2020年の新年を迎えて、読者・支持者の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。
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「今だけ、カネだけ、自分だけ」(東京大学の鈴木宣弘教授が発信)――。現代社会の刹那的な特徴を捉えた言葉として既に定着した表現ですが、この三拍子のなかにあるカネ(貨幣)とはなにか? 年頭から突然ではありますが、考えてみました。あるにこしたことはないし、なければ世の中を生きていくことすらままならない状況に追い込まれ、生存すら脅かすカネ――。本来なら交換手段にすぎないたかだか紙切れが、人を支配し、企業を支配し、社会全体を支配する――。そんな社会で私たちは時に精神をすり減らしながら暮らしています。紙切れをたくさん持っている一握りの者が社会の上層に巣食い、有り余りすぎてタックスヘイブンに隠匿したり、金融工学などを駆使して雪だるま式に「財産」として積み上げ、持たざる者はますます貧困のどん底におしこめられ、自殺や児童虐待、DV(家庭内暴力)といった悲劇にも直面するのが現実です。
この紙切れがないものだから、未来がある若者たちは大学進学=借金奴隷のような境遇に叩き込まれ、日本国内では555万人もが300万~500万円もの奨学金ローンにあえいでいます。また、そのために結婚や子育てにブレーキがかかり、年間出生数はなんと120年前の明治時代よりも下回り、87万人まで激減しています。それ自体なんら価値などなく交換手段として登場したはずの貨幣が、一方に偏在しているためにみなが豊かに暮らせず、子どもを産み育てることができない。つまり社会の営みすら後退させる愚かな作用をもたらしているのです。日本社会のみならず、今や世界的にこの矛盾に目が向き始め、社会の桎梏となっていることが誰の目にも明らかになってきました。
資本主義社会とはいかなるものか、強欲資本主義、金融資本主義などと呼称され、既に極限にまで「発展」した段階まできて、人類がより豊かに、そして平和に暮らしていける社会をどうすれば実現できるのか、民衆が過酷に搾取されて生きていけない世の中ではなく、みなが家族やコミュニティーのなかでそれぞれ社会に有用とされる仕事をして実態価値をつくりだし、何不自由なく安寧に暮らしていける社会はどうすれば実現できるのか。カネとはなにか? 価値とはなにか? を突き詰めて考えたとき、私たちはカネ(交換手段)のために働き、カネ(交換手段)のために生きているのではなく、人間が豊かに暮らすためにカネ(交換手段)があるにすぎないことに気付かされます。たかだか道具にすぎないではないか――と。
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昨年、長周新聞は参院選で山本太郎氏とその仲間たちが立ち上げた“れいわ新選組”の動向を旺盛に紙面で紹介してきました。硬直し、与野党ともに何ら国民を代表する政治勢力が見当たらないなかで、あきらめをうち破って本気のみんなが全国津津浦浦から縦に横につながって動きだし、下からくたびれた政治構造を震撼させる行動が始まったこと、みんなが幸せに暮らせる社会を目指す、新時代の政治運動が始まったと刮目したからです。いわゆる反体制の万年野党、ガス抜き装置という代物ではなく、あるいは旧左翼にありがちな自惚れと幻想に浸って旗を振り回すが、その後には誰もついていかないというものでもなく、街頭から聴衆との論議を通じて日本社会の現状を掘り下げ、問題をあぶりだし、解決のためにどうするのかをみんなで考える。より豊かな日本社会の未来をつくっていくために本気で政権をとりにいき、国民の暮らしを底上げするために統治機構を機能させていくというあたりまえの訴えは、どの街でも乾いた砂に水が染みこむように受け入れられ、みなが待望していたことを示しました。
置き去りにされ、個個バラバラな状態で辛抱し、我慢してきたみんながワッと呼応するかのように結集し始めたことについて、忖度に明け暮れる大手メディアが完全に無視を決め込むなら、なおさらでも薪をくべ、燎原の火となるように息吹を最先端で発信していくことこそ報道としての役割であると考え、密着取材も敢行しました。壇上から発する言葉だけでなく、聴衆やボランティアとして支えている人人が全国各地でどのような問題に直面し、どのような思いを抱いているのか、この旋風の根底に流れているものは何かを捉え、各地の熱気や雰囲気を写真特集や記事によって横につないでいくことが、何らかの役割を果たすのではないかと考えたからです。
右も左もシーラカンスといったら失礼かもしれませんが、第二次大戦後の二極構造を源流にした既に干からびた旧政治勢力に幻滅した状態に慣らされ、5割もの有権者が投票を棄権してきました。その幻滅のおかげで、安倍政府のようなどうしようもない政治体制が延延と続き、野党といっても八百長プロレスをくり広げているような有様で、ますますみなを幻滅させています。55年体制とその残渣が形を変えつつ風化と安住を重ね、結局の所、財界やアメリカの代理人政治に終始して、国民の心配をする者がいない。そして政治が国民から遊離して好き勝手をやっている――。それが今日の日本社会の停滞をつくりだし、国民の困難が増幅していることは明らかです。政治が人人の暮らしに心を寄せ、その困難を解決するために機能しているなどと思う人はおらず、むき出しの私物化が本質であることを昨今の下品な騒動の数数は教えています。対米従属の鎖につながれ、逆らいさえしなければ首が繋がるという弛緩した統治のなれの果てともいえるものです。
このなかで、あきらめや不平不満の世界に溺れていくのではなく、みんなのために未来を拓く政治勢力を台頭させることが社会全体にとっての切実な要求であり、ちっぽけな党派制に縛られたり、高見からマウントをかけて評論ばかりしているというのでは話になりません。この変化の渦に飛び込み、“れいわ一揆”ともいえる下からの大衆的な行動機運を盛り上げていくことが、創刊の志を貫く選択であると私たちは確信しています。富める者に媚びへつらい、なにも伝えない、知らせないではなく、みんなにすべてを伝えたい、臆せずに思い切り真実を知らせたい――をやり続けます。
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長周新聞は今年4月に創刊から65年を迎えます。「いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関」として、戦後10年目の春に故福田正義をはじめとした山口県内の有志によって創刊され、記者の代替わりも経ながら歩みを重ねてきました。
創刊の訴えでは、「大部分の商業新聞は、わが山口県において、その規模が全国的にせよ、県的にせよ、市町村的にせよ、いずれも資本の支配下にあり、支配勢力の忠実な代弁をつとめている。興味本位の事件報道主義のかげにかくれて、ことの真実がゆがめられ、大衆の死活の問題がそらされる。切実な問題につきあたるたびにのまされる苦汁は、いつもしらじらしい嘘やずるい黙殺や問題のすりかえであることは、だれでも経験しているところである。大衆はいおうにも口に鉄をかまされた馬のように、語るべき何らの機関ももたない。これでは、真実は泥沼の底におしこめられ、嘘がはびこり、歴史は偽造されてゆくばかりである」「われわれは真実を泥土にゆだねてはならない。いいたいことをあからさまにいい、欺瞞のベールをひきはがし、そのことをつうじて、真に大衆的世論を力強いものにしなければならない。そのために必要なことは、いかなる権威にも屈することのない真に大衆的言論機関をみずからがもつことである。このことは、今日切実に要求されている」と発しています。
私たちの原点としてホームページのトップに掲載している写真を見てもわかるように、掘っ立て小屋に自転車1台、電話1台、2人の編集記者という体制から出発して今日に至ります。なにもないところからみずからの力によって未来を拓いていくこと、より多くの人人とつながり、その生活に分け入って社会的に有用とされる言論活動を展開していくことを使命としてやってきました。私たちが守るべきは民衆そのものであり、権力者や右左の国際権威、政党や団体などではありません。いかなる相手であろうと「書けない記事は一行もない」をやり続けることが生命線でもあります。
このような言論を貫こうとした場合、資本力のあるスポンサーや団体の広告に依存するわけにはいかず、言論を支配しようとするあらゆる力を排除しなければなりません。今や大手新聞は権力者や電通、巨大資本への忖度を生業とし、要するにカネに支配されているのが現実です。ジャーナリズムが権力の監視や社会の健全性を保っていくために第四の権力として機能する社会的使命を投げ捨て、逆に権力に媚びてメシを食う存在に成り下がっています。それは昔も今も、本質的には変わりないものでもあります。しかし、はるかに度をこしたものとなり、郵政劇場や小池劇場を演出するのに加担したり、昨年末でいえば桜騒動によって日米FTAの協定承認をかき消したり、欺瞞装置となって目くらましに終始しています。
私たちはそのようなものとは一線を画し、あくまで読者・支持者の皆様からいただく購読料とカンパによって言論活動を貫き、そのことによっていいたいことを明からさまにいい、真実を発信し続ける立場を選択します。それは購読を申し込まれ、「支えてやろう」と思ってくださる方方がいること、「もっとやれ!」という激励によって支えられているものです。決して裕福ではありませんが、そもそも裕福になるために新聞を発行しているわけでもありません。それこそカネのために働くのではなく、社会的使命を果たすために記者として、あるいは新聞社として生きる道を選び、毎月1500円の購読料、郵送料も含めると2050円の力によって、読者・支持者の皆様に支えられているというのが、まぎれもない現実です。そのように65年間やってきたし、65年を迎える今年は次の70年に向かってさらに歩みを進めていかなければなりません。
言論としては根無し草となって宙を彷徨うのではなく、地に足をつけ、生身の人人の生活のなかから問題を歴史的、社会的にとらえて発展的方向を示していくこと、企画力を強め、より多面的に展開していくことが求められています。新自由主義に犯されたろくでもない社会状況のなかにあって、読者・支持者の皆様とともに明るい未来を求めて展望を語り、日本社会を真っ当なものにするために貢献することが役割です。
長周新聞の編集発行に携わっている私たちの任務と課題は、よりよい社会の実現を目指す広範な人人とつながり、戦争も失業も貧困もない平和で豊かな日本社会をつくっていくことです。そのために研鑽を重ね、編集内容をさらに飛躍させなければなりません。スタッフ一同、限界を常に突破しながら自力で前進していくことを約束します。そして、矛盾に満ちた国内や世界の諸問題をよりわかりやすい言葉や的確な表現、簡潔な文章で問題提起する努力を強め、有用とされる紙面作成に励み続けることを年頭の誓いといたします。全読者の変わらぬご協力を切にお願いいたします。
2020年元旦
長周新聞社
長州新聞さん、ありがとうございます。これからも
真の大衆機関紙 幾先万大衆と共にジヤーナリズの使命を果たし、頑張ってください。貴社の発展と飛躍を心よりお祈り申し上げます。
大新聞の記者に洛陽の紙価を高めた記事を書いて下さいと言ったら何それくらいの返事しかないので以降馬鹿らしくて会話もしません。宮武外骨のような気骨のある記者、は八百屋で魚を求めるのと同じと思って今はネット上で情報にアクセスしています
長周新聞さん、年頭の檄、ありがとうございます。微力ながら応援しています。
頼もしいです。今年もよろしくお願いいたします!
一気に読みました
「みんな」よりは「大衆」の方が私は好みなのですが
常々自分の言動、行動を振り返りながら点検もしななければ!
益々の発展を祈っております