ここ数年、毎年のように日本列島を豪雨災害が襲っている。今年も熊本県南部や、福岡、長崎、佐賀県などで深刻な被害が報告されている。予測が困難といわれる線状降水帯による自然災害ではあるが、国の治水対策が住民の生命や財産を守るうえで十分だったか否かは厳しく問われなければならない。とくに熊本県南部を襲った集中豪雨で大きな被害が出たのは球磨川の流域であり、そこでこの間、国がダム利権を優先して住民の治水要求を放置してきたことに批判の声が上がっている。
球磨川は日本三大急流の一つで、「暴れ川」と呼ばれ、歴史的に何度も水害をひき起こしてきた。ここで国が九州で最大級のダムをつくる計画を発表したのは1966年のことだ。ライターの高橋ユリカ氏が著した『川辺川ダムはいらない 「宝」を守る公共事業へ』(岩波書店)は、水害防止のために奮闘する住民と国との歴史的な攻防をルポしている。
市房ダムの放流で被害拡大 1965年の洪水
きっかけは1965年7月3日の大洪水で、81世帯が家を失い、半壊984戸、床上浸水1433戸(死傷者数は未発表)にのぼったことだった。これについて住民は、連日の大雨ですでに床上浸水していたところに、突然球磨川上流の市房ダムから放流が始まり、それが水位を急上昇させて被害を拡大したといっている。これまでも球磨川の下流域は数年に一度の大水で水に浸かるが、1959年の市房ダムの完成までは増水が生命の危険を脅かすことはなかったという。「ダムがなければこの惨事は絶対に発生していない」として被害者市民大会までおこなわれた。
ところが直後の8月2日、瀬戸山建設大臣(当時)は「球磨川の大水害を防ぐ」といって、熊本県や周辺自治体に知らせないまま川辺川ダム計画をうち出した。
計画の趣旨は「80年に一度の、2日間で440㍉の雨が降る豪雨災害にあったとき、球磨川の流量は7000㌧になり、河道に流れる最大流量より3000㌧多い。それを調節するには河道掘削では不可能で、ダム以外に方法はない」というものだったが、その数字には科学的根拠がないと専門家が指摘している。
農漁業者は半世紀以上ダム建設に反対
地元の住民たちは、半世紀以上にわたってこの計画に反対してきた。
まず立ち上がったのが、65年大水害の被害者たちだ。地元消防団を対象に2007年におこなわれたアンケートでも「ダムは役に立たない」が12%、「ダムは被害を増長させる」が51%だったというから、地元で語り継がれてきた歴史の重さの一端がわかる。
また、国交省はダムからの水で地元農業の利水計画を立てさせようとしたが、地元の農家は「ダムの水はいらない」といい、対象農家4240人の3分の2同意は得られなかった。
次いで地元の漁師が反対に立ち上がった。球磨川漁協(組合員1800人)は、総会で二度にわたって総額16億円の漁業補償交渉を否決した。春に不知火海から球磨川に昇ってくる鮎はこの地域のブランドだが、市房ダムができると川が変わって鮎の餌となる苔が生えなくなり、川辺川にもダムができれば壊滅となるからだ。
さらに「森林の乱伐が洪水をもたらした」ということが地元住民の共通認識になっているという。1960年頃から大手製紙会社が紙パルプの原料として上流の大規模伐採をおこない、そのことが山を荒廃させ保水力を失わせたからだ。流域の人吉市議会は1970年にこれに警鐘を鳴らす「球磨川と自然を守るための宣言」を決議している。
こうした粘り強い住民運動のなかで2008年、熊本県知事が川辺川ダム計画の白紙撤回を表明。それに先駆けて人吉市長が白紙撤回を、相良村長が反対を表明した。住民たちは河川改修の放置を批判し、ダムありきでなく、川幅を広げる河道整備、河床に堆積した大量の土砂の浚渫(しゅんせつ)、堤防の整備、遊水池の整備、森林の間伐による保水力の向上などを要求してきた。
だが当時の民主党政府は中止をいいつつ、国交省は計画を廃止せず、ズルズルと先送りした。国は10年以上も河川改修をサボり続け、その結果が今回の豪雨災害になったのだから、地元が憤るのも当然である。
とどのつまり、巨大ダム以外の治水工事なら請け負うのは地元企業だが、3300億円の予算がついた巨大ダムは東京の大企業しか請け負えないので、そこへ誘導したいがために地方の住民を犠牲にしたというものでしかない。
ダムのために堤防は崩れる 八ッ場ダム評価も
関連して、拓殖大学教授の関良基氏が、昨年の台風19号の水害の経験から、「ダムのために堤防は崩れる」という文章を『季刊地域』№41(農文協)に寄稿している。
水害が発生するたび、スーパー堤防のおかげで地域が水害から守られたとメディアが報道する。ところが関氏によると、それは何の科学的根拠もないものだ。
たとえば昨年の台風19号から首都圏を救ったヒーローのようにいわれる八ッ場ダムだが、八ッ場ダムは利根川中流に位置する埼玉県久喜市の栗橋地点で17㌢ほど水位を低下させたにすぎず、仮に八ッ場ダムがなくても栗橋の堤防は決壊しなかった。八ッ場ダムは、広大な利根川流域の一支流でしかない吾妻川の上流にある。八ッ場ダムの集水域は、利根川流域全体の4・2%しかない。
一方、利根川中流域では土砂の堆積で河床が上昇しており、河道掘削がここで十分におこなわれていれば、台風19号のさい水位を70㌢下げる効果があったという。建設費5300億円の八ッ場ダムよりはるかに安くできる方法があるのだ。
もう一つ、台風19号では全国140カ所で堤防が決壊した。実は日本の堤防は基本的に土の塊で、下の方は遮水シートを張り護岸ブロックを敷き詰めて水で浸食されないよう防護されているが、それをこえると破堤する。国交省は1998年、水が越流しても簡単には破堤しない「耐越水堤防」を広げる方針を決め、工法も定めたが、2年後に中止してしまった。なぜなら、もし堤防が破堤しなくなると、上流にダムを建設する理由がなくなってしまうからだ。
関氏は旧建設省OBの証言として、「堤防が決壊すれば国交省は予算を確保することができる。国交省の役人は今回のように決壊するのは都合がいいと思っているのだ」というコメントを紹介している。それで犠牲になる方はたまったものではない。国民の生命より目先のカネを優先する今の社会構造、大企業に奉仕する国家機構のあり方に根本的な問題がある。