(アイキャッチ画像に使用しているイスラム建築の写真は『旅パレット』 https://decorate-my-trip.com/iran-real/より引用させて頂きました)
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アメリカ政府がイラン革命防衛隊の司令官を空爆で殺害したことを契機にして国際的な緊張が高まっている。そのなかでトランプ大統領は、イランの文化遺産を攻撃することも辞さない考えを明らかにした。文化遺産は人類共有財産として国際法で守られており、アメリカとイランは共に、紛争中であっても文化遺産を保護するという国際条約に署名している。文化遺産を標的にした軍事攻撃は、国際法上では戦争犯罪であり、この発言に世界的な批判が起こっている。
イランには22の世界文化遺産、2つの世界自然遺産がある。その数は世界で10番目に多い。人類最初の文明、メソポタミアと深く関連し、中東ではもっとも文化遺産の数が多い。世界遺産は文化遺産、自然遺産、複合遺産の3つに分類される。とくに文化遺産は、その国の地域またはコミュニティの歴史・伝統・文化を集約した象徴的な存在であり、人類の文化的活動によって生み出された遺産である。一方の自然遺産は、自然風景や動植物の生息地など自然が生み出したもので、文化遺産とは違った意味合いを持っている。イランの文化遺産の数は米国の倍の数があり、ペルシア帝国としての長い年月をかけて人類が形成してきた歴史の重みを感じさせるものだ。イランにどのような文化遺産があるのか、その概要を見てみた。
イランは西アジアに位置し、北でカスピ海、南でペルシア湾に面し、西でイラク、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャン、東でトルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンと国境を接する国である。面積は163万3188平方㌔㍍と日本本土の4・5倍もの国土を有している。イラン高原に象徴されるように標高1000㍍をこえる山地が多く、内陸は乾燥した砂漠が続く荒涼とした土地となっている。しかし過酷な自然環境にもかかわらず、その地理的条件によって古くから通商に開けた地域であり、かつてペルシア帝国が君臨した歴史を記録に留めている。イラン(ペルシア)はシルクロードの十字路に栄えた大帝国で紀元前3000年(4000~5000年前)から文明が興り、イスラムの中心地となったことから貴重な遺跡が多いと考えられている。奈良時代には中国をとおしてペルシアの物資が運ばれ、東大寺の正倉院にはペルシア起源の美術品や楽器のかずかずが収められるなど、その文化は日本にも影響を与えた。
隣の国イラクは、今から5500年ほど前、人類最初の文明といわれるメソポタミア文明が興った地域である【地図】。古代四大文明の一つメソポタミア文明は、文字をつくり、家や町をつくり、舟や道路、ダムなどもつくった。名前のメソポタミアという言葉は、ギリシャ語で、「二つの川に挟まれた地」という意味を持っており、チグリス川とユーフラテス川がある。栄養分をたくさん含んだ肥沃な土地で、農作物が良く育ち人人は定住を始めた。しかし洪水が多多起こる地で、干ばつとなるような乾いた土地もあり、ここに住んだネアンデルタール人は、ダムや用水路をつくった。文明が栄えた地は、ほぼ現在のイラクと同じ地域にあたる。そこでは農産物は豊富だったが、文明に必要な金属・石材・木材の多くはイラン高原から供給されており、イランの都市文明はメソポタミア文明と表裏一体で発展した。イランの代表的な文化遺産をいくつか紹介する。
【ペルセポリス】イランのアケメネス朝は、紀元前559年から紀元前330年まで継続した王朝で、世界遺産のペルセポリスは、アケメネス朝の神殿、宮殿、葬祭殿があったところで、国の栄華を今に伝えている。ペルセポリスは、イラン南部のファールス地方、クーへ・ラフマト(慈悲の山)の麓にあり、ペルシアの首都パサルダカエから約50㌔離れた地点にある。紀元前522年頃、ダリウス1世が王位につくと同時に着工され、以後3代にわたり約60年の歳月を費やして建設された。
【イスファハーンのイマーム広場】イランのイスファハーンは、イランを代表するイスラム建築のかずかずが集積していることで知られている。イスファハーンは、サファヴィー朝(1501~1736年)が開いたイスラム都市で、「世界の半分がここにある」とも称されるほどの繁栄を謳歌した。世界遺産の「イマーム(シャー)の広場」にはイランを代表するモスク、バザール、宮殿、また神学校が建っている。
【ペルシャ式庭園】ペルシャ式庭園は西はスペインから東はインドまで広大な範囲にわたって影響を及ぼした庭園様式で、その歴史は紀元前4000年にまで遡る。現存する庭園のうち、パサルガダエ庭園、エラム庭園、チェヘル・ソトゥーン庭園、ドーラト・アーバード庭園など9つの庭園が2011年、世界文化遺産に登録された。
【ビソトゥーン】先史時代(文字を使用する前の人類の歴史)からメディア王国時代、アケメネス朝時代、ササン朝ペルシア時代、イル・ハン朝時代までの遺跡。なかでも紀元前521年にアケメネス朝の王として即位したダレイオス1世のレリーフと、楔形文字が刻まれた碑銘が重要なものとされている。碑文は3言語で記されており、アケメネス朝時代の歴史的文書で現存する唯一のものとなっている。
世界遺産に登録されていないものでも、イランの各地に散在する古代集落の丘の中には、新石器時代に始まるものがあり、初期の農耕・牧畜社会が営まれていたことがわかる。そこで出土する土器には、動物の姿をしたものや、ユニークな動物文様を施したものが多く、古代人の高い造形意識が見られる。