インド洋に浮かぶ島国モーリシャス沖で7月26日、国内海運大手の商船三井が運航する大型貨物船「わかしお」(全長約300㍍、重量約10万2000㌧)が座礁し、船体から1000㌧をこえる重油が流出して国際問題に発展している。現地では、約127万人が暮らす島の生活環境や世界有数のサンゴ礁が生息する豊かな海洋資源を大規模に汚染する事態となり、モーリシャス政府は「環境緊急事態」を宣言した。国際的信用にかかわる大事故であり、当事者である船主、運航当事者並びに日本政府の早急な対応が求められている。
「わかしお」は2007年に竣工され、長鋪(ながしき)汽船(本社・岡山県笠岡市)の関連会社が所有する貨物船で、船籍はパナマ。商船三井がチャーターし、積み荷を積載しない状態で中国からシンガポール経由でブラジル方面に向かっており、船には動力源としてディーゼル燃料200㌧’(軽油)とバンカー燃料3800㌧(重油)を積載していた。事故当時は、船主である長鋪汽船が手配したインド人3人、スリランカ人1人、フィリピン人16人の乗務員計20人が乗船しており、全員救出された。
9日に会見した商船三井によると、「わかしお」はモーリシャスの陸から20㌔以上離れて進む予定だったが、実際には陸からわずか2㌔弱の至近距離にある岩礁に乗り上げた。現地捜査当局の調べに乗務員3人は、事故前夜に船員らの誕生パーティーを開き、「WiFi(無線LAN)に接続するために島に接近した」とものべているほか、「陸地に衝突するコースで航行していた」との報道もある。事故後、船員らは離礁を試みたものの「悪天候」で作業がはかどらず、2週間後の8月6日に燃料タンクに亀裂が入り、重油1000㌧余りが流出。座礁地点は、国際的に重要な湿地保全を目的にしたラムサール条約の指定地域でもあり、希少なマングローブが自生する湿地帯が広がり、海洋公園や自然保護区もある。湿地帯から沿岸地帯におよぶ広範囲に広がった汚染は、モーリシャスの主要産業である漁業や観光業にも深刻な打撃を与えている。
同国首相は7日に「環境における非常事態」を宣言し、「われわれは座礁船を引き揚げる技術を持ち合わせていない」として、かつての宗主国であるフランスに支援を要請。フランスは8月10日までに国防省の指揮の下に海軍を出動させ、150㌔離れた仏領レユニオン島から重油処理設備を現地に運んだ。現地では住民やボランティアなども出動し、仮設のオイルフェンスを設置し、沿岸まで到達した重油をバケツで汲み上げる作業に追われている。
海難事故の責任を規定する「船主責任制限条約」と「バンカー条約」によると、海洋での油濁事故の場合は、第一義的に船の所有者が賠償の義務を負っているが、事故原因の全容や損害の規模もいまだ明らかになっていない。運航者である商船三井は、11日に社員6人を現地に派遣したと発表しているがコロナ対策による外出制限で作業にあたれず、12日に現地の首相が「船内に残っていた重油の回収は完了した」ことを明らかにした。
国際的な非難が集まるなかで日本政府・外務省は、6人の国際緊急援助隊・専門家チームを派遣するとしたものの、対応の遅れが指摘されている。近年では、2013年に商船三井が運航するコンテナ船「MOLコンフォート」がインド洋で座礁し、船体が真っ二つになって漂流する事故が起きたほか、日本国内でも2018年にドイツ海運大手オルデンドルフ社の貨物船が瀬戸内海で山口県周防大島の橋梁に衝突し、水道管を破損させるなど前代未聞の事故があいついでおり、海運をめぐる安全基準の崩壊が指摘されている。
国際航路の機関長を長年務めた下関市内の男性は、「モーリシャス付近は無数の岩礁がある危険な海域として知られ、島嶼部からはかなりの距離をとって航行しなければ安全は確保できない。至近距離では急な海流の変化や台風に襲われたら大型船の進路変更は難しいので、通常であれば立ち入らない場所だ。それらは海図をきちんと読み解くことができれば判断できることであり、乗っていた船員の国籍からすると、人件費を抑えるため正しく海図を読むこともできないレベルの乗員を乗せていたことが原因ではないかと思われる。さらに危険海域を航行するさいは、経験豊富なオーシャンパイロット(水先人)を雇う必要がある。重油流出は船会社にとっても多額の損害賠償が伴うため、とくに慎重さが求められるが、船員不足を補うために技術力のない未熟な船員に委ね、安全確保が二の次になっていたのではないか」と指摘する。
また「以前は日本船舶の安全基準は世界的にも厳しく、70年代に海洋汚染防止法が制定されてからは、船内で出た油や汚染水を処理するための船内焼却炉を世界に先がけて設置するなど海洋汚染に対していち早く対応し、世界的な信用も高かった。日本の船長や機関長たちは定年後も米国をはじめ世界の海運会社に派遣され、航海技術を普及する立場にあったほどだ。それが、国内で船員を養成せず担い手不足になり、ろくに技術も習得していない外国人を低賃金で雇い入れるようになったことで質の劣化が著しく進んだ」とのべた。
とくに近年は、船員の人材派遣業者として知られるマンニング(船員配乗)業者に依頼するケースが増え、需給バランスを見ながら船員コストを恣意的に上下させて利潤を確保するコスト第一主義が安全基準を低下させてきたことが指摘されてきた。周防大島での橋梁衝突事故も、海図すら読めないインドネシア国籍の船長らに運航を委ね、水先人も乗船させていなかった。
国内では前述の法制度に基づき、「船主が負担する賠償額が20億円程度に抑えられる」「保険によって最大10億㌦の上限がある」との責任回避論が飛び交っているものの、道義的な責任を放棄すれば日本船舶に対する国際的な信用失墜は免れず、同様の事故がいつでも起こりうる海洋国・日本の将来にとっても対岸の火事では済まされない。腰の重たい日本政府に対しても、「海賊対策や米軍艦の護衛にはすぐに自衛艦を派遣するが、動くべきときに動かない。オルデンドルフ事故でも賠償に上限が設けられ、地元が多額の損害を被ったが国は他人事を決め込んだ。今後同じような事故を起こさせないためにも、このような事態に国として誠実に向き合うことが最大の安全保障ではないか」と批判の声があがっている。