エドワード・スノーデンが2013年、アメリカのNSA(国家安全保障局)が一般市民も含め世界中の人人の個人情報を大量・無差別に収集し保存しているという事実を暴露したことは世界に衝撃を与え、権力の大量監視をいかに規制し、真に民主的な社会をどうつくるかの議論が発展してきた。本書は彼の生い立ちから始まり、その決断に至る過程やそれを支えた道徳的な考え方、その決断がどうやって生まれたかについて、彼自身が記したものだ。
幼少期からコンピュータに夢中になった彼は、病気で高校未終了のまま大学を受験して合格。9・11テロ事件に遭遇したとき、軍隊入隊を志願する。そのときのことを彼は「メディアが垂れ流す主張をすべて事実として鵜呑みにし…復讐の道具へと喜んで再起動されてしまった」と深い後悔の念を持って書いている。訓練中の怪我で陸軍を除隊した後、臨時の契約技術者としてアメリカ諜報業界に入り、CIAやNSAで仕事をした。
9・11後、これらの機関は、古参の職員ではもはや理解が及ばないIT技術の急速な進展についていこうと必死のあまり、これまでの内規をすべて無視して、学歴はないが若くて能力のあるハッカーたちを雇い入れた。そして、国家統制の技術システムを開発させ、完全にアクセスさせ、彼らに完全な力を握らせるようになってしまったというのだから皮肉だ。
スノーデンにとっての重要な転機は、2009年、彼が東京の米軍横田基地にあるNSAの太平洋技術センターに勤務しているときに起きた。そこで彼は、中国諜報機関のハッカーからコンピューターシステムを防衛し、そこから得た情報を活用して中国をハックし返す手法を研究するチームに参加した。そこで、中国が構築した10億人をこえる国民の日日の通信の収集・保存・分析をおこなうシステムを分析するなかで、アメリカが中国のやっていることについてこれほどの情報を手に入れるためには、どう考えてもまったく同じことをやっていないはずがない、という思いが消えなかったという。
こっそり探し回った挙げ句、NSAに盗聴されているのはテロリストだけのはずが、そうではなく、全米のすべての市民、それどころか世界の市民が監視され、そのデータを長期に保存するシステムを構築していたことを彼は突きとめる。それは9・11後にブッシュが実行した、大統領命令による令状なしの盗聴プログラムを拡大して生まれたもので、オバマによって承認された。それによって政府は好きなときに、被疑者に仕立て上げたいどんな人物の過去の通信でも調べ上げ、犯罪をでっち上げることが可能になった。
また、この技術を民生用に活用した最新機器が各家庭の寝室にまで招き入れられ、消費者のあらゆる活動、あらゆる習慣や嗜好を記録・送信し、それをターゲットに広告をうつ。こうして民間企業を富ませつつ、その分だけ人人の私的生活を貧困にするようになった。そして民間企業は顧客の私的情報を政府に提出する義務があることも、こっそり決まっていた。
NSAの特別情報源作戦部隊が仕切るアップストリーム収集はもっとも侵略的だ。一般市民がパソコンに向かって目的のサーバを探しているとき、その途中で同盟国にある民間電気通信企業や米大使館、米軍基地に置かれた「NSA最強の武器」を経由するようにし、そこで狙った相手のパソコンに忍び込み、データにアクセスしたりする。だがNSAは、市民は通信記録を第三者(電話サービスプロバイダ)と共有しているのだから、憲法上のプライバシーの権利はすべて放棄したに等しいと主張している。それどころかこの明白な憲法違反を、アメリカの司法・立法・行政の三権が追認している。
この現実を見たときスノーデンは、みずからが熱中したIT技術の発展は、権力者によって市民の奴隷化に悪用されていることに気づいたという。
また、婚約者リンジーと訪れようとした広島と長崎のことにふれ、原子力技術の発展と、それが原爆として市民の頭上に投下されたことの矛盾、技術の道徳不在をそれに重ねて考えている。
それでもメディアを使った告発までには、一方でみずからの仕事に対する良心の呵責と、他方で実際に公表した場合の家族への影響を考え、葛藤の日日が続き、そのため重い病気になったりしたことがわかる。しかし、それは実行された。
この本を読んで考えたことは、まず、新自由主義が浸透した組織のもろさである。
公営事業の民営化が進むアメリカでは、諜報業界雇用者11万人のうちの5分の1が契約業者で、しかもそれ以外にその下請、孫請が数万人いるという。政府のデジタル部分に対する全面的なアクセスが可能なシステムエンジニアは、ほとんどが民間業者だ。
臨時の契約社員の愛国心を動機づけるのは、連邦政府への忠誠心ではなくなって、給料引き上げである。だから、民間軍事会社がアブグレイブ収容所での不祥事を引き起こすなど、大失敗の連続だといわれる。逆に、組織全体の反社会的な行為に対して、しがらみなく異を唱える行動も起こる。
そのなかでやはり決定的なのは主体の側であり、「自由と民主主義」を唱えるアメリカの支配者たちが実際にはなにをやっているのかという、欺瞞を見抜く力ではなかったかと思う。本書のなかで「9・11で政府が情報を操作して戦争の口実をつくり出し、アメリカにも中東諸国にも多くの犠牲者を出した。すでに9・11でだまされたのだから、二度とだまされないぞ」と記している部分は印象的だ。それはまた、全米の大衆世論を反映したものにちがいない。
最後に彼は、2013年の公表前に香港のホテルの一室にいたときは限りなく孤独だったが、6年後の今はまったく正反対の状況にいて、各国のジャーナリストや弁護士、技術屋、人権擁護団体などとの世界的ネットワークがますます広がっていると結んでいる。
(河出書房新社発行、B6判・376ページ、定価1900円+税)
彼の映画はドラマとドキュメンタリーの2本見ました。一見物静かで弱々しい印象がしますのに、内面の強靭さに感銘を受けました。香港のホテルの一室で イギリスの「ガーディアン紙」の記者に暴露した後、記者たちがスノーデンの今後の身の安全を気遣うと、スノーデンは「私は覚悟を決めている。あなたたちこそ心配だ。気を付けて」と言って見送ります。
当時のまわりの人たちの反応で、忘れられないことがあります。多くはアメリカの情報機関がどんなことをしているかにはまったく興味がなく「中国のスパイだ」「中国の陰謀だ」「ロシアと中国のために働いていたのだ」「仕事の内容について守秘義務があるんじゃないの?」とか言っていました。
日本人の人権意識・民主主義感覚の未成熟さに、寒気がする気がしました。