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記者座談会 代議士ポストを手放さない理由 支持者と代議士の相互依存 崩壊すれば烏合の衆

 安倍首相の二度目の放り投げ辞職に、選挙区である山口4区でも多くの有権者が唖然としている。下関市役所の正面玄関には連続在職日数記録更新を祝う横断幕を掲げたばかりで、安倍事務所秘書出身の前田市長が祝賀ムードを盛り上げようとしていた矢先の出来事となった。一度ならず、二度目の放り投げ--。しかも今回はコロナ禍の重責に堪えかねた形での辞職とあって、「困ったらいつも逃げていく」「コロナ対応で政府がまるで機能していなかったあたりから、前回以上にひどい放り投げをするのではないかと思っていた」「最後は在職日数で佐藤栄作をこえることだけが目的だったのだろうか?」など、様々な思いが語られている。代議士本人は職責をまっとうできないので首相は辞するが、議員は続けると宣言し、引き続き山口4区の代議士ポストは誰にも渡さない意志をあらわしており、果たして有権者はそれを認めるのか? が注目されている。首相お膝元で民意はどのような反応を見せているのか、歴史的な経緯ともあわせて記者たちで分析してみた。

 

下関市役所に掲げられている横断幕

 

  病院通いをアピールしていたあたりから、「こりゃまた放り投げるんじゃないか?」と街の話題にはなっていた。大和町の私設秘書たちが「先生(安倍晋三)は健康ですから心配ありません」と火消しに回っていたが、案の定だった。健康不安どうこうよりも、コロナ禍の政府の立ち往生や混迷状況を誰もが感じていたし、経済的にも相当に深刻な影響が及んでいるなかで、「そろそろやらかすぞ」と薄々感じていたのが実態だ。あのマスク2枚を見て、もはや安倍政府の手に負えるレベルではないぞと--。戦後最悪の景気後退に直面して、その責任が問われる当事者になるくらいなら、放り出してしまえと気持ちが切れたのかも知れない。官僚やメディアは忖度してくれても、コロナだけは忖度してくれない。それでノックアウトされたのだろう。

 

 B 潰瘍性大腸炎が兆候があらわれたという6月以降も会食でステーキを食べたりしている。消化の悪い食べ物は御法度とされる病気なのに、本当に潰瘍性大腸炎なんだろうか? 仮病じゃないか?と見る向きもある。秘書たちが「先生は健康です!」と説明していたのはあながち嘘でもなくて、ほんとうは健康だったのだろうと--。突然、体調が急変したといわれてもちょっと説得力がないのも事実なのだ。美味しそうに焼き肉を頬張っていたじゃないかと、見ている者は見ている。

 

 C 下関市役所では県庁と横並びで連続在職日数の記録更新を祝う横断幕を掲げた矢先だった。これを下げてもよいものか、格好がつかない状態でぶら下がったままだ。「長けりゃいいってもんじゃない」と思いながら眺めている来庁者だっている。山口県知事の村岡(総務省官僚出身)にしても、下関市長の前田晋太郎(安倍事務所秘書上がり)にしても共に安倍晋三に見込まれて市長や県知事ポストをあてがわれた身だ。だからなのか、「先生、万歳!」をやって忠誠を誓うというか、40代の若き政治家たちが後ろ盾に対して気を遣っているのがよくわかる。桜を見る会を巡る前田晋太郎の擁護発言もその類いだ。今ごろは「首相を辞め、代議士まで辞められたら僕たちどうなっちゃうの?」の心境だろうと思う。自分たちが叩きあげでのし上がった地位でもなく、首相肝いりであてがわれたイスだからだ。保護者がいなくなったときには、自民党山口県連の冷や飯派も黙っていないだろうし、どのような力学が動いていくのかは注目でもある。

 

 D 前田晋太郎も心細かろうと思う。来年3月には市長選が控えているが、前回市長選でもかつがつの当選だった。現職の林派・中尾友昭が4万5546票だったのに対して、前田が4万8896票。その差はわずか3350票だった。合同ガス、サンデンをはじめとしたファミリー企業群をガチッと束ねている林派に対して、安倍派はどちらかというと地元中小零細企業のボス連中であったり、後援会幹部たちをみてもその辺の地方都市の一経営者みたいな人たちが多い。そんな両派ががっぷり四つで市長選でバトルしたら、公明党や連合をそれぞれ引きずり込んでなお、3350票しか差がなかった。互角ということだ。首相辞任で求心力を失うとなると、安倍派市長の座も安泰ではないのが実際だ。

 

市長選で前田晋太郎を応援する安倍昭恵

 

 C だから、前田晋太郎としては林派に対して相当に気を遣ってきた。中尾市長のもとで副市長や顧問職に就いていた吉川には新博物館の館長職を与え、市長降板後の中尾が叙勲を受けたのも、一説には安倍事務所の力添えだともっぱらだ。来年3月の市長選に中尾が意欲を見せているという情報が一部で飛び交っているものの、それはガセだろう。叙勲は政治活動からの引退が条件なので、再びの返り咲きなど考えられない。いわば「もう出てくるな」、つまり終わった人間の勲章として効いている関係だ。手が込んでいる。なおかつ、衆院山口3区に参院議員の林芳正の衆院鞍替えという鼻先ニンジンがあれば、林派がおとなしいのも説明がつく。手打ちが完了なのだと。さすが小商人。とはいえ、前田の支持基盤としては決して盤石ではない。前回のように、また下関市長選に保護者として安倍夫婦が首を突っ込んでまぜくるのもよい。「オレのもの」争いで私物化する姿がより浮き彫りになってわかりやすい。

 

 A 下関ではこれまで、どことなく街中で公然と安倍批判をするのははばかられる空気が支配的だった。表面的には「安倍はやめろ」「安倍政治を許さない」みたいな看板を抱えた勢力が役所前とか駅前で数人でスタンディングをしている程度で、それをみなが素通りしていく感じだ。しかし、一歩コミュニティーのなかに踏み込んでいくと、とくに5~7月あたりからだろうか、コロナ禍でみんなのリミッターが解除されているというか、とくに政治的にはフリーだけど、何となく空気を気にして発言を控えてきたような人たちほど、「マスク2枚って、ないよな」「PCR検査しろよ」「恥ずかしくて下関出身なんていえない」「もう次(代議士ポスト)はないな…」と口々に話題にし始めていた。コロナ対応に対してみんなが頭にきているし、そんな空気の変化を商店主や床屋の店主とか、日頃から不特定多数を相手に上手に付き合ってきた人たちほど実感を持って語っていた。一方で、街中には各所に「日本を守り抜く」の安倍晋三ポスターが貼ってあるから、何とも皮肉な光景だった。

 

  安倍派としても、前田晋太郎に限らずショックは大きいようだ。敵前逃亡するたびに後援会幹部たちは安倍事務所に呼ばれてメディアからの取材攻勢を受け、今回も30人はいただろうか、取材陣が大和町の安倍事務所に押しかけて大騒ぎしていた。このなかで、選挙のたびにいいように使われて、「もう知らない…」と本音を漏らす人だっている。あるいは、本紙の「コロナ禍の敵前逃亡 困った時はいつも放り投げ」の見出しを見て、「オマエら、情け容赦ないな…」と苦笑しつつ、「しかし、誰がどう見ても放り投げだよな…」と認める支持者、逆に「この見出しはなんだ! “お疲れ様”となぜ書かないのか!」と怒る人など、反応は様々だ。ただ、怒ったって腹が立ったって、辞めたのは本人なのだからこちらとしては困惑するほかない。むしろ、安倍派の幹部たちとか取り巻きの人たちの方が、実は「坊ちゃんの放り投げ」だとわかっているわけだ。苦労知らずだけに辛抱が効かないとか、困難に対して軟弱であるとか、先代の晋太郎がぼやいていた晋三評を聞いてきた人だっているのだから。

 

  首相は辞めても議員は辞めないというのも矛盾する話なのだが、4区の有権者がそれを認めるのかが焦点になってくる。安倍派としては安倍晋三を中心にした派としての塊が一つの利権になって今日まできた。主流派の権力に投機しておけば商売が安泰と見なして結集している企業群とか、安倍派に可愛がられれば出世が見込めると信じているJC(青年会議所)の兄ちゃんたちとか、地元銀行とか、父親の晋太郎の代からの熱烈な支持者とか、様々な勢力が寄せ集まった集合体だ。これらの人々にとっては、すべての人ではないものの代議士を今辞められたら困るという意識が働いている。なぜか?前田晋太郎しかり、その勢力利権によって下関なり山口4区の権力をほしいままにしてきたからだ。安倍ブランドが消えるとたちまち結集軸を失って放り出される。逆に代議士本人も議員を辞めればただの人となり、誰からも相手にされないことは目に見えている。それまで「安倍先生! 安倍先生!」といってヨイショしてきた連中も次の権力に投機していくことは明白で、だからこそ意地でも議員は辞めない関係なのだ。

 

  安倍家としては選挙区として山口4区の安倍派を利用してきたし、地元の安倍派といわれる人々も中央政界での安倍・岸家の権力に投機して、その力によって山口県の発展なりが期待できるのではないかと望みを抱き、相互依存の関係を切り結んできた。しかし、どうだろうか? 安倍派の重鎮たちも地元金融機関なども深刻な顔をして吐露するのだが、「2回も総理大臣をやりながら、地元下関はなんの恩恵も被っていないではないか…」「加計さんとか森友さんとか他県のオトモダチばかり優遇して、地元下関の支持者は選挙に利用されただけなのか…」「選挙を支えるばっかりで、ワシらは忖度されたことがないぞ」という実感が渦巻いている。それで「もう疲れた…」という。正直な実感だと思う。

 

 四半世紀もこの街選出の代議士をやってきて、なにか下関なり山口県の発展のために貢献したか? というと、「○○をやってくれた」と応えられる人がどれだけいるだろうか? という疑問だ。「関門港湾建設がもうかったくらいじゃないか!」と悪口をいう人もいるかも知れない。巨額箱物利権の頂点に君臨したり、安倍派が牛耳る市政・議会を通じて、傘下の議員や特定の企業群がいい思いをしてきたという事実はあろう。バカみたいに道路ばっかりつくっているのも産物だろう。ただ、それは個別利害であって、山口4区全体にとって、あるいは山口県全体にとって、「おかげでこのように発展した」といえるようなレガシーはなにもない。むしろ代議士連中が中央政界で大きな顔をするのと引き替えに郷土に極東最大の米軍基地を押しつけられたり、上関原発計画を抱えたり、イージス・アショアの配備計画が押しつけられたりして、県民との矛盾を深めてきた。国策に郷土が蹂躙されてきた関係だ。

 

  そもそも安倍晋三にとって、山口県は郷土でもなんでもない。選挙区というだけだ。生まれも育ちも東京で、本人の意識としては母方の岸家への尊敬の念はあっても、もう一人の祖父である安倍寛への意識は乏しいのではないか。父親の晋太郎は油谷町出身で、まだ地元出身といえたが、晋三の場合、夏休みに東京から海水浴に遊びに来て、それを地元私設秘書たちが世話していたとか、その程度の関わりだ。世襲で地盤、看板、カバンを引き継いだのが山口4区というだけなのだ。従って、安倍晋三の後釜として実兄の子息に山口4区を引き継ぐという「安倍洋子の悲願」「安倍家の決定」なる情報も駆け巡っているが、安倍派以外の一般の有権者のなかでは、いつまで世襲で選挙区を私物化するのかという思いも鬱積している。いい加減にしやがれ! と。

 

安倍・林支配の危機

 

  安倍晋三の代議士デビューは1993年の中選挙区時代最後の山口1区。中選挙区時代の山口1区は4人の代議士を輩出していた。旧社会党が1議席を温め、残りの3議席を安倍晋太郎、河村建夫(田中龍夫の後継)、林義郎がしのぎを削って奪い合っていた。それが小選挙区になり、林義郎が比例に回ることを条件に選挙区である山口4区は安倍晋三に譲り、棲み分けることとなった。息子の林芳正が万年参議院に甘んじることになった因縁の棲み分けでもあった。ただ先にのべているように、地元下関では安倍派も林派も4万票そこらの基礎票で互角に渡り合っている。これらが持ちつ持たれつで利権を分け合いながら、国政選挙では共闘することで保守王国は成り立っている。半数の有権者が選挙を棄権することが前提ではあるが--。

 

 近年は、中央政界で安倍晋三が権力を握るのと比例して、どちらかというと林派が押され気味だった。江島潔が退場をよぎなくされた市長選で隙を逃さずに連合&林派タッグでポストを奪取したものの、2期で中尾は降板に追い込まれ、市議会の仲間たちも今では“すみっこ暮らし”状態だ。

 

下関市長選直前の林芳正新春の集いで挨拶する中尾友昭

 

 A 首相になってからの8年で、自民党山口県連の力関係も中央政界の権力によって安倍派一人勝ちみたいな状況になってきた。歴史的には自民党県連のなかでは県東部の方が力が強かった。今でも県議会議長は東部出身の県議が歴任しているし、それこそ安倍派の友田有(下関選出)が首相の口利きみたいな形で議長ポストを狙ったが、あえなく失敗に終わったこともあった。すべてが思うようにいくわけでもない。

 

 しかし、第二次政権発足後、代議士では山口1区の高村正彦が自民党副総裁の座をあてがわれ、2区は実弟の岸信夫、3区の河村建夫も自民党選挙対策委員長、林芳正も大臣を任せられるなど中央での要職を与えられ、均衡が崩れたかのような状況になった。それまで参院山口選挙区の2議席は一つが県西部、もう一つが県東部のイスだったのに、林芳正に加えて東部枠に江島潔(元下関市長)をねじこみ、さらに比例では岸系列の北村経夫(産経新聞記者出身、田布施・北村教の子息)も加えた。県知事も山本繁太郎が急逝した後、総務省官僚だった村岡を配置したのも安倍人事といわれ、当選翌日に下関の安倍事務所詣でをするような関係だ。

 

 山口県政界は、すっかり安倍の天下になったかのような様相でもある。そして、山口県だけでは飽き足りなかったのか、隣県の広島まで手を出し始め、安倍事務所の秘書軍団が指揮を振るった河井案里の参院選で例の如く大買収事件が発覚している。

 

  ちなみに、最近の自民党総裁選で首相の禅譲狙いだった岸田文雄(宏池会)を見ていると、この街で忸怩たる思いで万年二番手に甘んじてきた林芳正(宏池会)とそっくりに見えて、何ともしれないいじましい印象がする。下関の林派関係者のなかでは、むしろ「芳正が意気地がない」「林派がしっかりしないから、安倍派の好き放題がまかり通るのだ」と自派批判もくすぶっている。そして、いよいよ3区転出が話題にされるなかで、「長年支えてきたオレたちを放り投げて選挙区を変わっていくのか」という意識も動いている。こちらもまた、安倍ブランド解体の危機にある安倍派と同じだ。いっそのこと、どちらも解体してしまったらどうかと思う。ガチガチの安倍・林支配とそのもとでの小さな個別利害の奪い合いみたいなものが、この街の桎梏になっているような気がしてならない。

 

 B 山口県については現在の衆院1~4区を1~3区に再編成する動きが始まろうとしている。いずれ1、2、3区になるわけで、代議士連中も生き残りをかけたポスト争いが避けられない。4区安倍晋三、3区林芳正と棲み分けたとしても、そんなものは永遠のものではないということだ。これらの代議士が郷土の発展のためにはなにも尽力しなかったから産業の衰退や過疎高齢化が深刻なものとなり、おかげで自分たちも選挙区再編の憂き目にあっている。「郷土を発展させられない者が、日本社会全体を発展させられるわけがない」と年配の支持者からよく聞くし、「芳正も晋三も、義郎や晋太郎とはまったく違う」「自民党は変わってしまった」と長年の年配の支持者の気持ちが離れているのも特徴だ。

 

 郷土の実情が国政に反映され、ボトムアップで代議士を通じて政策を実現していくという営みがなくなり、選挙区の人間は世襲政治家の選挙マシーンとして使われているだけという印象だ。国会も浮き上がっているが、代議士もそのように宙に浮いている。実は支持基盤は脆(もろ)いぞと実感するのは、市議会を見ても端的だが、そういう綻びが各所に露呈しているからだ。世代も変わっていくなかで選挙区の意識の変化も起こっている。ケチって火焔瓶とか、敵対する勢力を恫喝して潰すことで下関の安倍一強は保ってきた側面もあるが、旧政治の残存物がいっきに瓦解していくことだってあり得る。

 

  第一次政権の放り投げの3カ月後に、安倍地元後援会の幹事長(享年60)が急逝した。近しい人々のなかでは自殺説も飛び交っていたが、その後経営していた環境ベンチャー企業が100億7000万円もの負債を抱えて倒産し、みなを驚かせた。資本金5000万円、従業員17人ほどの企業に対して、いくつもの銀行が無担保無保証で融資していた実態が浮き彫りになったが、メディアもいっさい黙殺して、各金融機関がこっそりと損金処理して蓋をしてしまった。

 

 融資について積極的に音頭をとったとされる山口銀行は11億7000万円、同行のグループ企業である山口リースが3億4300万円、続いてもみじ銀行が9億4900万円、広島銀行8億6800万円、みずほ銀行7億8300万円、商工中金6億9900万円、福岡銀行6億8000万円、三菱東京UFJ5億3900万円、三井住友銀行5億円、山口県信用保証協会2億5900万円、日本政策投資銀行2億3100万円、十八銀行2億2500万円、西中国信用金庫2億円、西京銀行1億円と、当時の債権者リストを見るだけでもすごいものがある。ほかに、鹿児島銀行、伊予銀行、福岡ひびき信用金庫、西日本シティ銀行、中小企業金融公庫などの名前もあった。金融機関の債権額だけでも70億円をこえた。安倍代議士の出身企業である神戸製鋼の関連企業・神鋼リースも2億8000万円の債権を抱え、地元安倍派の建設会社は銀行と肩を並べて5億1300万円も背負い込み、その後倒産した。

 

 なぜ、金融機関は異様なる融資合戦をくり広げたのか? 当時銀行関係者に取材したなかでは、「山口銀行が音頭をとって、みなが続く形になった」と話され、国が奨励する“環境ベンチャー”で、政府からの補助金がドカドカ投下される状況が呼び水になったといわれていた。そして、「無担保、無保証で融資していたから、損金処理するほかない…」「政治絡みだったので、経営審査なしだった」とか、信じがたいような話のオンパレードだった。しかし、何に使ったのか分からないけれど、無担保無保証のカネはどこかで使われ、最後は幹事長が急逝してなにも表沙汰にはならなかった。政治家に迂回して回っていたのではないか? という疑問を皆が抱えていたが、有耶無耶になった。

 

 A 今回の放り投げについても、「トヨちゃんの二の舞になるような企業や関係者が出なければいいが…」と安倍派に関わっている人間ほど心配そうに語っている。死人だけは出すなよと思う。

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