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『救急車が来なくなる日』 著・笹井恵里子

 本書はフリージャーナリストの著者が全国の救命救急の現場を密着取材してまとめ、昨年8月に発行された。日本では24時間365日、救急車は要請があれば現場に駆けつけ、ケガや病気で苦しむ患者に適切な処置をおこないながら救急医療機関に運んできた。この日本の救急医療が危機に瀕しているという。

 

 まず、1年間に救急車で救急搬送される約573万人のうち、65歳以上の高齢者が約337万人と6割近くを占める(2017年)。90年代には20代~50代の現役世代が5割以上を占めていたが、それが逆転したわけだ。なかでも75歳以上が飛躍的に増加しており、団塊の世代が75歳以上になる2025年には救急車を呼んでも「近隣の救急車のすべてが出払っている」となりかねないという。

 

 次に、119番に通報してから救急車が現場に到着するまでのレスポンスタイムが年々延び続け、2017年は全国平均で8・6分になった。容態の悪い患者にとって、数分の延伸は命とりになりかねない。心肺停止となった患者は、救急隊による蘇生開始までの時間が10分を過ぎると生存率や社会復帰率が低下するといわれている。東京都のレスポンスタイムは全国ワーストの10・7分だ。

 

 さらに救急車が到着しても病院に受け入れを断られることが多く、救急患者のたらい回しとなり、119番してから病院収容までのトータルの時間も延び続けて全国平均で39分。これも東京都が全国ワーストで50分となっている。

 

 このように救急医療が回らなくなっている原因は何か? 政府は「救急車の適正利用を」というけれど、現場の医師は「タクシー替わりに救急車を利用しているのはごく一部」だと口を揃える。

 

 実際には、救急医療を担う医師が圧倒的に足りないし、高齢化も進んでいる。救急医は外科治療を多く含むが、ある医師は「外科は一人前になるまでの時間も長いし、歳をとると目が見えづらくなったり、立ちっぱなしの長時間手術がつらくなる」という。救急は24時間体制が基本だが、50~60歳になって当直を続けるのには不安がある、と。各地の病院では救急医療に従事する医師や看護師の不足から、救急部門を閉鎖するところが出ているほどだ。

 

 また、急性期の重症患者の診断と初期治療をしたうえで専門の医師につなぐ救急科専門医が少なく、各診療科の医師が当番制で救急診療に当たっている病院が多いが、そこから当直医の専門外の症状を訴える患者は断られてしまいがち、という問題もあるようだ。

 

 さらにベッドが足りない。人口10万人当りの病床数は全国平均で1229床だが、とくに人口が集中する首都圏では、神奈川県で808床、東京都942床、千葉県944床、埼玉県852床と、大幅に少ない。全国でもっともベッドが少ない神奈川県では、2025年には必要病床数が約1万1000床不足すると推計され、横浜や川崎北部、横須賀では増床が検討されている。そして、ベッドが満床のときは救急患者は受け入れられない。

 

 政府・厚労省は医療費削減ありきで、医師も看護師もベッドも減らしてきた。病院はベッド数に対して医師や看護師の数の縛りがあり、患者が来なければもうからないシステムになっているので、地方ほど病院経営は困難だ。

 

ある医師の姿 「分け隔てなくひたすら治療」

 

 著者の目は、緊迫感ただよう救急の現場に釘付けになる。あるとき、70代の呼吸困難な女性が救急車で運ばれてきた。顔色は土気色。独居老人で1週間水分しかとっておらず、ひどい脱水症状を起こしている。近所の人が新聞がたまっていることを不審に思って入って見ると、室内に倒れていた。発見が遅れていれば亡くなっていたはずだ。身寄りの者は誰もいない。

 

 けれどもこの病院では医師が声をかけ、看護師たちが身の回りの世話をし、社会福祉士が生活保護申請の援助をする。「本来医者とは、目の前の病気やケガで苦しんでいる患者さんを分け隔てなく、ひたすら治療するのが仕事です」という医師の言葉からは、なみなみならぬ決意が感じられた。

 

 救急医療は地域社会全体のインフラであり、もしものときのセーフティネットである。それは今、政府の医療切り捨て政策のもとで崩壊の危機にあるが、現場の医師や看護師たちの献身的な努力でなんとか持ちこたえている。救急車を呼ぶだけで数万円、救急車の中で受ける応急処置も有料で、医者にかかれば何百万円と請求されるアメリカのような社会にしないためにも、政府は公共的・社会的性格をもった医療システム整備のために必要な予算を投じなければならない。それは今回の新型コロナウイルス蔓延の経験から、ますます切実な課題として浮上している。    
     

 (NHK出版新書、202ページ、定価800円+税

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