日本では改定水道法の成立によって水道の民営化が可能になったが、世界に目を向けると、水道の民営化がおこなわれていた国々で水道を再公営化する波が広がっている。しかもその速度が2010年以降加速しているという。2017年時点で世界33カ国・267自治体が再公営化を決めており、水道以外の電力、地域交通、ゴミ収集、教育、健康・福祉サービス、自治体サービスの再公営化の動きも顕著で、水道とあわせて世界で1600以上の市町村が再公営化を果たしている。
「公的セクターは効率が悪いから、公共サービスを民間企業に任せて経費を節約すればよい」という「新自由主義の神話」のウソが広く暴露され、民間企業によるもうけのための事業をやめさせて、公共サービスを市民の手にとり戻そうとする運動が活発になっている。アムステルダムに本拠を置くNGOトランスナショナル研究所研究員の著者が、本書でいきいきとそのことを報告している。
フランス・パリでは水道料金265%も値上がり
最初の例は、ヴェオリア社とスエズ社が本社を置く水メジャーのお膝元、フランスのパリだ。パリで近代的な上下水道が整備されたのは19世紀半ば、ナポレオン3世の時代で、以来パリ市が水道事業を運営してきた。1985年、のちに大統領となるシラクがパリ市長のとき、ヴェオリア・スエズ両社と25年間のコンセッション契約を結び、水道を民営化した。
するとパリの水道料金は、2009年までに265%値上がりした。また両社が提出する財務報告も不透明なもので、市が両社の経営を監督するという条項は機能しなかった。そのなかで水道の再公営化を求める市民運動が起こり、それを公約に掲げた市長が当選して2010年、水道事業の再公営化を決めた。
公営化の担い手となった水道公社「オー・ド・パリ」は、初年度から3500万ユーロ(約42億円)もの経費を節約し、それを原資に水道料金を8%値下げした。経費節約が可能になったのは、株主配当や役員報酬の支払いが不要になったことと、収益を親会社に還元する必要がなくなったことによる。また、運営するなかで、両社が長年7%と説明してきた利益率が、実は15%近くあったことが判明した。値上げなどまったく必要なかったことになる。いかに多くの利益が株主や水メジャーに吸いとられていたかである。
「オー・ド・パリ」の理事会は、市議、労働者代表、市民組織代表で構成され、その市民組織の一つが、パリ市民なら誰でも参加できる「パリ水オブザバトリー」で、財務・技術・水道政策など開示される情報に随時意見をのべている。再公営化の後は自治体にお任せ、というのではいつ民営化路線に戻るかもしれないので、パリでは市民の恒常的な関与を重視しているようだ。
「オー・ド・パリ」はまた、長期にわたる水源保全活動をおこなっており、その一環として、水質維持のために水源地と周辺の農家に補助金を出して有機農業を推奨している。再公営化が地域の農漁業振興ともつながっているわけだ。それができるのも、再公営化で利益の大半を再投資に回せるようになったからだ。
イギリスでは若者を中心とした市民運動
次の例は、新自由主義とPFIの総本山、イギリスである。イギリスでは1980年代に保守党のサッチャーが、それまで国有だった電気、石油、ガス、鉄道、航空、郵便を民営化し、総仕上げとして水道事業を1989年に完全民営化(運営権だけでなく、水道施設所有権も含めすべてを民間企業に売却)した。続く労働党政権時代には、公共事業のPFI化がピークになった。
それが今、「水道民営化は組織的な詐欺」といわれるまでに世論の転換が起こっているという。民営化から28年たった2018年、10の民間水道会社は合計510億ポンド(約7兆1400億円)もの債務を抱えるに至ったからだ。なぜか?民間水道会社は株主に巨額の配当金(年平均で18億1200万ポンド<約2537億円)を支払うために借金をくり返し、借金と膨らむ利子の返済に水道使用料金を使い続けたからだ。ある民間水道会社がタックス・ヘイブンを利用して、過去一〇年まったく税金を払っていなかったことも暴露された。そのほか、経営陣への高額報酬、インフラの更新や整備に金を使わないことも問題にされた。上下水道料金の高騰で、水道料金の支払いができない世帯が1割をこえた。
こうして公共サービスを自分たちの手にとり戻したいという市民の願いが高まり、若者が中心となって生まれた草の根の政治運動「モメンタム」をはじめ、各地で草の根の市民運動や研究者たちの活動が活発化した。そのなかで今年1月、保守党は分割・民営化されていた鉄道の北部地域網の再国有化を決定した。
そのほか反新自由主義、反緊縮の運動の高まりのなかでポデモスを誕生させたスペインでは、それぞれの地域にポデモスと緩やかに連携する地域組織が生まれている。その一つが水の運動のなかから生まれた「バルセロナ・イン・コモン」で、2015年の地方選挙では水道再公営化や住宅問題の解決を掲げ、定数41議席中11議席を獲得して第一党になった。著者はこの運動について、議会のなかから政治や政策を変えていく人と、議会の外で草の根の立場から政治を監視し市民運動を広げる人たちとの間に、健全な緊張関係を保っていると指摘している。
もちろん再公営化は、グローバル企業やそれを支える国家、EUとのたたかいであり、困難がともなうのは当然だ。しかし、水道再公営化の運動が、市民の手に真の民主主義をとり戻す運動に発展していることは注目に値する。欧州を叩き出された水メジャーが次なるターゲットを日本に絞っているなかで、多くのヒントを与えてくれる本だ。
(集英社新書、216ページ、定価820円+税)