題はその間にいかに医療体制を強化し、ワクチンの開発を進めるかだ。まずPCR検査を拡大して感染者を隔離することであり、昨年の第一波収束後に公的医療機関で感染症病床を増やすべきだったし、東京五輪は早期に中止して選手村を収容施設にすべきだった。医師や看護師の待遇の改善、病院経営への支援も必要だった。公的病院を削減する地域医療構想は撤回し、保健所を含め公衆衛生体制を再構築すべきだった。

 

 しかし、大阪の医師が「緊急事態宣言が解除されればベッドを減らせといい、第四波が来たら今度はベッドを増やせという」と憤りをのべているように、この間政府は何もしなかったし、逆に混乱に輪をかけただけだった。

 

 そして、パンデミックはときとして社会変革の先駆けとなる--というのが著者の意見だ。

 

 中世のペストは当時のヨーロッパ人口の4分の1から3分の1を奪ったけれども、それによってペストを防ぐことができなかった教会の権威は失墜し、農奴に依存した荘園制は崩壊し、一方で国家意識が人々のなかで台頭し、こうして封建的身分制は解体に向かい、新しい価値観の創造につながっていったという。ペスト流行後の静謐な時代は、人々の内面的思考を深めさせ、それがやがてルネサンスの文化的復興につながっていったと評価する歴史学者もいる。

 

 今回のコロナ後も、失墜すべき権威は失墜し、それにとって代わって新しい価値観が台頭するに違いない。

 

 本書の中で印象に残る言葉、「学ぶべきことは人々の中にある」。著者は友人のアメリカ人にこういわれ、ハイチ行きを決意するが、実はその言葉は友人の恩師、広島の原爆で生き残り生涯を途上国医療に捧げた日本人医師の言葉だった。また著者の友人で世界最貧国ハイチの医師である女性は、子どもの頃、長崎で被爆した女の子の物語をくり返し読み、「日本は一番行ってみたい国」だといい、被爆体験に目を潤ませる。

 

 かくいう著者が卒業した長崎大学医学部は、世界で唯一原爆の被害を経験した医科大学であり、その著者はハイチで、極貧のなか、次々とエイズで死んでいく幼女たちを前に無念さを語っている。

 

 著者の問題提起はこうした体験に裏打ちされていることがわかる。読む側としても、これからどのように生きて人生を全うすべきかを考えないわけにはいかなかった。


 (朝日新書、232ページ、定価810円+税

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