フィリピンのドゥテルテ大統領が、フィリピンと米国が1998年に締結した米兵のフィリピン国内での法的地位を定めた訪問軍地位協定(VFA)を終了するプロセスを開始するよう命じたと現地紙『マニラ・タイムス』(1月24日付)が報じた。
報道によると、比大統領府のサルバドール・パネロ報道官は1月23日、「大統領の決定は、あいつぐ米国によるフィリピンの主権侵害にある」とし、とくにドゥテルテ大統領がダバオ市長時代に「麻薬撲滅戦争」を名目に多数を処刑した問題を調査して比当局に逮捕されたレイラ・デリマ上院議員(比当局が薬物法違反容疑で起訴、収監)の釈放を条件に制裁に踏み切る構えを見せていることへの対応であるとした。
レイラ・デリマ上院議員は、「麻薬撲滅戦争」の実態について10年間にわたって調査し、強権発動するドゥテルテ大統領批判を続けてきたが、2017年に比当局はデリマ議員が麻薬密売を主導したとして訴追。これに対して米国上院のリチャード・ダービン、パトリック・リーヒーの両議員が、人権問題としてデリマ議員の逮捕に関与した比政府当局者の米国入国を拒否するよう主張し、これが2020会計年度予算に盛り込まれた。
これを受けて比政府は、ダービン、リーヒー両議員を含む3上院議員を入国禁止とし、両議員が主張した措置が実施されれば、米国人にビザ取得を義務づける方針を提示。現在、米国人は30日間はビザなしでフィリピンに滞在できる。
さらに米政府が1カ月以内に比政府当局者の入国拒否を撤回しなければ、米国との地位協定を終了すると警告していた。だが、パネロ報道官は「もはや米国政府の応答を待つ必要はない」とし、米比地位協定終了に向けて政府が委員会を招集したことを明かしたという。
米比間の駐留協定(米比軍事基地協定及び米比軍事援助協定)は、朝鮮戦争勃発後の1951年に結ばれた米比相互防衛条約に基づいて米軍のフィリピン駐留を認めさせ、米国は同国をアジア戦略における中継・兵站基地としてきた。だが冷戦構造の終結と同時に反米意識が高まり、さらに1991年のピナトゥボ火山噴火によって米軍がフィリピンから完全撤退すると同時に、基地協定は期限延長されず破棄された。
1998年、対中国、対テロを名目に、両国は新たに訪問軍地位協定(VFA)を締結。反政府勢力(米国の指定テロ組織)の掃討のために共同軍事演習(作戦)をおこなうことを主目的とする一方、米軍基地の管理権や環境権はフィリピン政府に属し、裁判権もフィリピン側に置かれた。米兵はビザの要件から免除され、米国の航空機および船舶も無制限で国内を移動できるなどの特権が与えられおり、米国を優遇する内容も盛り込まれた。
だが、米中の力関係が大きく変化するなかで、「米国との決別」宣言を掲げて大統領に当選したドゥテルテは、中国との経済的取引を優先させるとともに米国と距離を置き、2016年にも米政府系機関がフィリピンでの人権問題を理由に、援助更新の見送りを決定したことについて「わが国は米国のカネがなくてもやっていける。中国が支援してくれるといっている。米国よ、さようなら」と発言。地位協定についても「何の意味があるのか。米軍は出て行け」とのべていた。
VFAの規定によると、米比いずれかの当事者が契約終了の希望を書面で相手に通知した日から180日後まで法的効力が持続される。
米国覇権の後退のなかで、東アジアにおける米国の軍事的足場がまた一つ揺らいでいる。