いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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安保法廃案と安倍退陣めざす 学者ら150人が記者会見 全国の大学・地域と連帯し

 “安倍政府に鉄槌下す” 

 「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼びかけ人や賛同する大学教授ら約150人が20日、東京都内の学士会館で会見し、衆議院での強行採決に抗議するとともに、「立憲主義と民主主義を守り、この法案を廃案にするために、国民とともに可能なあらゆる行動を実行する」と声明を発表した。20日までに賛同者は全国津々浦々を網羅した形で学者1万1218人、市民2万2779人にのぼっている。会見では、学者と学生が共に立ち上がっていることへの確信が語られると同時に、緊迫した情勢のもとで知識人として決して退くことはできないこと、安保関連法案を廃案に追い込み、安倍政府に「鉄槌を下す」(益川敏英)ために、全国すべての大学で共同行動を起こし、その地域の市民と連帯してたたかうことを宣言した。31日には学者と学生の共同行動として砂防会館で集会を開き、国会前までデモ行進する予定で、参加を広く呼びかけている。以下、会見の発言要旨を紹介する。

 首相退陣までたたかう  京都大学名誉教授 物理学・ノーベル賞受賞者 益川敏英 

 この問題に関して反対する人人が非常に短期間に立ち上がってきた。60年安保を彷彿とさせるものがある。歴史的な流れを見てみると、日本が第二次世界大戦に負けて米軍が進駐してきたとき、アメリカは日本を二度と戦争ができないような二流国家にするのが基本的方針だった。ところがその後に中国で革命が起こり、朝鮮戦争が起こったなかで、日本を反共の防波堤と位置付けて再軍備を進めていった。そういう形で着々ときたが、それでも憲法9条はずっといい続けてきた。
 5年ほど前だったか、東シナ海で不審船が見つかったのが象徴的な出来事だった。不審船に対して日本は鉄砲は撃てない。20㍉機関砲を持っていたが、それを一発撃つと100㌧くらいの鋼鉄船であれば完全に沈む。20㍉機関砲を警告射撃としては撃ったけれども本体を撃沈するようなことはできなかった。北朝鮮の船は結局自沈した。それぐらい日本の憲法九条は歴然と生きている。それを今回の安倍政権はなし崩しにしようとしている。
 最近の動きで注目すべきは、世論が完全に逆転して安倍政府の支持率が急速に落ちていることだ。安倍首相がやろうとしていることが如何に危険であるかを認識し始めている。本来であれば憲法を変えて、九条を他の条文に置き換えてやらなければならない戦争を、彼が有事だと思ったら戦争できるといっている。これはとんでもない話で、立憲主義に真っ向から敵対するものだ。私は情勢は明るいと思っている。ここ1週間くらいの非常に鋭い反対世論の立ち上がり、そういうものをさらに拡大して、安倍政権に対して鉄槌を下さなければならない。安倍さんが完全に辞めるまでたたかいを続けなければと僕は思う。自民党の政治家にはいろいろな人がいた。右翼の人もいたが、安倍さんみたいなメチャクチャをやる人は今までいなかった。退陣してもらわなければと思っている。

 大学の軍事利用許さぬ    名古屋大学名誉教授  宇宙物理学   池内 了 

 私は宇宙物理学を研究している。自然科学者としてのべたい。
 今回の安保関連法案、これは私自身のいい方をすれば安倍政権の軍事化路線の一つの側面で、他にもいろんな側面で全面的に私たち国民に攻撃をかけている状況にあると位置付けている。科学者や研究者に対しては、軍事研究への動員が具体的に始まろうとしている。第2次世界大戦で研究者が軍事のために協力したことを深く反省して、日本学術会議では1950年と67年の2回にわたって「戦争目的のための研究はおこなわない」「軍事研究はおこなわない」と宣誓してきた。公式には日本では大学研究機関等の軍事研究は概ねなかった。それはある意味、世界に誇るべきことだった。まさに日本国憲法を科学者の側が体現して、「軍事のために研究をおこなわない」と誓って実行してきたわけだ。ところがそのことが今崩れつつある。安倍政権になってから、軍事目的と平和目的、いかなる科学や技術もその両面に使えるのだからいちいち区別してもしょうがないという理屈で研究者を引っ張り込もうとしている。
 とくに国立大学の貧困化政策がある。通常の経常研究費をバッサリと削っていく政策のもとで研究者は研究費が不足している。そうなると研究費のために軍事研究に手を出す状況がうまれつつある。実は防衛省が今年7月8日、軍事研究のための競争的資金制度の募集要項を出してきた。非常に危うい状況になっており、私自身、いろいろなところで問題の重要性を指摘している。
 科学者や技術者の社会的責任、自分たちがやってきた研究を人人の幸福のため、平和のために使うこと、それ以外には使って欲しくないと誰もが宣言し秘密研究に結びついていく軍事研究は一切やらないことを私たちは明確にしてきた。そういう運動を今後さらに広げていきたい。
 それは軍事法制、安保関連法案を打ち破る一つの方向であり、同時に全面的にかけられている攻撃に対して、私たちはいろんな側面で対抗していく必要があると思っている。

 原発再稼働と同じ暴挙       九州大学教授 科学史  吉岡 斉 

 私は60年安保のときは小学校に入学したばかりで、毎日デモを見ていた。真似をして、電車ごっこで安保反対、安保反対とやった記憶くらいしかない。70年安保は自動延長のときだが高校生だった。何回も国会前デモに行った。隣の人が逮捕されたりしたが結局通ってしまった。それ以来、政治運動は下火になって45年ぶりに安保反対といえる機会がやってきて、何か熱いものがある。
 私は現代史を研究している。
 最近は主に原子力にかかりっきりだが、原子力だけではなく日本と世界の現代科学技術史全体を見るという観点で、安全保障の科学技術にも昔から関心を持って、専門的レベルで研究してきた。それを見ると、日本の戦後は一貫して「普通の国」というのか、連合国、戦勝国と同じような「普通の国」を目指して歩んできて、科学技術についても昔は給油タンクに給油装置をつけないとかいろいろ制約もあったが、最近は強襲揚陸艦みたいなものをつくったり、あるいは非常に攻撃的だと思うがオスプレイを配備したり、そういう流れになって「普通の国」になりつつある。この総仕上げが憲法九条の改定であると思う。それをいきなり安倍さんはやろうとしてできなかった。だからまずは踏み台として安全保障関連法案、もちろんこれはアメリカとのガイドライン改定に見合ったものだが、これを中間ステップにして、次は憲法改定を必ず狙ってくるであろうと思う。それを阻止するためにも今の安全保障関連法制には反対していかなくてはならない。
 あの人たちは何のために改定を狙っているのか。独裁政治であると抗議声明にも書いてあるが、結局、自分たちの仲間内で利権であるとか活動の自由を得るために、ごく一部の周りの人たちの都合だけを聞いて物事を進めている。国民はそのなかには入っていない。
 まったく同じことが原発再稼働についてもおこなわれている。7割の国民が反対しているのに一切おかまいなく川内1、2号機の再稼働が8月、9月におこなわれようとしている。同じような体質で、こういう事をあらゆるところでやろうとしているのが今の政権だ。1日も早く退陣させなければならないと思う。

 米国同様の攻撃受ける   千葉大学教授 中東政治 酒井啓子 

 国際政治の上で、あるいは中東諸国から見て今回の決定がどのようなインパクトを持つか考えてみたい。第一点は、ホルムズ海峡に機雷がまかれたときに、石油に依存する日本はそれに対して行動を起こさなければならないという例がくり返しのべられてきたが、20年も前の国際情勢を踏まえて実行するのはいかがなものか。法案が強行採決されたその日には、アメリカとイランの間で核開発協議が合意に至っている。イランがペルシャ湾に機雷をまくというような国際環境はとうの昔に過ぎ去っている状況だ。このなかで、そういうことを前提に物事を推し進めるという国際感覚、国際認識のズレが安倍政権にはある。このような国際認識のままで武力行使を決定されてしまったら、とんでもないところに日本は連れて行かれると強く危惧している。
 もう一点は、自衛隊はイラクのサマワに派遣された例があるが、過去の例から日本がどのように評価されたかをアセスメントされたのだろうかと思う。というのは、イラクで日本の自衛隊の何が評価されたのかというと、何も悪いことをしなかったことだ。つまり他の軍隊、特にアメリカがあまりにも人を殺す軍隊であった。それに対して日本の自衛隊は駐留はしていたけれども、人を殺す軍隊ではなかったということが評価されていたわけだ。ところが今回の決定で、自衛隊が人を殺す軍隊になるんだと、しかもそれが同盟国アメリカの行動と共に人を殺す軍隊になるということは、これまで日本の自衛隊がそれなりに築いてきた国際的な、とくに中東で派遣された地域の評価をガラッと変える。もっといってしまえば、アメリカといっしょになって軍事力を行使する部隊になった以上は、アメリカと同様の攻撃を受けてしかるべきで危険性は高まる。
 もちろん自衛隊だけの問題ではない。日本人はこれまでの様様なグローバルな犯罪やテロに巻き込まれたというが、これは巻き込まれているわけではなくて、日本政府がやった行動に対して、そのリアクションとして日本人がそのような目にあってきた。われわれが海外に出るときに、このような法制を看板として背負っていく、それだけのリスクを負ってこれからは生活していかなければならないのだと自覚しなければならないような法案だ。

 九条守り沖縄と連帯   専修大学教授、法学  日本学術会議前会長 廣渡清吾 

 1960年安保条約改定の際には衆議院で強行採決された後、30日で自然成立した。参議院で何をしても1カ月経てば成立するという状況のもとで国会を包囲したが、そのまま成立した。今回は60日ルールといわれている。参議院でやれるかどうか、まず関門がある。ただでさえ強行採決した後の安倍政権の支持率の下落は皆さん承知の通りだ。だが、どこまで危険を犯すのかという状況をつくり出すことがとても重要だと思う。9月27日まで会期がある。参議院でどのような審議が展開されるのか注目し、さらに国会を包囲し、様様な形で議員に働きかけ、国会内の雰囲気を変えることは十分に可能だ。そのために残された時間は十分にある。私たち学者の会は、先ほどの行動提起にもあったように、これからますます学生や市民のみなさんと連帯して、多数を集めていく必要がある。
 反民主主義、反立憲主義、これは国際常識から見てもまったく肯定することはできない。そんなことは当たり前だ。憲法九条を守るたたかいにはどういう意味があるのか。それは国際的責務だ。憲法九条はもう日本は戦争をしかけるようなことはしないと約束したはずだ。これは日本国民が自分たちの安全と平和を守るというだけのたたかいではなくて、戦後日本国憲法のもとで世界と約束した、その約束を日本国民が果たすということだと思う。
 もう一つは沖縄のたたかいとの連帯だ。沖縄と日本の本土のわれわれを結ぶ絆は日本国憲法9条を守ることだと思う。辺野古埋立の取り消しをたぶん知事が果敢に挑戦されることと思う。この8月、9月は沖縄の人人との連帯をわれわれが国会を包囲しながら続けていく。そのことに大きな意味があると思う。
 もう一つ、安倍首相が戦後70年の談話を予定している。閣議決定が無理なので、個人で談話を出すといっているが、まさにここに安保関連法案に反対するわれわれの歴史的な背景や焦点があわさっていくと思う。過去の植民地支配の反省なしに自衛隊を世界でどう使うかなどと考えることは、まったく不謹慎極まりない。これは世界の人人に認められない。われわれの憲法九条擁護のたたかいは、安倍談話に向けての集中砲火も必要になると思う。
 8月、9月、学者の会はさらに行動を展開していくので協力をお願いしたい。

 世界の信頼葬る専制化  国際基督教大学特任教授、政治思想 千葉 眞 

 今回の安倍政権の強行採決に対しては、怒りというか憤りというか、抑えがたい感情を禁じ得ない。戦後の日本政府及び市民社会が不完全ながらもつくり上げてきた立憲主義、民主主義、平和主義を破壊するような行為だったと思う。民意に耳を傾けず、国会内の多数者の専制によって強行採決をする。これは議会制民主主義を葬り去るような行為ではないかと思う。さらに戦後日本の非戦のコンセンサスをないがしろにするものでもある。憲法前文に記された「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」をまったく否定し無視している。現政権は憲法99条にある国務大臣及び国会議員の憲法遵守義務をもまったく無視している。このように危険きわまりない現政権には、即刻退場してもらいたいと思っている。
 今後、参議院に移されるわけだが、もしこれが廃案にならないと、今後図に乗った現政権はやりたい放題になる危険性がある。政治の私物化、政治の専制化がもたらされるリスクは非常に大きくなると危惧している。戦後、日本は憲法9条のもとで政府としては基本的に非戦型安全保障を追求してきた。自国への侵攻という極限状態においてのみ専守防衛、個別的自衛権の行使という形で必要最小限の自衛力を行使するという立場を維持してきた。先の15年戦争では、アジア、太平洋地域で1500万人から1800万人といわれる犠牲者を出したといわれている。自国でも320万人の戦死者を出した。あの戦争への悔恨に基づいた戦後日本のコンセンサスであったと思う。このコンセンサスを今回の法案は反古にして葬り去る。
 非戦の原理原則、9条というのは一面、アジア・太平洋諸国の政府と国民に対する謝罪と戦争責任の面を持っていた。今回の法案はこれまで戦後日本が培ってきた平和国家、平和文化への世界規模の信頼を自らご破算にするようなリスクを持っていると思う。このことを恐れる。この夏は日本政治の将来を決める正念場だ。自民党の支持率を低下させることが重要で、次期参院選や衆院選に対する恐れが自民党や公明党のなかに生まれる状況をつくり出していかなければと考えている。

 研究者の信頼取り戻す   東京大学名誉教授  社会学 上野千鶴子 

 憲法学者をはじめとして多くの研究者が学問の政治からの自立性、もっといい換えるなら学問の権力からの自立性を証明したことを誇りに思う。研究者のなかには集団的自衛権を容認する立場の方もおられるが、その方方も含めて今回の法案は明らかに憲法上違憲であり、もし集団的自衛権を認めたいのであれば、憲法改正手続きを経るべきであると主張しておられる。3・11以降、科学者と研究者の社会的信頼が著しく損なわれたが、研究者の信頼をとり戻す機会が得られたと思っている。
 今回、学者と学生が共にたたかっていることが素晴らしいことだと思う。1970年の安保のときには学者と学生は対立した。その前の1960年には学者と学生は共にたたかった。益川先生は60年安保世代でいらっしゃるが、55年経って学者と学生が世代をこえて共にたたかうときを迎えている。どうか益川先生の世代も引退などしないで、もう一度出てきて頂きたいと思う。
 手遅れにならないうちに私たちは行動を起こさなければならない。世界でもっとも民主的といわれたワイマール憲法が多数決によってナチを生んだ。「ナチに学んで静かにやったらどうかね」といわれたのが麻生副総理だ。戦後になってから、「なぜナチを止められなかったか」問われて、マルチン・ニーメラーという牧師さんが痛感の思いを込めて答えた言葉がある。「ナチはまず共産主義者を攻撃した。自分は不安だったが共産主義者でなかったので何もしなかった。次にナチは社会主義者を攻撃した。自分は社会主義者でなかったので何もしなかった。次にナチは新聞と学校を攻撃した。私はますます不安になったが、それでも何もしなかった。ナチは教会を攻撃した。自分は牧師だから立ち上がった。が、既に手遅れだった」。
 今の時代がどこまできているか。学校とメディアが攻撃されている。大学の教育現場に日の丸・君が代を強制しようという動きがあり、もう一つは考える人をつくる人文系の学部をなくせ、再編せよという動きが出てきている。こういう動きに対して私たちが、手遅れにならないうちに立ち上がらなければならない。やむにやまれぬ思いで学者がこれだけ集った。それは画期的なことだ。
 新国立競技場が市民の声で白紙に戻った。いえば通る。怒りは表明すれば伝わる。そして廃案に追い込めることを私たちは学んだ。国立競技場よりももっと深刻な私たちの国の運命にかかわる安保法案にとって同じことができないことはない。今がその正念場だ。

 国を滅ぼす反知性主義     京都大学教授、法学 高山佳奈子 

 

 私は刑法、国際刑事法を専門にしている。学者の会が最初に出したアピールには英語バージョンがある。それが発表された少し後に英語署名ホームも公表されている。この英語署名ホームがなぜできたかというと、国際刑法学会のアメリカ部会長から、英語の署名ホームもつくってほしいという要請があったからだ。この学会から事務総長がブラジルから署名し、名誉会長、名誉副会長という役職の方方がフランスやスペイン、イタリア、旧ユーゴスラビア諸国といった主要な国国から賛同して下さっている。また、これとは別にアメリカのシカゴ大学やイエール大学、アジアのトップレベルの大学の先生方が日本でおこなわれている抗議行動への賛同、表現の自由、報道の自由を重視する声明を発表している。国際世論がどうなっているか関心は高いと思うが、少なくとも私の認識は次のようなものだ。
 確かに米軍の財政的・人員的な負担の一部を日本が肩代わりするということについては、「その方がいいのではないか」という意見が諸外国にある。しかしながら、憲法を無視してそのような政策を推し進めるべきだという意見はまったく寄せられていない。憲法を無視してよいという国際世論は存在していない。国際法秩序というのは物理的な力だけで決まっているわけではない。世界一の軍事大国であるアメリカが世界征服しているかというと、していないわけだ。なぜか。国際社会においてもある程度の法の支配というものがあって、これを大きく拡大していくというのが私たちに課せられた使命であると思う。
 理屈、理念の面だけでなく、今般の憲法に反する政策を推し進めていけばいったいどうなるのか。外国にいるジャーナリストやボランティア、一般市民の日本人が例えば過激派によって拘束されたり殺害されたりする危険性は高まるのか、低くなるのか。また、先日の集会で鳥越俊太郎さんが話されていたが、日本でもスペインやイギリスで起こったような交通機関を狙った爆弾テロが起きるかもしれない。そのような危険はこの政策を進めることによって、大きくなりこそすれ小さくなることはないと警鐘を発しておられた。
 拉致問題の解決を考えてもアジア周辺諸国との友好関係が何よりも大事なのであって、日本が単独で何か軍事力を拡大するような政策を進めるというのは、むしろ日本人に対する危険を増すことの方が大きいように思う。国際刑事法の観点からいっても、ボランティアとかジャーナリストなど一般の民間人に対して軍事攻撃をおこなうということは、それだけで国際犯罪、全世界からの避難を浴びる。人類に対する罪と考えられている。これに対して、武器を持った人が武力衝突によって死んでしまってもやむを得ないという評価になっている。逆説的ではあるが、武器を持たないこと、丸腰でいるということが逆に攻撃を避ける意味も持っていると考えている。そういう意味では、積極的平和主義というのは政府がいっているような内容ではなく、むしろ産業面とか学術研究、あるいは文化の交流を進めて国際的な協力関係をどんどん進めていくことによってこそ築かれるものであって、武器を揃えるとか、武器による抑止力を強めることによって秩序をもたらすという方向性は、これは全然平和主義でも何でもないと考える。
 京都大学では今月のはじめに自由と平和のための京大有志の会が設立された。「戦争とは」ではじまる声明が全国で好評を博している。このような印象的な声明を発することができるのも京大ならではだが、そのなかで政府の国立大学に対する圧力は強まる一方で、文系廃止のような政策がまさに進められている。この反知性主義というのは、日本のこれからの国力をなくしていく、日本を滅ぼすような政策にほかならないと私は考えている。

 ピンチをチャンスに    国際基督教大学教授、社会倫理学 川本隆史 

 益川先生が「鉄槌を下す」という懐かしい表現をして思い出した。安倍政府を倒すのに鉄槌を使うのももったいないと思う。団扇で扇いで吹き飛ばすくらいまでにきているのではないか。もちろん楽観はできないが、鉄槌も用意しつつ団扇くらいでと思っている。
 社会倫理学を守備範囲にしているが、まともな社会をどう考えるかというときに、何がまともでないか、正義か不正義かという感覚を共有していくのが足場になると思う。まさしく今回の決め方、法案をごっそりまとめて「時間を尽くした」といういい訳で数だけで押し切るというまともでない決め方に対する反発は多くの人人に共有されていると思う。この正義の感覚の共有をバネにして、まともな社会へ一歩近づいていくチャンスに変えたいと思う。ピンチだが、逆にチャンスだと自分を奮い立たせ、学生にもいい聞かせて動いていきたい。もう一度いうがピンチはチャンスだ。

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