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記者座談会 盛り上がらない下関市長選 林派と安倍派は手打ちの様相 求められる旺盛な政策論議

 3月14日投開票の下関市長選が迫っているものの、新型コロナ禍でそれどころではない事情も反映してか、あるいは候補者がパッとしないのもあってか、下関の街中ではあまり話題にものぼらず、このまま面白みに欠けた消化試合で終わりそうな気配が漂っている。「歴代最長政権」を豪語した安倍晋三前首相お膝元の選挙区であり、地元家老となる市長ポストには安倍事務所の秘書出身者が収まり、この4年間の市政が実行されてきたが、前回選挙で安倍派と白熱のバトルをくり広げた林派が、今回の選挙では衆院山口3区を林芳正に与えることを条件に手打ちしたのだともっぱらで、組織的にまとまった力を持つ対抗勢力としては実質的に皆無となっている。地元を基盤にする保守勢力同士による「オレのもの争い」を回避したことで、さながら前田晋太郎の独り勝ちが決まったかのような静けさなのである。こうしてますます安倍独裁の色彩が強まっている下関であるが、一方で地域の衰退は凄まじく、産業振興や少子高齢化への対策など、地方都市として抱える課題は山積しており、行政トップの座が安倍派だろうが林派だろうが、「街の危機的な状況をどうにかしてほしい」という有権者の思いは鬱積している。市長選を巡ってなにが争点になっているのか、各政治勢力はどのような動きを見せているのか、記者たちで論議し、分析してみた。

 

  4年前の今頃は、安倍派、林派双方が開く新春の集いで、現職市長の扱いがどうだったとか、小競り合いみたいなことをくり広げていたのを思い出す。当時は自民党下関支部が二分して、日頃はニッコリ笑ってつねりあいっこみたいなことをしていた連中が、ムキだしの利権(市長ポスト)争奪に本音を隠しきれず悲憤慷慨(ひふんこうがい)していた。一般会計、特別会計合わせると年間3000億円を動かすトップの座を争うわけで、「負け組になってたまるか」という意識が働いていた。「経営者の視点」を自慢していた前市長の中尾曰く「下関最大の企業が下関市役所。この街で年間3000億円を動かす会社がありますか!」(選挙演説)なのだそうで、それはすなわち利権の規模を指している。どっちが握るか、どっちに与するかで市議や県議のポジションや存在感、企業にとっては可愛がってもらえるかなどが決まるし、選挙後には給食の醤油にいたるまで業者がふるいにかけられる。だから、50%そこらもない投票率のなかで、半数の有権者はたいして関心を抱いていないのだが、残りの50%内においてはムキになって抗争が勃発するのだ。

 

前田晋太郎(左、現下関市長)と、応援演説をする安倍昭恵(2017年)

 B 中尾が2期市長を務めていい気になっていたというのもあるが、4年前の市長選では安倍晋三の政権再登板によって勢い付いた安倍派が引きずり下ろしにかかり、それに対して市長ポストを手放してなるものかと懸命に防衛戦に挑んだ林派が僅差で敗れた。あの市長選のシコリはしばらく引きずっていた。自民党下関支部でも中尾支援で動いた林派の県議や市議、及び当時現職議長だった関谷博(もともとは安倍派)はじめ市議会最大会派だった志誠会(もともとは安倍派)の面々がその後は冷や飯を食わされた。逃げ足が速い者はさっさと志誠会とか関谷博を捨てて別会派を立ち上げた。みもすそ川別館で乱闘騒ぎまで起こして、市議の小熊坂が安倍派県議の平岡(当時自民党下関支部長)に骨折させられた事件もあった。中尾を応援した市議の安岡克昌なんて、市議会で公然と安倍夫妻の選挙介入を批判して、自民党下関支部で長らく資格停止処分を食らっていたほどだ。市議選では刺客まで立てられる有り様だった。こうした安倍林の抗争は、傍から見ている分には面白いので、「もっとやれ!」「机の下でつねりあいっこみたいなことするな!」と一般の有権者は笑いながら煽ったり眺めていたものだ。

 

  しかし、4年たってみると面白いもので、トップの座が移行するとそれにともなって全体がなびいていくものなのか、林派なんて昨年の12月議会でも、あろうことか安岡が前田晋太郎を議場でよいしょするまでに両者の関係は「改善」した。自民党県連の下関市長選推薦証交付式(10月8日)では、自民党県連を代表して塩満(林派県議)が会長代行として挨拶したほどだ。そうした様子が自民党下関支部の発行している「自由民主」の号外で全戸に配られ、「林派との手打ちは完了したんだね…」と感じた人は少なくない。自民党は全力を挙げて前田晋太郎を支援すると宣言し、前田晋太郎の顔をデカデカと掲載したチラシで3月の市長選に挑むことを大宣伝した。

 

  4年間で安倍&林の両者の関係はなにが変化したかというと、前田晋太郎としても林派やその所属企業に対しては気配り心配りの市政運営に努めていたし、中尾のブレーンだった吉川元副市長には美術館長や歴史博物館長のポストを与えたり、相当に気を使っていたというのも事実だ。中尾友昭が叙勲を受けたのも、そっち方面の力が働いたともっぱらで、「引退」すなわち次の市長選には出てこられない終わった人となった。中尾は山口合同ガス(林派)の子会社に拾われて余生を過ごしている。前田としては全方位に安全外交を心がけた4年だったとは思う。

 

 しかし、安倍&林の関係において手打ちを必要とする最大の要因はやはり林芳正の3区転出だ。好き嫌いであるとか、感情がどうとかは基本的に関係ないのだ。10月中旬に県議会議長の柳居俊学が東京の安倍事務所に「林芳正の3区公認にお力添えを頂けるのであれば、林派は下関市長選に出馬しない」と支援を求めに行ったというが、それ以前から既に「手打ちは終わった」と関係者のなかでは語られていたことだ。だから林派は今回の市長選ではおとなしすぎるほどおとなしいし、所属議員たちは安倍派市長体制のもとで可愛がられようと必死の振る舞いをしている。安岡克昌など見ていて痛々しい気持ちになるほどだ。はっきりいってしまうと、林芳正の念願である衆院転出という実利をとるかわりに、市長選及び衆院4区では安倍派の手足になるという取引だ。3区公認はあくまで菅自民党本部が決めることであって、二階派の河村建夫がどんな処遇になるのかわからないが、少なくとも山口県選出の政治家同士の取引としては、そんなことがやられている。安倍晋三の選挙区である衆院山口4区で万年二軍暮らしを強いられていた林芳正が、安倍晋三の力添えで衆院山口3区の一軍になりかわることで、衆院四区の選挙区内である下関ではおとなしく協力しておくということだ。

 

新春のつどいで演壇に立った中尾友昭・前市長と林芳正(左)2017年

  どこぞの東京のリベラル系メディアが「桜問題などを地元から暴いてきた田辺よし子が出馬することで前田晋太郎が戦々恐々としている」「その際は、林派も田辺を応援するかも」みたいなことを記事にしてネットで配信していたが、まるでなにも取材していない記事だなと話題になっていた。恐らく田辺よし子本人に聞いて、それを何の取材もせず鵜呑みにして東京で書いたのだろうが、「前田晋太郎が田辺に戦々恐々としている」こと自体がまずない。下関の人間は安倍派や林派に限らずあの記事を苦笑しつつ読んでいたし、「東京って、こんな記事を書いててカネになるんだね」と話題にしていた。

 

  何もわからないよそ者なのだから仕方がないとは思うが、地元の人間として思うのはまず第一に、林派が田辺の応援などするわけがないじゃないかと思うからで、先ほどからも論議しているように、林派としては目下、林家最大の実利(3区転出)をとるために動いている。3月の市長選で下手な真似をして、その後の衆院選すなわち3区を巡る「安倍晋三のお力添え」に響くようなことは絶対にしないだろうというのがある。それは自民党山口県連におけるパワーバランスとも関わっている。二階幹事長が宇部に乗り込んできても林芳正が平然としているのはそのためだ。下関の林派としては冷や飯を食らって悔しい部分も確かにあるだろうが、感情で動くようなことはしないと思う。一部に安倍派嫌いが強烈な部分もいるとはいえ、それは大勢とはいえない。

 

  メディアだけでなく、東京から物事を捉えている人たちと話してときどき引っかかるのは、反安倍が昂(こう)じているにしても、あまりにも恣意的に下関の矛盾を捉えすぎではないかと思うことが多々あることだ。矛盾運動は螺旋状に展開されているわけで、物事は常に変化しつつ流動発展していくものだ。4年前に林派が安倍派とバトルをくり広げたからといって、いつまでもその状態である訳がないし、ウィンウィンだと思った場合にはタッグを組んだりして、持ちつ持たれつなのが昔からの安倍&林なのだ。いつだったか黒川某が衆院山口4区に出馬した時も、ツイッターなどで「林派のサンデン労組が自主投票を決めた」とか有頂天になってつぶやいていた人などを見かけたが、安倍&林の腐れ縁というのはそんなに単純なものではない。利害を絡め合って双方が野合するときは野合する。これまでにも何度も見てきたことだ。

 

 たまに市長選で争うことはあっても、「二人で一つの命じゃろうが」(映画『ホタル』より)がピッタリなのだ。そこに公明党・創価学会も加えると「三人で一つの命じゃろうが」であるし、連合とか共産党の隠れ安倍派たち、つまり本気で抗うつもりなどない実は安倍派と林派に寄生している「なんちゃって野党」も加えた総翼賛体制でこの街の覇権を握ってきたのが実態だ。投票率50%以下の選挙で、そんなことが可能になるのだ。

 

野党含めた総翼賛体制

 

  なぜそんなことが可能なのか? だが、野党といっても市民からの信頼が乏しく、基本的には片隅勢力みたくなっている。本気で対抗していく軸や塊となっていない現実がある。日頃から反安倍とかを叫んでいる党の所属市議でも、市議会の議場に行くと自民党市議たちが入場してくるのを一人一人にじり寄ってお迎えし、「お疲れ様です」「ご苦労様です」とか猫なで声で平身低頭しているのがいる。あれは正直いってどうにかしてほしいし、そこまで自民党市議どもにご機嫌とりをする必要があるのか?と市役所でも話題になっている。まさに「にじり寄る」を地でやっている。市民が目撃したら、あれが共産党の市議会議員なのか! と驚くと思う。本人の資質もあろうが、よく市議団のなかで問題にならないものだと驚かされる。

 

 というか、いわゆる野党が安倍&林のもとで飼い慣らされてきて、下関の現在の政治構造が出来上がっている。歴史的に見ても、労働組合のボスとかが市議会や県議会ポストにとり立てられて支配の支柱になってきたし、長らく下関市議会の議長ポストに収まっていた小浜某などはサンデン第二労組のトップとして労働運動分裂に加担した功績を買われて林派の議長として君臨していたほどだ。林派県議の塩満とて、元をたどれば労働組合のトップだった男だ。それが今では400万円でインプラント手術したことを自慢したり、クラウンを乗り回す自民党県議になった。

 

 下関の労働運動史や政治史を振り返って見てみたら、「労働者や市民を裏切った者がとり立てられる」歴史だったといっても過言ではない。山口銀行などは最たるもので、日立の労務出身の田中耕三が長年にわたって頭取をやり、労働組合の長は取締役出世への登竜門だったほどだ。労働者を上手く抑え込んだり丸め込んだりする奴、時にガス抜きもしつつ企業支配に貢献する者ほど重用される仕組みだ。そうして市議会のかつての最大会派は市民連合で、神戸製鋼や三菱重工、サンデンなどの御用組合出身者が安倍派市長体制の最大の支柱となって利権を分け与えてもらっていたのだ。従って頭が上がらない。安倍&林からすれば、とり込んで支配するというテクニックを駆使してきた。つまり、安倍&林という力に加えて、その紐付きとなってぶら下がっている勢力まで含めたかさぶたが下関市民の上に覆い被さっている関係だ。

 

 近年でこそ、いわゆる連合などが自爆の道を歩んでいることもあって存在感を失い、最大会派も安倍派となり、議長も安倍派、市長も安倍派、全部安倍派となってきたが、総翼賛体制であることには変わりない。衆院選で民主党が負け馬を担ぎ出すがいつもゼロ打ち(八時当確)なのは、選挙そのものがいわゆる野党にとってもアリバイに過ぎないし、日頃から安倍&林と馴れ合っている事情を反映している。敵なしならば安倍晋三は必ず当選する。当たり前の話なのだ。

 

「市民の味方」を装う手口

 

  話は戻るが、市長選で林派がどう動くのかは林派が決めることであって、それは組織票という意味では他とのプラスアルファが働く場合にのみ市長選でも重きをなす。しかし、今回は早くから不戦敗で安倍派に市長ポストを委ねようとしている。それが現状だ。

 

 A 下関の市長選では元市長の江島潔(参院議員)が「4万票あれば勝てる」と豪語していたように、市民派が二分したり、ある条件を満たした場合には4万票台でも当選できるといわれてきた。それこそ安倍事務所や林事務所が誰につくのかで決まる部分もあるが、最終的には浮動票である市民票がどう動くのかが決定的な要素といわれてきた。前回の市長選で引きずり下ろされた中尾の場合、それ以前の江島市政が市民から蛇蝎の如く嫌われていたのが奏功して「市民派・中尾」演出につながり、実際には4万票そこらの林派の組織票に加えて、市民票2万が動いたことで6万票台を叩き出して市長ポストをものにした経緯がある。

 

 詳しく見てみると、初当選した2009年の市長選では中尾が6万2964票、安倍派県議の友田が4万706票、安倍派としては実は隠し球だったはずの「市民派」色売りの香川(その後、市議になり安倍派であることを隠すことはなくなった)が友田出馬の割を食って2万401票。まさに市民票といわれる組織票以外の力によって勝敗が決まった選挙だった。友田といえば露骨に安倍派の県議であり、本命はむしろ市民運動に寄り添うような素振りをして当時市民派色を出していた香川だったのだと思う。秘書だった竹田某が友田が自薦で出馬表明した際に、「友田のバカが!」と支援者に漏らしていたのは、基礎票+アルファ市民票の上乗せという勝利の条件が崩れたからだろう。香川もゴミ袋値下げ運動などに首を突っ込んだり、まるで自民党側であることなど隠していたが、実は大学生時代から安倍事務所で書生みたいなことをしていたという。その兄貴といっても、江島市長時代に社会人採用された江島派じゃないかと役所関係者は話題にしていたし、「江島の次に江島を批判する装いで香川って露骨だよね」と選挙前から偽装市民派がバレてしまった。しかし、いずれにしてもそのような市民派色の隠し球を市長に担ぎ出して、市民を欺きつつ安倍派市政をつないできたのが安倍事務所のテクニックでもあった。

 

安倍晋三と江島潔・参院議員(元下関市長)

  もともと、江島の登場も謀略じみていて、人工島反対とか国保料の値下げとかを叫び、それまでの安倍派・亀田市政への批判勢力という装いだったのが、当選すると安倍派としての正体をさらけ出して、露骨に支援者の切り捨てをやった。共通するのは、「市民の味方」を売りにして、有権者に見限られた安倍派市長からの首のすげ替えをやる際には、安倍派色を消すというのがある。なぜそんな細かい芸当をするのか? 安倍派というだけでは選挙に勝てないことがわかっているからだ。

 

  林派も心得ていて、江島退場後の中尾演出はまさに市民派標榜だった。これまた林派だけでは安倍派に対抗できず、多くの市民を味方につけてプラスアルファを得ないことには勝負の芽がないとわかっているからだ。「市庁舎の建設反対」を叫び、当選後には「凍結」にすり替え、「解凍」して建設するという詐欺まがいをやったし、公約など屁とも思っていない姿が暴露されて、最後は市民派としてのイメージが崩壊して中尾は散っていった。ある意味で自業自得だ。

 

前回市長選で落選が決まった直後の中尾陣営(2017年)

 初期の選挙ではおよそ6万3000票あったのが、その後の2013年の市長選では5万5383票で、対抗馬の安倍派・西本健治郎が3万9656票。そして、前回(投票率47・09%)は前田晋太郎が4万8896票、中尾友昭が4万5546票、松村正剛が1万958票だった。前田と中尾の票差はわずか3343票に過ぎない。公明党が股割き状態での安倍林の得票なので、両者の基礎票はその程度というのが何度かの安倍林の市長選結果から浮かび上がると思う。元市民派市議として江島批判などくり広げていた松村正剛は中尾ブレーンだったのになぜか前回の三つ巴の選挙に出て、前田当選に貢献した格好となった。前田晋太郎からすると脚を向けて寝られない関係だ。三つ巴テクニックでいうと、江島当選のために三菱労組出身の県議(連合所属)が当選する気もないのに出馬し、落選後に余裕で笑っていた市長選挙もあった。

 

問われる地元での基盤

 

  市長選が盛り上がらないのは、一つには前田晋太郎の独り勝ちがわかりきっているから――というのがある。市議会議員の田辺よし子が昨年末に出馬表明したものの、市民世論全般ははっきりいってしらけきっているし、冷ややかな視線が注がれているのも事実だ。それは田辺の20数年におよぶ市議会議員活動とか、下関ゼミナールのこととか、日頃からの実態を見たうえでの街の人々の反応なのだろう。それについて、けしからん! とも思わないし、本人への評価は他人がとやかく口を出すものでもないと思う。あるいは安倍派に対抗して身体を張っているのに、支持しないのはけしからん! とよそ者からいわれても、この街に暮らす人々にはこの街に暮らす人々のそれぞれの感情があったり、目の当たりにしたことがあったり、ちょっとどうなの? という思いがあるのも事実なのだ。それは誰のせいでもなく、田辺に対する街のみんなの評価がそうさせているというほかない。従って、得票に素直に反映されると思う。

 

  選挙である以上、この地域が抱えている政策課題や矛盾に分け入って、地域コミュニティを揺り動かさなければどの道話にならない。下関の未来、行政運営を担うトップを選択する選挙なのだから、抽象的な安倍批判などしていたところで誰も相手にしないし、下関で暮らす人間が下関の未来をかけて選択するのだ。前田晋太郎に対して選択肢が田辺しかないなら、両者のどちらが下関の行政を担う者としてふさわしいかが当然問われる。
 気がかりなのは、前回市長選で前田陣営に福岡の土建業者が応援に入っていただけで「よそ者」批判が高まったが、ここ最近の情報を耳にするとその逆だってあり得るだろうという点だ。

 

 仮に下関のような地方の首長選で「反安倍に燃えるよそ者集団土着の下関側」みたいな構図になったら安倍事務所は大喜びだ。というか、既に本人が吹聴しているのもあって情報は駆け回って大喜びしている。それについては、何だかな…誰のどういう判断なのかな…という思いしかないが、いずれにしても地域コミュニティに依拠した選対、選挙にならなければ市長選のような選挙はまずたたかえないし、田辺についても地元での基盤や根っこが果たしてどれだけあるのかが問われる選挙になるのは疑いない。東京の応援団依存で浮かれても現実は甘くないし、厳しめに見て泡沫だと思う。事情のわからない東京のメディアがガップリ四つみたいな勘違いをしているみたいなので、後の幻滅がひどいものにならないためにもこういうことははっきりいっておいた方が地元理解の一助になると思う。現状では市長選を巡って何も盛り上がっていないし、「東京の応援団に依存する田辺よし子前田晋太郎」になりそうな気配で、地元の有権者を置き去りにするなよ! という思いしかない。

 

  安倍派だろうが林派だろうが構わないし、あからさまにいってしまえば誰が市長になろうが、きっちりとやることをやるなら構わない。下関のためになることを実行し、私物化とか悪さをしない公正公平な行政運営をやるなら誰でもいいと思う。しかし、江島とか中尾とか、市立大学の私物化を進めたりタクシーチケット問題一つ解決できない前田晋太郎とか、安倍派、林派の番頭たちのどうしようもない市政を見せつけられてきて、その度に敵失でどちらかの派閥が市長ポストをもぎとり、もぎとられをくり返しているようなのを見てきて、市民の多くは辟易している。江島だって引きずり下ろしたし、灸は据えているのだ。

 

 しかし気付いてみたら、下関は全国でも有数の人口減少や少子高齢化が進み、産業は衰退し、この1~2年は家屋やビルの解体があっちこっちでやられている。市役所界隈の田中町だけ見ても次々と家が解かれ、既に歯抜けの街と化している。基幹産業だった水産業が80年代以降に下降線をたどるなかで、地方都市としての産業振興の方向を見失い、観光産業に依存してみたが週末都市となり、展望が見出せない状況に置かれてしまっている。「下関、このままではマズイよね…」という不安や心配は大きいが、行政は安倍派一色に染まって、前田晋太郎は議会でも寝てばかりいるために「居眠り晋ちゃん」呼ばわりされている有り様だ。安倍晋三が歴代最長の政権だろうが何だろうが、衰退の一途をたどってきたのが下関の現実なのだ。

 

 やれ林派がどっちについた、安倍派がどっちについたを騒ぐよりも、産業振興や地方創生の道筋をしっかりと市長選の過程で議論し、この街の行政運営を誰が担うのがふさわしいのかを見極められるような選挙にしたいものだ。候補者としては「パッとしない」というのが大方の評価ではあるが、誰もが認める素晴らしい人材がいないのもこの街の現実である以上、それは受け入れるしかない。そのうえで、次なる4年、誰に行政運営のトップを任せるのかが問われているのだ。

 

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