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学者有志が緊急シンポジウムを開催 「大阪都構想で日本は没落する」

 「大阪市廃止・特別区設置」の是非を問う住民投票(11月1日投開票)が迫るなか、関西や東京の学者・知識人が23日、「『大阪都構想』の真実~大阪都構想で日本は没落する」と題したシンポジウムを大阪市内で開催した。主催は、思想・言論誌『表現者クライテリオン』(藤井聡編集長)。会場には150人が詰めかけ、地方経済学や政治、社会思想などの研究者5人が「大阪都構想」の問題点を解説した。

 


 はじめに主催者を代表して藤井聡・京都大学大学院教授(国土・都市計画)が挨拶し、「大阪都構想が実現すれば、日本が没落すると断言できる。学者としては論外というほかない。大阪も現在の没落がさらに加速するのは自明のことだ。大阪は日本第二の都市であり、この没落が全国に影響を与えないわけがない。奈良で生まれた私も、父が大阪で働いたお金で育てられたし、近畿全体にそのような人は多い。大阪の没落は西日本全体にとって他人事では済まされない」とのべた。

 

藤井聡氏

 また「政治的に考えても、維新の会が国政で勢力が延ばして菅政権を長期化させ、竹中平蔵氏やアトキンソン氏のような“中小企業を潰すことが日本の発展だ”という勢力がのさばる。また、今回のように根拠のない経済効果を行政が垂れ流し、イメージだけで政治目標を達成することになれば、日本の民主政治の激しい質的劣化をもたらすことが懸念される。経済的にも、政治的にも、民主政治のプロセス論からみても、都構想で日本が没落することは間違いのない未来だ」と強調した。

 


特別区は財政苦で「修羅の道」へ


 次に森裕之・立命館大学教授(地方財政学)が「都構想」の基本的な問題について次のように解説した。


 いわゆる『大阪都構想』には3つの要素がある。1つめは大阪市の廃止。土地を4つの区に分けるのだが、市町村にするのではなく、特別区(従属団体)にする。大阪府に従属する団体だ。従属とは、権限とお金が取られることであり、府の意向の下でしかまっとうな運営ができないのが特別区だ。東京都では何十年も前から千代田区や世田谷区が“都の従属団体ではなく(市として)独立したい”と運動しているなかで、逆に大阪府の従属団体になろうというのが都構想だ。


 さらに、前回まで反対していた公明党が今回は賛成した。盛り込まれた4つの条件には“住民サービスを低下させない”とあるが、低下させないと言い切れないから協定書には“低下させないよう努める”としか書かれていない。そもそもお金を取ることが目的なのに特別区に多く還元するわけがない。サービスは必ず低下する。住民への約束が担保されず、このような政争の具として、私たちの先祖が作り上げてきた大阪市を潰すことがあっていいとは思えない。行政とは派手なことをやるものではなく、空気みたいなものだ。空気を吸いながら“派手さがない”とは思わないはずだ。行政とは住民の生命を守り、生活を下支えるためのものであり、そこに派手なものを求めると狂い始める。


 自治体の行政サービスは市の税収だけでは賄えない。全国の95%の自治体がそうだ。それがこの国の税制であり、不足分を国が義務的に地方交付税交付金として地方自治体にお金を出している。大阪市では年間900億円、大阪府は年間4000億円だ。つまり、大阪府の方が財政力が低い。貧しい方がお金を取るのだから、それを多く配分するわけがない。


 大阪市が廃止された後の財政制度【図参照】では、4特別区に入る税金は個人住民税だけになる。大阪市税の4分の3を占めていた法人住民税、固定資産税などは、すべて大阪府に入り、その使い道を決めるのも大阪府になる。国から支払われる地方交付税交付金も、すべて大阪府に入る。その使い道も大阪府が1年ごとに議会で決める。

 


 税収と地方交付税交付金を含めると、4特別区の手元に残るのは、大阪市が持っていた収入の3分の1に減る。もともと大阪府の方が財政力が低いのに、自分の手元に回ってきたお金を特別区にこれまで通り配分するだろうか。ありえない。しかも、カジノ誘致や万博でお金が必要になる。本当に住民サービスが維持できるとは到底思えない。


 特別区は区税収入だけではまったく住民サービスの運営ができないので、大阪府が財政調整交付金を回すことになっているが、これは毎年減らされていく。だから特別区に移行した瞬間だけは「住民サービスを維持する」が、その後については「低下しないように努める」としか書けないのだ。


 現在ある24区役所も「残す」といっているが、必ず後から統廃合されていく。市町村合併でも旧役場を残すという約束をしていても、結果的に財政が持たなくなって統廃合されていった。なんの補償もない。これを「デマだ」というのなら、明確に「将来にわたって維持する」と協定書に記し、責任の所在まで明らかにすべきだ。


 現在、「都構想」の賛成根拠として一番多いのが「二重行政の解消」だが、そもそも都道府県と市町村は全国どこでも二重行政だ。完全になくすのなら憲法を変えて、どちらか一方をなくさなければいけない。だから二重行政を解消するのなら範囲を限定しなければならず、大阪府市の正式資料で見てもその範囲は10項目ほどしかない。そこで浮く財源は、私の計算では年間4000万円だ。松井市長が「バーチャル都構想で、もう二重行政はなくなった」というが、はじめからないのだ。5年前の前回資料で多めに見積もっても2億~3億円だった。前回の構想では特別区設置の初期コストは600億円だったので、二重行政の解消効果が2億円なら回収までに300年かかる。


 今回の設置コストは、システム改修、庁舎整備、移転費その他の初期コストが240億円だが、解消効果が4000万円だとしたら回収までに600年だ。そのうえランニングコストが毎年29億円もかかえる。「4000万円浮いてよかった! 毎年29億円かかるけどね!」といって喜んでいるという不可解な状態だ。


 二重行政の象徴のようにいわれる、WTC(ワールドトレンドセンタービル)と「りんくうゲートタワービル」はまったくの別物だ。当時、関空ができて臨空タウン建設のための業務ビルとして府がつくったのが、りんくうゲートタワービルだ。方やWTCは、国際貿易施設としてATC(イベント・商業施設)やインテックス大阪を含めた南港地区を副都心として位置づけた大阪市の開発だった。90年代にATCとWTCの財務構造を調べたことがあるが、借金で巨大なモノを建てすぎているから、借金返済と減価償却が膨大になり、はじめから営業利益など出ない仕組みだった。当時これを国が煽ったため、全国各地にできた第三セクターと呼ばれる官民事業体はどこも破綻した。二重行政とはなんの関係もない。


 私が「都構想にメリットはない」というと、知り合いの先生が「一つだけある。夢が見れること」といっていた。つまり、これは「夢」vs現実のたたかいだ。だが、現実は現実でしか解決しない。東京一極集中によって、東京23区は財源の大半を都に取られ、国の交付税が入らなくてもやっていけるだけの財力があるが、大阪は毎年5000億円も足りない。毎年、府からの財政調整基金の配分をめぐって、利害が対立する4つの特別区は未来永劫揉め続けることになる。そのような「修羅の道」を望む人は賛成してもらったらいいが、安定した行政を望む人はなんの補償もない「夢」に踊らされることなく反対を投じてほしい。

 

「都構想」経済効果に根拠なし



 続いて、川端祐一郎・京都大学大学院助教(都市社会工学)が、大阪府市が謳う「大阪都構想」の経済効果に算出根拠がないことについて解説した。


 「維新の会のホームページには『行政の効率化によって歳出が1兆1400億円削減できる』『産業への波及効果が1兆円ある』など大きな数字が出てくる。去年8月には吉村知事が『財政効果は10年で1兆1000億円』といっている。大阪府市が作った特別区設置協定書の説明パンフレットにも、特別区の財政効率化効果は10年間で1兆1040億円とある。そして二重行政解消による財政効率化効果が39億~67億円。算出のやり方にも問題があるが、10年間の数字なので年間で3・9億~6・7億円だ。二重行政の解消効果はこの程度しかないと法定協議会と副首都推進局が書いているわけだ。これでは初期コスト240億円、ランニングコスト年29億円を差し引きすると大幅にマイナスになるから『経済効果』なる数字を持ち出している」と指摘した。


 「一般的には、人口が少ない自治体ほど住民1人あたりの歳出額が高く、人口が増えるほど低くなるといわれる。そして政令市など超大規模都市になると逆にコストが増すといわれている(U字型説)。そのため都構想の財政効率化の試算では、大阪市を分割して4つの中規模都市にすれば、1人あたりの歳出が現在よりも低くなるという論理を当てはめて数字をはじき出している。だが、政令市の一人あたりの歳出が高くなるのは、一般市よりも権限が大きいので仕事量も多く、都市高速、地下鉄などの多機能なインフラがあり、大学など田舎にはない高度なサービスが充実しているからだ。大阪市を分割したからといって田舎になるわけでもなく、インフラやサービスが不要になるわけでもない。したがって市を分割することで財政が効率化し、歳出が減るというのは大きな嘘だ。そもそも合併のための財政効率化の議論を、市を分割することに機械的に当てはめているだけで、その発想自体が根本的に狂っている。経済効果として謳われている巨大な数字が、その精度以前の問題として根本的に間違っているにもかかわらず、それが公の情報として広報され、住民投票をおこなうことは異常極まりない事態だ」とのべた。

 


 柴山桂太・京都大学大学院准教授(現代社会論)は、「大阪市がなくなれば、市民が払った税金の使い道を大阪市議会ではなく、大阪市選出議員が3割しかいない府議会で決めることになる。大阪市で完結していたはずの財政民主主義が崩れる。そのようなことが無視されたまま“発展する”といわれていることが疑問だ。大阪を含むすべての自治体で経済の沈下が進み、企業やお金が東京に流れるようになった。かつては日本資本主義の中心地だった大阪では20世紀後半から地盤沈下がはじまり、そこでの不満の高まりから都構想のような派手なプランで解決するかのような幻想に取り憑かれている気がする。大阪市を抵抗団体=敵であるかのように描いて潰そうとしているように、小泉改革の郵政民営化、農協改革、電力改革、公務員改革、学校改革でも同じように“特権化”のレッテルを貼って、国民や社会を分断して怒りのエネルギーをそこに向けることがくり返されている。携帯料金値下げや学術会議問題でも同じことが起きている。国がやるべきことは国民の所得を上げるべきなのに、逆に低い方へと社会のシステムを壊していく流れだ」とのべた。


 そして「この都構想が失敗して住民サービスが削られることになっても、彼らは間違いを認めることはなく、新たな敵を作り出して憲法改正や財界が望む道州制に持ち込もうとするだろう。この負の連鎖を生んでいるデフレからの脱却を目指さなければならない。そのためにも社会を壊そうとするような明らかにおかしい選択肢は市民の力で潰すべきだと考える」と力を込めた

 

東京では住民サービスに大きな格差


 最後に、文芸評論化の浜崎洋介氏が登壇し、「都構想が目指している東京23区の現状は決していいものとはいえない。私は東京都練馬区在住で、小さい子どもがいるが、区によって保育料がまったく違う。例えば、発展著しい渋谷区は財政力はあるが、土地が高いから若い人が入ってこない。若者を呼び込むために保育料は異様に安くなっており、平均所得層で7000円台だ。それが江戸川区にいくと3万円台にはね上がる。どこに住むかによってすごく格差がある」と東京の現状を報告した。


 「それだけではない。練馬区の隣の豊島区は若い人が移ってこないので消滅可能性都市といわれている。だから保育園は年中定員未満でガラ空きだ。一方、家賃が少し安い練馬区には若い人がたくさん住んでいるから、保育園は常に満員だ。目前の豊島区の保育園がガラ空きでも入れない。このような分断がどんどん進むのが都構想だ」。


 さらに「コロナ禍で困ったのは、一つの会社に23区の各地から社員が通ってきているが、住んでいる区によって子どもを持つ主婦や家庭への対応がまったく違ったことだ。保育園を閉鎖するか、開園するかの判断も区によって違う。このバラバラが23区の実態だ。あたかも本当のようなデマ話が『夢』のようにに煽られることが、この2、30年続いてきた。それは政治家が選挙で勝つための自己プロモーションであり、東京でも小池都知事が同じことをやった。この流れを大阪から止めるチャンスにしてほしい」とのべた。
 

本来の地方行政の役割とは


 参加者からよせられた質問に答える形でおこなわれた後半では、「都構想」と対極にある行政や大阪が目指すべき方向性についても論議された。


 「都構想は、90年代のバブル崩壊で税収が下がり、地方公共団体が基本的に財政悪化していくというフレームの中でできている物語だ。だから“大阪都構想で成長物語”というが、本質は逆に“貧乏になったからもっと切りますよ”という物語だ。それをもって自らを既得権とは関係のない清新な改革者であるかのように装う。しかし、既得権を切られるのは住民の側だ。維新の支持層はエリート層が多いというアンケート結果がある。上空に漂いながら不労所得を得る富裕層と、地元に根を張って生活している住民の間で、都構想の是非が問われている図式だ。緊縮でケチっていくことが成果ではなく、豊かにするのが政治の役割だと強く訴えていきたい」(浜崎氏)

 


 「高度成長期とは違って、これからは成長と発展の意味合いが変わってくる。まわりを出し抜いて激しく向上と下落をくり返す経済ではなく、コロナなどのパンデミックや食糧危機、金融危機といった危機に対する集団としての対応力を上げ、みんなで乗り越えていく仕組みをつくることがが結果的には発展に繋がるという想像力を持つべきだ。大阪では南海トラフ地震などに備えてダメージを減らしていくことが行政の役割だ」(柴山氏)


 「大阪の衰退の原因は、80年代以降に本社機能が次々に東京に移ったことや、グローバル化の影響を受けて名だたる家電メーカーが中国などに移転してダメになったことが背景にある。大阪だけでどうなるものではない問題を、“大阪市をなくせば発展するのだ”というのは世迷い言でしかない。経済の成長と発展は違う。図体の大きさだけを競うGDPの向上だけを求めるよりも、その質を大切にすべきだ。大阪市には人にやさしく、心を打つ行政が展開されてきた歴史がある。先人が努力して作ってきた大阪市を理由もあいまいなまま潰すようなことを主権者としてやっていいとは思えない。カジノでもなんでもカネがもうかればいいというものではなく、一人一人が主体者となって足元から冷静に大阪市の発展の質について考えるときだと思う」(森氏)

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