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記者座談会 「ずっと私物化じゃないか」 独法化でタガが外れた下関市立大学

理事長、事務局長には市幹部OBが天下り 

 

 桜を見る会を巡って安倍首相界隈による私物化が問題になっているなかで、下関市立大学で起こっている前田晋太郎市長(元安倍事務所秘書)による特定の教員採用や新専攻科設置を巡る問題も、相通じるものとしてにわかに脚光を浴びている。下関市立大学では教育研究審議会(多くの教員たちが委員として加わり、教育・研究内容、あるいは専攻科設置や人事について決定する権限を持つ)の審議も経ぬまま市長が求める教員採用が動いており、それに対して9割の教員が撤回を要求するなど、まさに大学の私物化が問題になってきた。同大学が独立行政法人化してから既に13年が経過するが、この過程では市役所幹部OBの天下り先として大学理事長、事務局長ポストがあてがわれ、そのもとで下関市民がアッと驚くような事件や不可解な出来事が連続してきた。私物化の根はどこにあるのか、取材に関わってきた記者たちで、下関市立大学の抱える問題について深掘りしてみた。

 

 

  先日の「“桜を見る会疑惑”&“下関市立大学私物化”シンポジウム」には400人近くが集まり、大学の在り方や原理原則から見てどうなのか、パネラーたちがいくつもの問題を指摘していた。一方で、当事者である市立大学の教員たちも多数参加していたが、当事者としての発言はなく、参加した市民からするといまいち様子がわかりにくいものでもあった。手続きの問題点は縷々(るる)あるだろうが、なぜ教員たちがこれほど問題にしているのかだ。

 

前田晋太郎市長

 B 昨年の5月末以後、前田晋太郎(市長)が琉球大学から特定の教員とその研究チームを下関市立大学に迎え入れようと専攻科設置に向けて動き出したことが発端だ。通常なら、専攻科設置は大学内で何年にもわたって議論を重ねて進めていくものだが、今回は市長の意向で唐突に動き始め、教育研究審議会も経ずに担当教員の採用を決めるなど、やり方があまりにも強引だった。5月30日に市長応接室に山村理事長(江島市長時代の副市長)を呼び、そこで「(研究者と)ぜひ会ってほしい。下関のなにか役に立ってくれる人になりそうだ」と要求していた。つまり市長が直接大学トップに特定の研究者の招聘を要請していた。専攻科の必要性というよりは、人物ありきで事が動いており、受け皿として専攻科を設置するという構図に見える。

 

 5月末の要請を受けて6月には大学で専攻科設置と教員採用が動き始め、寝耳に水だった教員たちは驚いた。大学では「前田市長の意向である」と伝えられ、しかも事前に専攻科設置についての議論などなにもなかったところへいきなりトップダウンで持ち込まれたことから混乱が広がった。経済の単科大学にいきなり教育学部の専攻科を設置するわけで、それは誰でも驚く。「一体なにが動いているんだ?」と。市長の思いつきや一存で教員採用や専攻科設置が決まるなど、大学の常識からしてもあり得ないのだ。

 

  本池涼子(本紙記者)の9月議会の一般質問も一緒に準備してきたが、大学においては研究チームを招聘する理由として「市民から高等教育機関でリカレント教育としてのIN―CHILD手法の講座開設希望が強く、下関市からの要請、市議会からの開設要望があること」と説明されているのに、執行部の答弁では議会からの要請も市民からの要請も、下関市からの要請もなにも実態がない。要望書や陳情書の類いもない。あるのは市長からの要請だけなのだ。大学としての教育の方向性など現場教員の専門的見地から見た意見を度外視して、縁故採用みたいなことが許されるのか? という単純な問題だ。招聘される3人の教員にとっても、事態がこんなことになって逆に迷惑なのではないかと案じるが、インクルーシブ教育そのものが否定されるわけではないし、人物評価云々の問題ではない。やり方があまりにもトップダウンで、強引すぎるところに「なぜそこまでして教員採用を急いでいるのか?」「一体どんな関係なのか?」とみなのなかで疑問が広がっているのだ。大学のガバナンスとしてあり得ないやり方だからだ。

 

  既に下関を拠点にして研究チームのプロジェクトとかかわったH財団なるものが立ち上げられ、このIN―CHILD(商標登録済み)で商売が始まるそうだ。自民党の市議に「なぜ、そんなにムキになっているのか?」と聞いてみると、大阪の大手製薬会社がバックアップする発達障害の子どもたちを対象にしたプログラムなのだそうで、今後全国展開すれば講義の受講料や認定料などでH財団に10億円どころでない利益がもたらされるという説明だった。「下関市立大学も大学間競争を勝ち抜くために新しい道を模索しなければいけない」と。

 

 気になったのでH財団の登記をとってみると、その大手製薬会社の副社長がH財団の理事として設立メンバーに名前を連ね(その後辞めている)ていたほか、安倍派市議の井川典子も理事として名前を連ねていた。そして市立大学の経営審議会委員の一人も理事になっていたが、利益相反を指摘されるのを懸念してか、その後理事を降りている。あと、安倍派市議で元市長の亀田博が評議員として記されている。H財団の住所は、先ほどのべた市立大学の経営審議会委員をしている人物の親族が事業をしている場所だった。安倍派のなかでも前田市長が市議時代に所属していた会派の市議たちが複数関与している。井川典子は市議会の一般質問でも熱心にIN―CHILDのすばらしさをのべていた。従って「安倍派そろい踏みでなにをされているのですか?」と役所のなかでもみんなが思っているわけだ。しかし、これらの市議はH財団の理事だったことを問われると「印象操作だ!」と抗議するばかりで、丁寧な説明がなにもない。正々堂々としていないので、何だかH財団との関与がやましいことなのだろうか? と逆に思ってしまうわけだ。なにをしようとしているのか丁寧に説明すればよいし、それで市民なり周囲がどう判断するか委ねればよいのだ。

 

  そもそも専攻科設置は下関市立大学の「第三期中期計画」にも存在していなかった。一般的に大学で学部、学科その他の重要な組織の設置または廃止に関する事項は、その大学の将来を見据えながら学内での論議を重ねる。そうやって現在の大学の力量や学問分野の連関などを踏まえたうえで、本当に必要とされる学科を設置するために大学全体で築き上げていく。その合意形成もなくトップダウンで事を動かすのは極めて乱暴だ。教育研究審議会を経ずに採用を決めるなど定款違反になるが、そこでなにをやったかというと、ならば定款を変えてしまえと昨年の9月議会で定款変更まで決めてしまった。法律違反が疑われたなら「法律を変えてしまえ」というのと同じだ。

 

  しかし、そこまでする理由は何なのだろうか? 「なにを皆さんムキになっているのですか?」の疑問がますます深まる。よほど上からの強力な号令でもかかっているのかと見まがう。前田晋太郎よりもさらに上の人が号令でも出しているのかと。しかも、今年の1月1日には招聘しようとしている琉球大学の教授を市立大学の理事(教育研究審議会の委員をつとめる理事)に任命している。教員人事などを決めるポストに就き、みずから採用を決めるというのだろうか。これもあり得ないやり方だ。

 

  インクルーシブ教育そのものを否定する訳ではない。むしろ必要なものであれば教育関係者なり、それこそ大学の9割の教員が撤回を求めるという事態を招くのではなく、みなの理解を得たもとで進めるべきだろう。市長なりその界隈が気に入った人物を次から次へと雇う大学になるというのであれば、それはもう大学ではない。ガバナンスとしてもガバガバだ。それこそ江島が市長退任後、加計学園の系統である倉敷芸術科学大学に雇われていたが、私学にありがちな行き場を失った落選議員の腰掛けとかを公立大学でやろうとしているのではないかと心配しなければならないような話だ。

 

江島市長時代の私物化

 

安倍晋三と江島潔

  下関市立大学の私物化問題はかれこれ10年以上にわたって新聞で書いてきたし、本当にいい加減にしてほしいと思う。江島の時代、中尾の時代もずっと私物化が問題にされてきた。なにも今回に限った話ではなく根が深い。一言でまとめると独法化でタガが外れたのだ。

 

 独法化後、大学運営に権限を持っている理事長と事務局長の2人が市役所退職者の天下りとなり、理事長には年収1600万円、事務局長には1200万円が支払われている。理事長になると1年ごとに100万円の退職金が加算されていく仕組みにもなっている。江島の時代にはブレーンで水道局長(市退職後に就く特別職。退職金も有)だった松藤が理事長ポストへの渡りをやり、植田事務局長とのコンビでずいぶんと乱暴なことをしていた。

 

 B 「誠意を見せろ」といって職員を丸坊主にさせたり、物いう教授のなかには「ワシのシマで勝手な真似はするな」と脅された者がいたり、反発する教授ほど身辺調査であら探しされたり、なにかの収容所かと思うほど。あの頃は今にも増して本当にひどかった。独法化以前は大学の管理運営と教育研究のあり方は、教授会の討議を通して合意形成にあたっていたし、下から積み上げていく方式で最終決定され、それを学長がまとめていた。事務局の機能はその方針を円滑に進めるために補うことにあった。ところが独法化によってこの関係が崩れ、むしろ逆転したことに大学運営をめぐる変化の最大の特徴がある。役所退職者のかれらが学長をしのぐ権力者となって采配を振るうようになったことが、大学の空気を様変わりさせた。教授会との鋭い対立の激化となって、処分や反駁、訴訟沙汰の応酬が始まった。嫌気がさして去って行った教員も多い。

 

  国公立大学では学長が理事長を兼務するのが一般的なのだが、独法化の際に江島がこだわったのがこの分離方式だった。兼務方式にすれば1600万円が浮き、その分を教育環境整備や職員採用に回せるのに、あえてそうはしなかった。そして、理事長、事務局長ポストは退職幹部たちのなかでも市長に見込まれた人物に与えられるというのが役所内でも暗黙の評価だ。市長選挙などでは取引材料にも使える。まさに私物化で、「使える天下りポスト」の新設となった。

 

 C 大学について、教育についてなにもわからない市幹部OBが権限を握り、采配を振るうから教員たちとは必然的に矛盾になる。今回の教員採用もそうだが、大学運営の常識からかけ離れたことをやるからだ。教員の側はきわめてまともだし、他の大学から下関市立大学に替わってきてビックリ仰天している人も少なくない。

 

  独法化後、大学評議員や理事に江島の後援会長とか選挙を熱心に手伝う企業経営者などが配置されたり、露骨なものがあった。それでなにがやられたかというと、下関市立大学が大学から離れた椋野町にある江島所有のアパートを借り上げたり、江島の選挙母体であるJR西日本の旧社員寮を借り上げたり、大学資金をつかって利権みたいなことがやられ始めた。江島の不動産管理会社である「光興産」所有のアパート9室を大学が学生寮として借り上げ、1室につき1万9000円の家賃を支払う。つまり1カ月につき17万1000円の収入を献上するというものだ。下関市が出資金を拠出し、1~2億円の運営交付金を出している大学が、その経営資金を利用して前市長のアパートを借り上げてもうけさせる。天下り先として市立大学の理事長ポストを与えたのは江島であり、大学を経由して任命権者に利益供与するというようなことが平気でおこなわれていた。

 

  トイレ改修工事の問題も似たようなものだ。江島の熱心な後援企業の社長が大学評議員になっていたが、倒産しかかっていた折りに大学が講義棟のトイレ改修工事をその会社にあてがい、案の定事業停止に追い込まれて大学が損失を被った。契約書では前払い金は4割と記載されているのに、6割(2260万円)を支払っていたし、その際、保証もとっていないという信じがたい発注方法だった。これは官製談合で刑事事件にも発展し、大学の総務グループ長と大学評議員だった社長が立件された。業者選定の段階から受注企業である大学評議員自身が入札参加企業を選び、自分で受注したというものだった。要するに資金繰りで四苦八苦していた安倍派企業が、海響館前の立体駐車場を市に無断で叩き売ったり、おかげで市から入札参加資格停止処分を受けて豊北町道の駅の建設工事(2億5000万円)からも排除され困り果てていた折に、資金を融通したのが同大学だったということだ。一私企業の穴埋め資金を大学を迂回する形で提供した--と見なした関係者も少なくない。当時、下関市議会の副議長をしていた公明党議員(大学後援会の顧問もしていた)が頻繁に大学に出入りしていたが、その議員は大学評議員をしていた人物の関連企業の社員でもあった。公用車で乗り付けては事務局長らと話し込んでいくので、当時「なにをしているのだろう?」とみなが関係を疑っていたほどだ。

 

  そのようなことが可能になったのも、独法化がかかわっている。大学の建物やキャンパス整備は市財政からの直接の支出で整備することもできるが、わざわざ運営交付金の形で資金を下ろし、市入札室とも切り離れて事務局長らが数千万円単位の工事を仕切っていくことが可能になった。独法化して運営交付金を出し始めた意味すら疑われかねない事態だ。

 

 それで4500万円かけてグラウンド整備(約1万平方㍍)をしたこともあったが、事務局長の高校の同級生が受注し、実際には工事は北九州の下請業者が2人でやっていた。出来上がったグラウンドからは釘や岩、石ころがゴロゴロと出てきてヘドロみたいなものが溜まったり、とんでもないものだった。学生たちがみんなして石ころ拾い、釘拾いをやり、それでも状態が悪いから、改めて400万円使って「雑草除草工事」と称して再整備したほどだ。通常の小中学校のグラウンド整備で市が工事を管轄していたら、納品は認めないだろうし入札資格停止処分をくらってしかるべき案件だが、黙認された。

 

  あの当時、専門業者が見たところ、「ここまで痛んだ状態のグラウンドを応急処置で補修してくれといわれても無理。よい土を入れ、しっかりレーベルをとってやり返すなら3000~4000万円は必要」と話していたほどだ。また、グラウンドの納品直後に市立大学を訪れた大手スポーツメーカーの担当者が「そろそろグラウンド整備をしないと、ひどい状態ですね」と大学関係者に語り、「実は…、納品されたばかりなんです…」と明かして驚かれたとか、とにかくデタラメだった。グラウンド整備のプロの目から見て「この広さなら4000万円あれば全面芝生化できますよ」といわれるグラウンドが、4500万円(雑草除草工事も含めると4900万円)もかけて不良品だったのだ。

 

  過去をたどればまだまだ様々な案件があるが、兎にも角にも市長界隈や市議会関係者が首を突っ込み始めて利権の巣窟かと思うような出来事がこれでもかと続いた。先ほどの公明党市議の話だが、後援会顧問という肩書きで大学に首を突っ込んでいた。後援会会長には子弟を市立大学に通わせている市秘書課長とか、市役所職員が就くことが多いのだが、この後援会費から先ほどのグラウンド工事に300万円を吐き出させたりもする。事務局長が自分がフルートを習っている楽器店から750万円かけてブラスバンドの楽器を一括購入したこともあったが、このときにも半額を後援会が負担していた。入学式の際に400~500人の新入生から5万円以上も徴収するので年間収入が2500万円以上と巨額だが、いったい何に使われているのかと学生たちは怒っていた。

 

学位取得に利用した中尾市長 

 

  安倍派だけではない。中尾(前市長)の修士論文騒ぎも私物化の一例だろう。学長選で荻野が敗北すると、学内で学長失格の烙印を押された者が今度は市長の任命によって理事長に就任して驚かせたことがあった。荻野が中尾の学位取得の担当教官だったからだ。市長が学位を取得するという私的な事情を絡ませて大学人事を弄び、おかげで大学が崩壊する。これが私学の「中尾大学」ならまだしも、公立大学でしかも運営交付金をまともに交付せず、基本的に授業料によって運営されている大学を私物化だけしていくのだから、厚かましいにもほどがある。しかも500ページに及ぶ修士論文は「ただの自慢話」なのだ。

 

 教員たちの投票によって修士号は与えないことが決まり、憤慨した市長・理事長側と教員たちの紛争が全国に知れ渡って笑いものになった。問題はきわめて単純で、なぜただの自慢話に学位が与えられるのか? だ。下関市立大学は権力と金力を持っている人間には、学位を安売りするという評価が定着しかねない問題だったが、そこは教員たちが身体を張って阻止した。中尾はあきらめきれずに近隣の東亜大学に論文を持ち込んだが、ここでも断られた。

 

  独法化以後の騒動を振り返るだけでも、やっぱりひどいものがある。私物化に対する境界線がなく、どいつもこいつも市長やその界隈がオレのものみたいに大学を私物化していく。今回の専攻科設置もその延長線上にあるもので、下関市民及び市立大学の成り行きを取材してきた者からしたら「また私物化しやがって」という感覚しかない。大学のみならず市政そのものが私物化であるし、一事が万事この調子なのだ。桜を見る会の私物化についても、下関で感覚が麻痺した状態を東京で披露しているのではないかと思う。ちなみに2月8日に安倍派の新春の集いが準備されていたが、急遽中止が発表された。この時期に桜の800人も含めて2000人以上が集まって乾杯する光景はさぞかし全国を刺激するだろうと報道各社は取材体制を敷いていたが、さすがに中止になったようだ。パーティー券を秘書たちが売りさばいて回っていたが、返金するのだろうかともっぱらの話題だ。

 

  下関市立大学の前身は1956年、下関市によって設置された下関商業短期大学がはじまりだ。第二次大戦後の間もない時期に、夜間講座で学んでいた勤労青年の「大学で学びたい」という熱い思いが結実して、公立の夜間短大として誕生した。その後も、比較的安い授業料で勤労子弟が入学できる大学として全国的にも知られるようになり、公立大学としては多くの受験生が競って志望するトップの位置を占めていた。「東の高崎経済大学、西の下関市立大学」といわれていたほどだ。

 

 2000人の学生が学んでいることに対して、下関市には国から毎年約5億円の地方交付税交付金が配分されているのに、大学運営には回らず、学生の授業料と受験料で大学運営のすべてをまかなってきた経緯がある。独法化以後は運営交付金が1~2億円入るようになったが、5億円には到底及ばない。つまり、学生に使うべきカネを市の箱物やその他に流用している関係だ。一方で学生数に対して教員数は全国平均の5分の1。少ない教員が多くの学生たちを担当し、経営側にとって教員はある意味「高出力、低燃費」な存在で、この力によって保っているようなものだ。ところが、この教員たちの努力に感謝したり依拠するのではなく、排除して攻撃するという本末転倒がある。

 

 市幹部職員たちはよく口を揃えて「変な先生が多いのだ」というのだが、これまでの経過や事件、疑惑の数々を見てもわかるように、変な大学にしているのはむしろ政治の側だ。政治介入によって大学が変質しているといっても過言ではない。裏返すと「私物化に目がない変な市長、幹部職員が多い」のが真実なのかも知れない。

 

 B やはり地元の人間としては、郷土の大学としてまともな方向に向かって欲しいし、阻害物になっている私物化について徹底的にメスを入れ、改めさせることを望む。本来なら研究に没頭したり、腰を落ち着かせて学生指導にあたらなければならない教員が、こうした煩わしい問題に精神的にも疲労困憊する状況が強いられていることは、憂慮しなければならない点だ。そして一番重要なのは学生たちがしっかりと勉学に励めるような教育環境にしていくことだ。全国の大学から見たら驚くような話ばかりだろうが、私物化に慣れきった体制のもとで起こっていることで、今回の専攻科設置問題も氷山の一角にすぎないのだ。

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