下関市の梅光学院大学で、選定基準が不明なまま図書館の蔵書が大量廃棄されている問題をめぐって、「梅光学院大学図書館を守る会」の文学者や研究者などが16日、抗議声明を発表した。同日、有志代表の渡辺玄英(元梅光学院大学文学部准教授)、武部忠夫(劇団「海峡座」演出家)、村田喜代子(元梅光学院大学文学部客員教授)、安道百合子(元梅光学院大学文学部教授)、賛同者の中原豊(中原中也記念館館長)、松下博文(筑紫女学園大学文学部教授)の6氏が記者会見を開いた。抗議声明には全国の文学者や研究者、詩人など文化に携わる106人(15日現在)が賛同者として名を連ねている。
声明は、同学院による所蔵図書の無秩序な廃棄は「文化破壊(焚書)」であり、学問研究・教育現場への冒涜だと指摘。伝統あるミッションスクールとして建学の精神に則り、堅実に150年の歴史を刻んできた梅光学院の歩みの結実が大学図書館の蔵書であり、とくに日本文学、英米文学、英米語学、キリスト教関係の書籍は、西日本はもとより全国でも類を見ない高いレベルの質と量を誇っているとしている。
貴重な図書が数多く含まれているにもかかわらず、紀要・研究論文・学術雑誌を含む大学図書館の蔵書を無基準に大量に廃棄している事実について、「学生や教職員のみならず、広く地域の『知』に貢献すべき大学図書館としての機能を著しく逸脱していると言わざるを得ない」とし、ただちに無秩序な図書廃棄を停止し、本来の大学図書館にふさわしい運営をおこなうことを求めている。
また、この抗議声明は同大学図書館の問題にとどまらず、「現在の人文系学術研究や文学をはじめとする言語文学を軽視し、それらを目先の経済価値で判定する功利主義的風潮に対する強い異議申し立て」であり、学問や文化の実利的側面のみで、人類の文化文明が成立しないことを強調。「未来の社会のためにも、過去の文化を継承し、検証し、その価値を現在のものとして問い続ける営為は、来るべき社会の指針であり文化基盤といえる。文化破壊(軽視)は未来への犯罪だ」と訴えている。
同会は大学側に、どのような学内協議と手続きによって廃棄が決定されたのか回答を求めている(3月31日まで)ほか、具体的な改善の要望として①無秩序な廃棄を即刻辞めること、②学生と市民、学術研究にとって必要な図書の保全を図る(廃棄しない)こと、③やむを得ず廃棄をする場合は、廃棄の前にほかの大学・高等学校・研究機関・図書館等への寄贈の努力をすること、を求めている。
今年から予告ないまま廃棄
梅光学院大学図書館では、2017年度から重複本の廃棄が増え始めていたが、今年に入ってその動きが加速し、図書館入口に大量の廃棄本が積み上げられる状況が続いてきた。以前は教授会に除籍本一覧が開示され、研究者などに譲る手続き期間を数カ月~1年程度もうけるなど、慎重な除籍処分がおこなわれていたが、2019年後半ごろから教員に対する予告が徐々に減り、今年に入ってからは予告のないまま廃棄されるようになってきたという。
今回、全国の各大学や学部、学会の研究論文などを掲載した「紀要」(推定7万~8万冊)がすべて廃棄されたほか、史料価値の高い「新聞縮刷版」、研究者にとって必須の蔵書や、驚くことに江戸後期に刷られた版本も含まれていた。また、言語学のうえで資料価値を持つ辞書・辞典類、学生に需要が高い大型辞典や図鑑、日本古典文学大系、シェークスピア全集などが廃棄された。学生や教職員が廃棄本の山から発見したなかには、太宰治の著書の初版本や大学側が依頼して寄贈を受けた「贈呈本」も多数含まれていた。厳重に管理されてきた故佐藤泰正元学長の蔵書類も廃棄処分になっている。
記者会見で安道百合子氏は「紀要」について、梅光学院大学は文学部があったほか、早い時期に博士課程まで持つ大学院を設置したことから、近隣の他図書館にないほど豊かに保有しており、教員や、大学院生が研究するうえで欠かせない雑誌だったと強調した。近年リポジトリ公開の動きが進んでいるが、これまでに消滅した学会もあるほか、経済的にゆとりのない大学や学会の場合、電子公開しない雑誌もある。古典文学の場合、鎌倉期、室町期、江戸期の和書を紹介する研究論文も、その多くが最初は紀要で発表されるとし、「資料的価値を持つ雑誌などの精査をしない限り、すべてを廃棄することは暴挙といってよいと思われる」と指摘した。
中原豊氏は、文学関係の資料を収集し、保存し、後世に送る仕事をしていることから、看過できない問題であると感じ、知人などに賛同を呼びかけたという。賛同者が106人まで広がった要因として「昨今の学問軽視、文学を代表とする言語文化を軽視する風潮が、一大学をこえて広く日本に蔓延しているのではないかという危機感」をあげ、「“自然は先祖からの贈り物ではなく子孫からの預かり物である”という格言があるが、文学資料もまったく同じだと思う。本を手にとる権利は今いるわれわれだけでなく、未来の読者にもある。われわれは未来の読者に対する責任も負っているのではないか」と投げかけ、無秩序な廃棄の停止を訴えた。
小説家である村田喜代子氏は、「小説は非常に具体的であり、書店の情報だけで書くことはできない」とのべ、過去の研究者や個人が残した書物が創作のうえでも欠かせない存在であることを強調。「東の二松学舎、西の梅光学院」といわれるほど、梅光学院大学の図書館が充実していたことを紹介し、図書館や司書を軽んじる風潮に警鐘を鳴らした。また、「本は大学だけのものではなく、日本国の歴史が詰まっているものだ」とのべ、1914年の開学から長い歴史のなかで営々と積み重ね集めた本を、わずか数年トップに立っただけの経営陣の判断で廃棄することはできないと指摘した。
下関市民として名を連ねた武部忠夫氏は、金子みすゞ発掘への寄与や、全国の遺跡保護の基準に一石を投じた綾羅木郷台地遺跡事件など歴史的な業績とともに、佐藤泰正氏が地方の大学のプライドを持って築き上げた同大学は「市民にとっても誇り高い大学だった」と、現状への懸念を示した。また「世阿弥の芸術論の全体像が見えたのは、明治の終わりに安田源次郎のコレクションのなかから書物が発見されたからだった。図書館の片隅のだれも手をつけない本に未来のだれかが触手を伸ばし、人間が積み重ねてきた知恵の集積を見つけるのではないか。今回の図書館の事件はさまざまな警告を促している気がする」と話した。
松下博文氏は、客観的な立場から大学のコンプライアンスの問題として提起。学校教育法や私立学校法、大学設置基準などの法令に沿って大学運営がなされていないのではないかという懸念を表明した。蔵書廃棄の経緯にも、法令で定められた規程に抵触しているとみられる点が多々あり、「今の状況は大量の蔵書の廃棄にとどまらず、学院の運営に大きな問題があるのではないかと危惧している」と話した。来年、梅光学院大学は7年に一度の公益財団法人日本高等教育評価機構の認証評価を受ける年に当たり、この結果が不合格になれば大学運営にとって打撃となると指摘した。
「スペースは有限」と大学側
梅光学院大学は、「図書館のスペースは有限」「重複するもの、汚損・破損が著しいもの、情報が古くなったもの、本学の学びと関連のなくなったものは、規程に基づき、順次除籍の手続きをとっている」「本学の教育・研究にとってより有意義な図書・資料を収蔵するために行っているものだ」と反論している。
四半世紀以上前の日本文学科の卒業生です。今の梅大はかつての母校ではないことは、長周新聞さんのwebサイトを通して知っていましたが、こんな酷い事までやっていたのですね。私が入学した決め手は、西日本一の蔵書数を誇る大学、と言われていたからです。空いた時間は図書館の本の森を彷徨い、森林浴を楽しんでいました。本を大切にしない大学は大学ではないです。ただの専門学校…になり果てた現実は知っていても、辛いです。賛同者の皆さんに感謝するとともに、一般市民の署名などできることがあれば、参加したいと思いました。いつものことながら、教えてくれてありがとう、長周新聞さん。