いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

銅鉱山の開発に反対するエクアドルの人々 カルロス・ソリージャ氏の報告 PARC主催セミナーより

 アジア太平洋資料センター(PARC)と国際環境NGO・FoE Japan、Fair Finance Guide Japanの共催で、オンラインセミナー「気候危機対策における公正なトランジション(移行)とは?――鉱物資源の視点から考える」の第2回が4日におこなわれた。今回は「エクアドルの銅鉱山開発の問題」と題して、DECOIN(インタグの自然を防衛・保全する会)創設者のカルロス・ソリージャ氏が報告した。

 

■低炭素技術と銅 PARCからの背景説明

 

フニン村に突入する鉱山開発公社(ENAMI)職員とそれを阻む武装警官(2014年5月、エクアドル)DECOIN提供

 はじめにPARC事務局長の田中滋氏が、今回のテーマの背景について次のように説明した。

 

 アメリカをはじめ世界中が気候危機対策でさまざまな政策をうち出し、経済界も動き出している。再生可能エネルギーとしての風力、太陽光、地熱、その蓄電池、また電気自動車へ移行するためには、さまざまな鉱物資源が必要になる。

 

 そのなかで黒鉛やリチウムはリチウムイオン電池に必要だが、それは特定の技術にのみ必要で、代替技術が生まれればいらなくなる可能性がある。それに対して、どんなエネルギーを集めてもそれを電気に変換するためにかならず必要となる鉱物資源が銅だ。銅はすべての低炭素技術に必要なものだ。この銅の需要が高まるなかで、どういうことが現場で起きているのかが今日のテーマだ。

 

 世界銀行の報告書(2020年)は、低炭素技術に転換して2050年までに気温上昇を2℃に抑えるというシナリオを達成するために、鉱物資源が2018年の生産量に対してどれだけ多く必要かを明らかにしている。それを見ると、銅は7%だ。

 

 7%ぐらいと思われるかもしれないが、2018年に銅は2100万㌧生産されており、そもそも絶対量が鉱物資源のなかで4番目に多い。そして7%増やすということは、追加で年間137万8000㌧生産することが必要になる。送電網を入れれば、実際にはもっと多くなると思う。それはなにを意味するか。

 

 アメリカ最大の銅鉱山ビンガム・キャニオンは、年間約10万㌧の銅を生産している。銅鉱山の採掘現場では渦巻き状の穴を下に向けて掘っていくわけだが、ここの穴の直径は約3㌔あり、採掘部分が7・7平方㌔㍍あるといわれている。それに加えて廃石置き場やテーリングダム、精錬施設を設置するので、実際に森林を伐採して開発されている範囲は東京の山手線が囲む面積の半分ぐらいだ。10万㌧生産する鉱山一つでそれほどの面積を占めている。それを新たに13個か14個つくらなければまかなえないことになる。

 

フィリピンのディディピオ鉱山(PARC提供)

 それを拙速に開発しようとするとどうなるか。フィリピンのディディピオ鉱山は、100㌧~200㌧ダンプを使う大規模な露天掘りで、年間約1000㌧の銅を生産している。それによって地域の水資源が枯渇したり水を汚染したりするので、地元の人々の反対運動が起きている。昨年には警察が住民のバリケードを破り、逮捕される人も出た。そこまでして銅を採掘しなければならないのか、ということを考えていきたい。

 

エクアドルはメガ多様性国

 

 次に、何度もエクアドル現地を訪れているPARCの宇野真介氏が以下の解説をおこなった。

 

 エクアドルは人口約1700万人、面積約28万平方㌔と、日本よりも小さい南米の小国だ。コスタ(沿岸部)、オリエンテ(東部)、そして南北を貫くアンデス山脈を中心にしたシエラ(高地)の三つの地域にわかれている。標高差によって環境が変わり、さまざまな生態系が存在する。生物多様性のホットスポット(1500種以上の固有の陸上植物種が生息し、本来の植生が30%以下しか残存しない地域)の二つが隣接する地域で、「メガ多様性国」といわれる。ブラウン・ヘッド・スパイダー・モンキー、メガネグマ、ジャガーなどの絶滅危惧種や、世界の植物の約10%、世界の鳥類の約16%が生息する豊かな自然がある。

 

 国の経済を支えるのは原油だ。1970年代に開発が進んだが、1990年代には他の産業の成長を模索し、銅など他の地下資源の探査がおこなわれた。とくにラファエル・コレア大統領(2007~2017年)が鉱物資源の開発を強力に推進した。鉱物資源の輸出収入による経済発展をめざしたわけだ。

 

 コレアは2016年に新規鉱床区の入札を開始し、約1年後には国土の約13%に相当する369万㌶が探査・試掘可能対象区となって、採掘権の譲渡がおこなわれた。

 

 再エネの技術や電気自動車の技術への移行は、銅なしには進まない。だから需要の増大が見込まれる。その一方で銅の供給は2020年あたりで頭打ちで、以後は下がっていくと予想されている。もう一つの問題が銅の品位の低下(銅の含有量の低下)で、同じ量の鉱石を掘り出してもそこから得られる純粋な銅の量が減ってきている。したがってより多くの量を採掘しなければならず、採掘の方法がより大規模な露天掘りへ、破壊的な方向へと進んでしまう。

 

 そのなかで、エクアドルの北西部に位置するインバブラ県のインタグ地方が注目されるようになった。ここでは2万人弱の人たちが農業を主体に、70数カ所のコミュニティをつくって暮らしている。ここは雲霧林と呼ばれる、世界的に希少な森林生態系が広がる場所で、霧が発生しやすく湿度が高く維持されており、ラン科の植物やコケ類が発達し、通常の熱帯雨林よりさらに生物多様性が高い。それは人々の暮らしにとっても、水資源の維持という点で貴重な森だ。

 

 このインタグ地方にジュリマグア鉱床区(4839㌶)という銅の開発予定地があり、1990年代から銅の有望サイトとして注目されてきた。今日のカルロスさんの話は、このジュリマグア鉱床区とそれがあるフニン村の話だ。

 

 これまでに3回、ここに開発の波が押し寄せた。最初は1990年代、日本政府とエクアドル政府の合意のもと、JICAが出資して三菱系のビシメタルがプロジェクトに携わった。しかし環境影響評価をへて試掘を始めるなか、森林伐採による水質汚染が起こり、人間が皮膚炎になったり家畜が死亡したりする被害が出て、これに危機感を持った地域住民が1995年にDECOINをつくったことが抵抗運動の発端となった。日本主導のプロジェクトは1998年に撤退した。

 

 次には2004年にカナダのアセンダント・カッパー社が参入し、民兵が住民に催涙ガスを噴射したり発砲したりし、リーダーが脅迫を受けることも起こった。これに対して政府が採掘権を剥奪し、同社の活動はここで頓挫した。さらにDECOINは同社とトロントの証券取引所を相手どってカナダで訴訟を起こし、その結果同社は上場廃止に追い込まれ、2010年には完全に撤退した。

 

 3回目である現在は、これまでと違ってエクアドル政府自体が開発に乗り出している。政府は2010年にエクアドル鉱山開発公社(ENAMI)を設立し、チリの国営鉱山会社コデルコ(銅の世界最大の生産者)と提携してのインタグ地方の鉱山開発に合意した。コレア政権下のことで、反対運動のリーダーだったフニン村村長ハビエル・ラミーレス氏が「反逆、破壊行為およびテロリズム」という容疑で不当逮捕(現場にいなかった)され、10カ月間勾留された。国際的な釈放を求める運動の効果もあり、2015年2月には釈放された。

 

村長ラミーレス氏の釈放を喜ぶフニン村の人々(2015年2月)PARC提供

 ところが彼が不在の2014年5月、武装警官約400人をともなってやってきた鉱山開発公社が強引に環境影響評価をおこない、2カ月ほどで承認された。それは政府が問答無用で銅鉱山開発を進めた時期と重なる。2018年には90カ所の試掘(ボーリング調査)を終え、38億4600万㌧ぐらいの銅鉱石があるといっている。だが平均品位は0・44%。純粋に精製してとれる銅は1700万㌧ぐらいで、大部分が廃棄物になってしまう。それをどこにもっていくのだろうか。

 

■カルロス氏の報告 インタグ地方の運動

 

 続いてDECOIN(インタグの自然を防衛・保全する会)創設者のカルロス・ソリージャ氏が次のように報告した。

 

カルロス・ソリージャ氏

 私はエクアドルに過去42年間暮らし、1995年にDECOINが設立されて以来26年間、鉱山開発に抵抗する運動に携わってきた。DECOINはJICAの時代に、鉱山開発に抵抗することを目的に設立された組織だ。設立以来DECOINの活動は鉱山開発に対する抵抗にとどまらず、環境保全、生物多様性保全、水源保護などに広がってきた。これまでの成果として、38のコミュニティに水源保護のための保護区を設置し、これによって1万2000㌶の保護林を設置することができた。この森は非常に生物多様性の高い貴重な場所だ。

 

 鉱山会社がやってきたことの影響としては、いい面もあれば悪い面もある。鉱山会社が来る以前は、地域の人々はバラバラに暮らしていて、組織立って環境保護にとりくむ動きはなかった。鉱山開発という脅威に立ち向かわなければならないという必要性に迫られて、住民たちは多種多様な形でみずからを組織し始めた。女性グループが手工芸品をつくったり、小規模農家が組合をつくっていく契機となった。


 私がインタグに42年前に来たときには、環境保全について考えるという人はいなかった。鉱山開発の脅威に立ち向かうなかで、皆が自分たちが望む発展のモデルについて深く考えるようになった。その結果として、インタグは全国的に見ても環境意識の高い地域になっている。そしてこのような経緯があってこそ、私たちはビシメタル、またその後にやってきたカナダのアセンダント・カッパー社を撤退させることができたのだ。

 

 悪影響の方に目を向けると、鉱山会社がやってくる以前は、インタグは非常に穏やかで連帯感の強いコミュニティだったが、それが一変してしまった。価値観が大きく変わったということだ。鉱山会社が来る前は、人々はコミュニティや家族を大事にすることが第一だったが、鉱山開発が始まって鉱山会社がお金をばらまくようになって、対象地域の人々は個人主義に染まり、自分の損得を優先するようになってしまった。

 

 エクアドルにかぎらず、世界中で鉱山開発会社が人々の価値観を塗り替えてしまうことができる。つまり、集団的価値観と個人的価値観の対立、なにをもって幸福とするかのビジョンの対立が起こっている。はっきりいえば、お金を大事にする人たちと、コミュニティの穏やかな暮らし、健全な環境、自然保護を大事にする人々との間の分断、対立が起こっているということだ。

 

 しかし、私たちが幸福になるために必要なのはお金だけだろうか? お金があっても、コミュニティが平和でなく、環境が破壊されていて、幸福といえるだろうか? お金だけに注目してしまうと、自然界を崩壊の危機に追いやるような形での幸福の追求という、これまでのパラダイム(認識の枠組み)から抜け出すことができないのではないか。

 

 そして鉱山開発公社がここにやってきたときに、約400人の警官をともなって無理矢理入ってくるしか手立てがなかったということは、私たちが人々を組織化することに成功していた、つまりコミュニティや環境を大事にする集団的な価値観で住民みんなが結束していたからこそそうする以外になかったのだ。

 

多国籍企業を撤退に追込む

 

 インタグというのは広い地域で、東西に長く、標高差が大きい。DECOINが活動しているのは東側の地域になる。オーストラリアの世界最大の鉱山会社BHPを撤退させることにも成功し、現状では開発事業は一切おこなわれていない。BHPはインタグ東部から撤退して、現地法人の名前を変えて、エクアドルの南東地域に活動拠点を移した。

 

 DECOINは、住民の意識を高めるうえで水の問題を重視した。水域がどのように森とつながっているのか、生物多様性豊かな森がある、だからそこからきれいな水が出る、しかし銅の採掘をするために森がなくなったら水が失われるのだということを、何度も何度もくり返し訴え、理解する人が増えていった。水が奪われるということは、住民にとって切実な問題だ。

 

 一方、エクアドルの鉱山開発公社とチリのコデルコが活動しているインタグ地方の中心地、フニン村のあるジュリマグア鉱床区では、鉱山会社がお金をばらまいて、あるいは雇用機会を提供するといって、新たな推進派のグループを形成しようとしている。とはいえ、フニン村、ジュリマグア鉱区でも2018年11月以来、実質的に鉱山開発の活動はおこなわれていない。

 

 反対側の西側地域には、私たちの影響力はほとんど及んでいない。そこでもカナダのコーナーストーンやBHPといった大きな企業が活動しているが、この地域の人たちは私たちと違って組織化されていない。このように地域によって違いはあるが、今のところ鉱山開発そのものについては探査、試掘以上のことは起きていない。

 

 インタグ北東部のクジャへ地域はコーナーストーンが参入している地域で、住民は鉱山開発の問題について以前は無関心だったが、鉱区の採掘権の譲渡がされたとたんに、この地域の人々や、地方自治体までもが活発に反対運動を始めた。結果として、鉱山開発の活動はすっかり止まっている。他の地域でもコミュニティの人々への説明会すらおこなわれていない。

 

 鉱山会社の存在が抵抗運動の強化につながっている。より重要なことは、これまでそういう運動に参加しなかった人々が新たに参加するようになっていることだ。

 

人間中心的世界観から転換

 

 自然保護区である場所で鉱山開発をすることに対して、興味深い訴訟が、最高裁に相当する裁判所でたたかわれている。

 

 思い出してもらいたいのは、私たちが歴史的にありとあらゆる手段をもって鉱山開発に反対してきたことだ。トロントの証券取引所を相手に訴訟を起こすこともやってきた。

 

 2008年に制定されたエクアドルの新憲法は、世界で初めて「自然の権利」を規定した。「自然すなわち母なる大地は、生命が再生され生み出される場であり、その生存、およびその生命サイクル、構造、機能と創成プロセスの維持と再生を総合的に尊重される権利を有する」(第71条)、「国家は、種の絶滅や生態系の破壊あるいは自然のサイクルの恒常的改編につながりうる諸活動を予防かつ制限する処置を講ずる」(第73条)と規定している。この「自然の権利」は、人間に利益をもたらすかどうかとは関係なく認められている。

 

 そこから私たちは、生態系を原告にする訴訟のチャンスがあるのではないかと考えた。そしてジュリマグアの場合を考えたとき、最初に思い当たったのが両生類だった。エクアドルは両生類の多様性が飛び抜けて高いからだ。私たちは2種類の絶滅危惧種のカエルに注目したが、フニン村の森に生息する何百もの他の絶滅危惧種を含めた訴訟としておこなっている。

 

 下級法廷ではあるが、私たちはこの訴訟に勝つことができた。それは重要な意味を持っている。人間が自然資源への排他的権利を持っているという従来の考え方からの脱却のきっかけになるからだ。人間中心主義的な世界観から生命中心の世界観へのシフトだ。

 

 政府としては、訴訟に負けると海外投資家がエクアドルを敬遠してしまう、そして政府の歳入が減ってしまうと考えてたいへん気をもんでおり、控訴している。下級審では環境省と法務長官府を訴えた訴訟だったが、3月の控訴審ではそれとともに鉱山開発公社(ENAMI)、エネルギー再生不能天然資源省という他の政府機関ともたたかわなければならなくなった。私たちがこの訴訟に勝つことができれば、エクアドル全土に影響を与えるだろう。

 

■質疑応答から

 

 最後に参加者からの質問を受け付け、カルロス氏が答えた。

 

  エクアドルも民主主義社会であり、大統領はまがりなりにも選挙で選ばれている。にもかかわらず政府が住民に弾圧的な態度で臨むのはなぜか?

 

  日本は企業の権利と人々の権利とどちらが大事にされているか? 企業の権利だろう。それはエクアドルも同じだ。政治家は権力の座に居続けたいし、そのために金を手に入れたい。だから企業の権利を人々の権利の上に置く。

 

  「気づいたら自分の家が開発許可がおりていた地域になっていた」といわれたが、政府の開発許可はどのようにしておりているのか? 個人の権利や地方自治体の決定と国の開発許可とは、どういう関係にあるのか?

 

  鉱物に対する権利を持っているのは中央政府だけだ。憲法上は政府は住民や地方自治体と協議する義務があるが、政府はそれをせずに多国籍企業に採掘権を譲渡してしまっている。憲法上で保障された権利である事前協議の欠如を問題にして訴訟を起こし、勝っている例はあるが、その場合でも政府が「協議をする」といいさえすれば、鉱山開発の脅威は再び襲ってくるし、一時的な勝利でしかない。現在私は、地表部分の権限を持っているのは地方自治体である(地下は国)、という点に注目した訴訟にかかわっている。

 

  「気候変動対策は急がなければならないし、その場所を守るために地球が滅びるような選択をしていいのか」という反論に対して、どう答えるか?

 

  問題の立て方自体が間違っている。採掘された鉱物はどこへ行くのか、誰に利益をもたらすかを考えなければならない。すべての人が電気自動車を持つ必要があるのかというと決してそうではないし、電気自動車にかえれば問題は解決するという考え方自体が人間中心的であり、その結果としてもたらされる環境破壊、何千㌶もの広大な森林が失われること、河川が何世紀にもわたって残るような汚染を受けるということ、そういった「自然の権利」から見たコストを考える姿勢を持たなければならない。私自身、鉱山開発に絶対に反対するわけではないが、それがもたらす真のコストについて考えたうえで、リサイクルを徹底するとか消費そのものを減らすなどできるかぎりのことを決めたうえで、影響の少ない場所での資源開発を進めるという姿勢が必要なのではないか。

 

 結局のところ、気候変動対策のために環境破壊をおし進めてしまうのであれば、最終的には気候変動よりもさらに悪い環境破壊に直面するのではないか。日本のみなさんが住んでいる地域で、草の根的に「自然の権利」にかかわるとりくみをおこなうことを勧めたい。

 

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。