山本太郎率いるれいわ新選組は7月の参議院選を経て、9月の北海道を皮切りに、九州、沖縄、東北、北信越、東海、近畿、そして12月の関東まで街頭や屋内で人人との対話をくり広げながら全国を回った。本紙はすべてのツアーに記者を派遣し、山本代表が訴える政策とともに、全国各地の人人が抱いている政治的な問題意識や思い、それぞれの地域が直面している問題についても注目しながら同行取材を続けてきた。全国ツアーでは、新自由主義的な政策のもとで衰退してきた地方の現実や、訴える先のない人人の切実な思いや要求が表にあらわれ、既存政党の枠をこえて人人の手によって新しい政治勢力を生み出すことに活路を求める機運が全国各地に脈打っていることを実感させるものだった。同行した記者たちで座談会を持ち、ツアー全体の特徴を出し合った。
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A 山本代表の「街頭記者会見」や「おしゃべり会」(屋内)は、全国どこでもその場に集まった人たちから無差別に質問や疑問、提言などを受け付け、それに山本代表が全力で答えるというスタイルでおこなわれる。駅前の雑踏の中、白熱した論議が始まると、その真剣さに道行く人たちも足を止めてたちまち黒山の人だかりになる。反響の広がりから、回を重ねるごとにその規模が増していき、凍えるような寒さのなかで2、3時間ぶっ続けでも人が減らない。
参議院議員時代に蓄積した数万におよぶ資料のなかから、即座に議題に関連する資料をモニターに映して応える対応力の高さには驚かされるが、「たかだか山本太郎。わからないことはみなさんから知恵を授けていただきたい」という柔軟なスタンスで、自分が答えることができない場合はてらいなく聴衆に委ねる。政治家の主張を一方通行で聞かせるのではなく、幅広い経験を持つ人人と相互に意見を交換して正しい解決策を見出していく手法は「政治の主役はこの国に生きる人人」という山本代表の信条を体現している。そのやり方が歓迎され、記者会見の場ではどこでも時間内に収まらないほど人人から発言の機会を求める挙手が止まなかった。みんなは決して「政治に無関心」なのではなく、発言の場を求め、本気の論議を求めているのだということがわかる。
聴衆からの質問や意見は多岐にわたる。労働や賃金格差、外国人労働者、税金問題、奨学金、教育、障害者の孤立、生活保護、医療、介護、食品、健康、原発や放射能汚染、農漁業振興、災害対応、憲法や軍事、外交問題……どれもこの20年来の新自由主義的な政策によって破壊されてきた人人の生活からの声であり、生き死ににかかわる切実感があった。
また福島や福井、新潟などの原発立地地域の問題に加え、北海道、東北、東海、近畿などの各地では国策として進める大規模再エネ(風力やメガソーラー)、核廃棄物の処分場づくり、静岡ではリニア新幹線による環境破壊、宮城や浜松では水道民営化など、大企業が地方を食い物にする略奪的ビジネスが横行していることも浮き彫りになった。長崎県対馬では、日韓関係の悪化で観光客の9割を占める韓国人観光客が激減して地域経済が危機に瀕しているという切迫した声もあった。政治に対する幻滅が広がるなかで、下からの力を結集して政治を変えなければ、生きることも、安心して暮らせるコミュニティも奪われる。その危機感があるし、下から横につながって変えたいという意欲が充満していた。
B 関東では、山本代表が「ブラック企業でどんな働き方をしてきたのか話してほしい」と参加者に呼びかけ、みんながリレー方式でこれまでの働き方を証言する場面もあった。派遣切りにあって再就職ができず引きこもった経験、最低賃金ギリギリで残業代もつかないサービス労働を強いられていること、職を転転としたあげくに身内が自死した経験、パートを掛け持ちして子どもを育てる苦しさ……など、一度つまずけばたちまち貧困の連鎖に突き落とされる社会のなかでみんなが必死でもがいているし、現役世代や学生たちもこれまで「仕方がない」と思わされてきた過酷な労働環境への疑問を訴えていた。経済的な困窮を背景にした家庭崩壊や虐待、引きこもり、精神疾患、自殺など、まさに「死にたくなるような社会」の現実が想像をこえて蔓延していることを実感した。
これらの現状を踏まえて山本代表は「なぜ年間2万人が自殺するような社会になっているのか考えなければいけない。もはや奴隷を通り過ぎて、人をとりかえのきく部品としか企業側はみなしていない」と強調し、経団連を中心とした一握りの大企業や米国に支えられてその要求を丸呑みしてきた自民党政治を正面から批判しながら、「全有権者のわずか3割の得票でここまで好き放題できるなら、投票権を捨てている5割の人たちとつながってひっくり返せば、真逆の政治を実現できる。その先頭に立たせてほしい」と熱をこめてくり返していた。こうした論議は、れいわ新選組の政策を知らせるだけでなく、人人がお互いの経験や苦悩を共有し、個個バラバラにされてきた人たちを横につなげていく過程でもあった。
C 山本代表は、れいわ新選組が掲げる消費税廃止などの政策とあわせて、従来の「財源がないから増税」「赤字なのだから緊縮財政は避けられない」などといった既成概念を覆し、「政府の借金=民間の黒字」の仕組みや自国通貨発行権を持つ日本は税収にかかわらず大胆な国債発行が可能であること、税は過剰なインフレを抑制する景気安定装置であり、デフレから脱却するためには大衆課税を軽減して消費を喚起する必要があることについてくり返し説いていた。
世界一生産性の高い国でありながら、カネのために人間が縛られ、部品のように消費され、命まで奪われる異常な搾取の構図にメスを入れ、その支配からみんなの頭を解放することに力点を置いていたと思う。対話を重ねるたびに「政治とはこの国に生きる人人を救うために機能すべきものだ。争うのは労働者同士でもなく、外国人労働者でもなく、人人を政治からはじきだすことによって政治を好き勝手にコントロールしているわずか1%の財界とその代理人だ」という方向性を鮮明に訴えていたし、そのために団結できるすべての人と力を合わせていくというスタンスがより強固なものになっていると感じた。対話のなかでの聴衆との相互の響き合いがそうさせていると思えた。
B 街宣会場では、マスクをしたサラリーマンが「仕事の関係上、公には活動しにくいのでマスクをとれないのが心苦しいが、底辺から底上げしていくという政策に非常に励まされる。いずれは堂堂と活動したい。頑張ってくれ」と声を掛けてきたり、「自営業者だが、取引先が廃業したり、地域全体の購買力が落ちていけば私たちも苦しくなる。社会を変えなければ自分たちの生活もよくならない」(男性)、「友だちにシングルマザーが多く、バイトを掛け持ちしながら子育てをして苦労している。明日は我が身だと思うし、子どもたちの将来のためにも親である自分から動こうと思った」(母親)など、幅広い人たちが居ても立ってもいられない思いをもって集まっていた。単独で旗揚げしたことで国会内勢力やメディアにとっては「目障りな少数派」になったが、国会の外側では明らかに多数派になっている。なにもないところから自力で政党要件をこじ開けた参院選を経て、さらに多くの人を惹きつけている。
旧勢力と違う斬新な質 5割に働きかける努力
A 全国ツアーでは、ネットやSNSだけに頼るのではなく、人人と「リアルにつながっていく」ことを重視していた。SNSは便利だが、実際に相手の顔を見て、膝をつき合わせて対話することがなければなにも始まらない。一人一人が置かれている境遇も、抱える問題意識も個別具体的だからだ。山本代表みずから生活の場に足を踏み入れて、意見の違う人たちとも心を通わせるよう努力する姿を見て励まされ、「自分にもなにかできないかを考えるようになった」という人は多かった。
演説途中では「応援したがなにも変わらないじゃないか!」「消費税廃止などできるわけがない」などと否定的な意見も飛んでくるが、そんなときこそ相手がどんな生活をし、なにを考えているのかを知り、本気の論議でそれに応えながら一致点を探っていく。とかく古い市民活動家や革新政党を支援してきた人ほど頭ごなしにマウントをとったり、「我こそは」と自己主張の説教をして嫌われる傾向があるが、そうではなく、政治に幻滅している人、意見の違う人にこそ誠意を持って語りかけ、まず相手の生活を知り、粘り強く理解してもらえるように努力するという姿勢にこれまでの左翼との違いがある。「選挙を捨てた5割」とつながろうとする本気度がある。
B 演説を聞いたみんなもそれぞれの場で行動している。各地域でおこなわれるポスター活動はボランティアの醍醐味だと思う。SNSで発信される情報にもとづいて、見ず知らずの人たちが集合場所に集まる。3~4人ほどのグループで地域を分担して散らばり、一軒ずつインターホンを鳴らして「お願いします」とポスター掲示を依頼していく。「思いもよらないところで貼ってくれた」ということもあるが、2時間、3時間回っても1枚も貼れないときだってある。でも、はじめは緊張していた人たちも一日経験してみるとみんな晴れ晴れとした表情に変わっていた。
活動後に集合し、れいわ新選組のスタッフに促されて一人一人感想を交流すると、「はじめはインターホンを押す手も震えたけど、次第に慣れて話ができるようになった」「断られて心が折れそうになるときもあるけど、直に声をかけていくことで知ってもらえるし、次につながると感じることができた」「知らない土地で一軒ずつ戸を叩いて人人と話をしてみると、ポスターを貼らせてもらえることの方が珍しいし、れいわ新選組や山本代表のことを知らない人もいる。ネット上や仲間内では盛り上がっていても、まだまだ知名度の低いことがわかる。自分が動かなければなにも始まらないことがわかった」と口口に語っていた。
A 地域の特殊性だったり、政治的ポジションの違いで一回では理解してもらえないことも多多あるが、諸事情でポスターは貼れないけれど内心では応援してくれる人もいる。そうやって地域や人人を理解し、複雑な感情の機微にも触れながら、汗を流して行動した分だけ自分の言葉も行動も磨かれていく。次第に慣れていくと、地域の人人の生活や思いがわかり、「お年寄りが戦争体験を話してくれ、“あんなことは二度とくり返してはいけない”と声をかけてくれた。地域の歴史を知ることもできた」「頑張れと声を掛けてくれた」など新しい出会いや発見も生まれ、「こんなにおもしろかったのか」とみんな楽しみながらいきいきとやっている。経験を交流し合いながらボランティア同士の横のつながりもできる。いわゆるトップダウンの組織ではなく、本気でやる気の人たちが勝手連として下から動き出し、誰も止められない流れになっていると感じた。
C 集まる人にもそれぞれ得意分野があって、営業経験のある人からは、お宅訪問で断られてもちゃんと頭を下げてお礼をいうなど礼儀作法について教えられる。地元の人であれば土地勘や地域の事情に明るい。手仕事にたけた人はポスター掲示用のボードをつくってきたり、データ処理ができる人は名簿を整理し、デザインが上手い人は独自の配布物をつくるなど、それぞれがアドバイスをしたり、強みを生かしてお互いに補い合う関係ができている地域もあった。女性が多い地域はつながりも強く、とくに活発だった。短い言葉で相手にわかりやすく伝えるためにはどんな言葉がいいか、反論してくる人の意見も丁寧に耳を傾けて次回から教訓にしようとか、お互いに話し合いながら進化していく。自分が「一支援者」というだけではそこ止まりだが、実際に当事者として動くことで関係も緊密になり、一人一人がみんなのために働く運動体になっていく。社会を変えるために自分を変え、周りを変えていく。ポスター活動がそれを促していると思った。
B 「一人で何かしようと思っても無理なことが多く、いろいろ頭で考えていてもなにも動かない。いろんな人の意見や力や知恵を集めていけば変えていける。安冨歩さんが“山本代表を使って自己実現していく”と話していたが、実際にボランティアに参加してみて、みんな偽善や自己満足のために運動しているのではなく、みんなのためでもあるけど、自分のために世の中を変えていこうとしているし、そういう人たちがたくさん集まり始めていることに気付いた」(40代・母親)、「母親が認知症の祖父母の介護で精神的に追い詰められていたため、夢を諦めて帰郷した。同じような苦しみを持つ人たちがいるのにつながることもなく、周囲に理解してもらえる人も少なかった。思いを共有できない根っこを考えると政治に行き着き、山本さんの動画を見てみんなが協力できる社会に変えていきたいと思った。思っているだけでは変わらないので一歩踏み出してみると、みんな普通の人たちで暖かくサポートしてくれ、やる気の人たちの集まりだと感じた。自分が動くことで、例えれいわを支持してくれなくても政治に関心を持ってくれる人を増やしたい」(20代・女性)など、それぞれが一歩踏み出して新しい境地を開いていた。
A れいわ新選組のスタッフたちも、各地のボランティアとのかかわりのなかで相当に鍛えられている印象だ。一日の休みもなく日本列島を縦断するようなツアーの行程を献身的に支えていた。昼間ははじめて赴く地で地元の人たちにレクチャーしながら一緒にポスター行動で汗を流し、街宣の始まる3時間前には現地入りしてステージや機材の設置、そして会場整理や宣伝材料を配布するボランティアをとりまとめる。街宣後の片付けまで含めると大変な作業だ。それでも疲労の顔色一つみせず、集まってくる人たちの意見を聞き、励まし、さまざまな突発的なトラブルにも対応する。自己主張や旗を振り回すだけの自己満足でできる活動ではなく、あくまでも「縁の下の力持ち」としての立ち居振る舞いに徹しているのが印象的だった。彼ら彼女らがボランティアのお手本のようになっているし、そのように組織の中核が私心なく結束しているからこそ幅広い人たちの自由な活動を保証できるのだと思う。こういう人たちが各地に生まれていけば、相当に強力な運動体になっていくと感じた。
みんなの行動が情勢を動かす 新勢力が台頭する機運
B ツアー後半になるに従って、衆院選を含めた今後のたたかい方についての質問も多かった。野党共闘についての意見はさまざま出たが、山本代表の「消費税5%の共通政策で一致できる場合は捨て石になるが、できない場合は独自で勝手にやる」という訴えにはどこでも強い拍手が沸いた。外野からは「野党共闘を分断する気か」などの声も聞こえるが、「政策を横においてふんわりと手をつなぐことはできないし、ただ塊になるだけでは政権交代などできない。消費税5%で一致できなければ、旧勢力vs新勢力のたたかいをするしかない」という姿勢が支持されていた。有権者を裏切って見放された勢力が束になって勝てるほど甘くはないし、そんなこと続きで5割が票を捨てているのだ。
C 「政治は信じるものではない。宗教でもアイドルでもない。政治家は期間限定の雇われ人に過ぎない。この国の主人はみなさんであり、政治はしっかり監視して動かしていくものだ」(山本太郎)の言葉に集約されると思う。この間の国政の動きを見ても、「桜騒動」の陰で日米FTAは米国要求通りのスケジュールで国会承認され、野党にも体を張って止めるという気概はなかった。聴衆からは「隠れ自民党」「与野党のプロレスを見せられている」「連立政権になっても内側から裏切る」「主導権争いにしか関心がない野党と調整し合うくらいなら独自でやってほしい」などの厳しい意見があいついだ。与野党問わず既存政党の性根が見抜かれているし、だからこそ下から「まったく新しい政党をつくろう」の機運が高まっている。
自民党でも公明党でも、他の野党でも、れいわ新選組であっても、支持者は「信者」や「応援団」になるのではなく、政治を動かす「主人公」であり「当事者」であるべきと山本代表は強く訴えていた。そうでなければ政権をとったとしてもすぐにひっくり返される。それだけがんじがらめの支配の仕掛けがあり、圧力だけでなく懐柔もある。したがって下から有権者が政治家のお尻を叩き、永田町で起きている裏切りや圧力も全部公開して、相互に意見を交わしながら誤解やズレを正していくというスタンスだ。「野党だから無条件に支持するべき」とか「有権者は政治家の応援団」という関係ではない。「お前になにができる!」という人にも、「山本さんを信じてます!」という人にも「政治は信じてついていくものではなく、疑って監視しながら動かしていくもの。一緒に変えていこう!」と呼びかけていた。
メディアや既成政党は「ポピュリズム」「子ども染みている」などと揶揄するが、議場から有権者を見下し、「永田町の論理」を絶対視する干からびた脳味噌では理解できない。人人の生活に足場を置くならすべてあたりまえの主張であり、振りまかれてきた諦めをとり除き、みんのために機能する政治を望む人たちの力を束ねていくなら岩盤を突き破れる。そのことをみんなが確信していけば巨大な力になっていく。
A 限られた選択肢の中から「どこを支持するか」では消去法にしかなりえないのが現状だ。自分たちが望む社会に向かって能動的に政治にかかわり、永田町を下から揺さぶるくらいの強力な国民世論をつくることが求められるし、れいわ新選組がその動きをつくり出す起点になっている。「桜」どころではない大がかりな私物化と売り飛ばしがおこなわれてきたのがこの20年来の政治であり、その大きな構図について有権者とともに論議し、正面突破していく気概なくして政治を動かすことなどできない。国会での茶番やメディアの目くらましは見抜かれ、政治の本質をめぐる有権者の目は鋭くなっている。だからこそ街頭で本気の論議がこれほど盛り上がるのだと思う。この本気の流れが強まることは、スキャンダルの炎上騒ぎ以上に既存の権力にとって脅威だ。例えトップの首が挿げ替えられたとしても、みんなが白けて寝ていてくれたら3割支配は安泰なのだから。
B メディアが垂れ流す支持率調査などに一喜一憂していても始まらない。「放送禁止物体」として扱われるのも、それだけ権力にとって脅威になっていることの裏返しでもある。政治に幻滅した5割に働きかける彼らの挑戦はまだ始まったばかりで、政権にリーチする道は甘くはないが、逆にいえば伸びしろしかない。「与党vs野党」「右vs左」「保守vs革新」等等の古い枠組みでは分類できないところまで、社会を食い潰す1%と、食われる99%との分化が進んでおり、欺瞞が剥がれ落ちている。情勢は行動によっていくらでも動かせる。諦めや分断に晒されてきた人人を横につなぐ努力を各自が足元から進めていくなら、これまで見えなかったまったく新しい展開が生まれてくると思う。
れいわ新選組は、来春早早から中・四国、さらに岐阜や滋賀など対話ができなかった地域、さらに候補者を擁立する地域を重点的に回るという。本紙も、この下から始まった本気のたたかいに密着しながら、新しい政治を生み出す全国的なエネルギーの胎動をしっかり発信していきたい。
長周新聞を手元において知り合いにも見てもらいたい、その人はガラケーなのでこのような記事を見れないので
街頭に山本太郎の動画を流すだけでコストパフォーマンスだけなら
絶大な効果があるような気がするけどやっぱり本人がいないと始まらない
山本太郎氏の政治姿勢は、今までの政治家(政治屋)にない。本物だと思う。
物言わぬメディアばかりのご時世で、長周新聞さんだけが救いです。