安全保障関連法に反対する学者の会は23日、東京都千代田区の学士会館で「学者の会アピール発表大記者会見」を開き、全国の31大学から約100人の学者や知識人が集まった。学者の会は2015年6月に発足して以後、現在までに1万4353人の学者・研究者と3万2493人の市民の賛同人を集め、市民や学生とともに安倍政府の政策を検証し、平和で民主的な政治をとり戻すための集会やシンポなどをおこなってきた。今回、参議院選を前に、改憲を掲げて暴走する安倍政府に鉄槌を加えるために主権者としての行動を呼びかけるアピールを発するとともに、憲法、外交、労働、福祉などあらゆる分野で、どのように国民主権が蹂躙され破壊されてきたのか専門的知見から学者たちが発言した。以下、発言者の発言要旨を紹介する。
◇ 東京大学名誉教授 広渡清吾
私たち学者の会は、2015年6月15日、ここ学士会館で安保関連法案に反対して運動を進めるために、設立の記者会見をおこなった。反対運動は60年安保反対以来の国民運動として大きく盛り上がったが、それにもかかわらず安倍政権は法案成立を強行した。法成立の翌日、2015年9月20日、学者の会はここ学士会館で170人をこえる出席者をえて記者会見をおこない、安保関連法を廃止するまで運動を続けることを宣言した。
それから約4年がたった。安倍政権は軍拡政策をますます明確にし、九条改憲の具体案を正面から提案するにいたった。この間、2016年参議院選挙、2017年衆議院選挙と2度の選挙がおこなわれたが、安倍政権に対して立憲擁護の政党を打ち立てて安保関連法を廃止にするという学者の会の課題はその展望を開くにいたっていない。
来る7月には参議院選挙が予定されている。学者の会として3度目の国政選挙だ。安保関連法の廃止を求め、その大前提として憲法九条を擁護し立憲主義を実現する政治をつくりだすために、私たちはこの選挙へ安倍政権に決定的な打撃を与えることをめざす。
なぜこのことが今の日本社会に必要なのか、私たちの思いと願いをこれまでにも増して、日本社会の市民のみなさんにお伝えし、一緒にたたかっていただくことを期待したい。
◇ 名古屋大学教授 愛敬浩二
憲法に関して話したい。1点目が九条改憲に関する問題だ。先日公表された自民党の公約でも「早期の憲法改正をめざす」とある。4点の改正項目の筆頭に「自衛隊の明記」とある。安倍首相やその周辺は「自衛隊を明記しても現状は変更しない」といっているが、法律学者としてはそもそも現状を変更しない条文改正があり得るのか、現状変更しないならそもそも憲法を改正する必要はないのではないかという思いはある。
だが強調したいのは、そもそも現状が問題だということだ。すなわち集団的自衛権行使を容認した安保法制がどんどん実施されている。戦争のできる国へと、この国の形がどんどん改変されている。これは広い意味での憲法の変更だといえる。
一つは自衛隊による米軍防護の件数が2016年は0件、2017年は2件、2018年は16件でわずか1年の間に8倍となった。これぐらい自衛隊の米軍防護が日常的におこなわれるようになっている。もう一つは昨年9月に海自の潜水艦が南シナ海で対中国の訓練をした。これはどこで自衛隊が活動することが期待されているのかが明確に示されている。
さらに最近、トランプ大統領が来日したときに護衛艦「かが」に乗った。「かが」は米軍機も発着可能な空母に改修することが予定されているものだ。そこでトランプ大統領は「(自衛隊が)さまざまな地域の紛争や離れた地域の紛争に対応してくれるだろう」といった。自衛隊をどこに送り込みたいのかがはっきりする。安保法制を廃止するということは単に法律を廃止するということではなく、ここまで変えられてしまった国のあり方をせめて集団的自衛権を閣議決定した2014年7月1日以前に戻さなければいけないと思う。そうでないとずるずるとアメリカの戦争に引きずりこまれる可能性が高くなる。
2点目は沖縄の辺野古新基地問題と南西諸島における自衛隊配備の問題だ。辺野古基地問題に関して、2014年の県知事選では翁長氏が、埋め立てを承認した仲井真氏に10万票の差をつけて当選した。10万票は沖縄県知事選で極めて大きな数字で、圧勝だった。2018年、玉城知事が当選した県知事選でも自民、公明、維新、希望が推薦した佐喜真氏に対して8万票の差をつけて当選した。今年2月の県民投票でも投票者の70%以上の人が辺野古新基地反対の意志表示をした。3回にわたり明確で圧倒的な反対意思が示された。
それにもかかわらず知事選の前、県民投票の前から「どんな結果になろうが埋め立てを止めるつもりはない」と政府はいっている。これは主権者がいっていることをないがしろにしているとしか思えない。憲法改正の議論のとき、安倍首相は「憲法九六条の改正要件が厳し過ぎて国民に判断させる機会を与えていない。けしからん」という。では沖縄で明確な意志が3回も示されているにもかかわらず、それに対して何も対応しないのはまったくおかしい。
3点目は、南西諸島の自衛隊配備に関して、最近、宮古島、与那国島に住民に対する説明とは異なって弾薬庫が配備された。現在の日米安保は九条のもとにおかれており、建前ではあるが「日本と極東の安全のために米軍が存在する」と説明されている。沖縄になぜ海兵隊が必要なのか、日本の安全との関係で関係なければ出ていってもらうという議論があってもいい。ところがもし九条が改正されてしまえば、おおっぴらにアメリカのグローバルな軍事展開のために基地を提供するとアメリカに明確に意志表示をすることになる。仮に台湾有事があった場合に、南西諸島は最前線になる。
安倍首相は今年の2月、トランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したというのが暴露された。そこまでアメリカに迎合する政治家が、日本の政治をおこなっている。この状況を変えなければいけないと思う。
◇ 東京大学名誉教授 和田春樹
私は本年初めの国会冒頭の安倍首相の施政方針演説についてのべたい。この演説のなかで、「地球俯瞰外交の総仕上げ」と語った。最初に中国について、「日中関係は完全に正常な軌道へ戻った」とのべた。これが安倍氏がいう唯一の外交成果のようだ。だが安倍氏の外交軍事政策の基本戦略が、米国と結んだ対中国封じ込めの軍事的対決と体制づくりにあることは歴然としている。
安倍首相は対ロシア外交を掲げた。「信頼と友情を深め、領土問題を解決し平和条約を締結する。1956年宣言を基礎にして交渉を加速する」とのべた。しかし、もはやこれは空文句に過ぎない。四島返還を下ろして、二島返還でまとめようとしたが手遅れだった。ロシア外交は明らかな失敗だ。
それが安倍首相にもわかっているため、この演説で北朝鮮外交で意欲を見せた。「北朝鮮の核ミサイル、もっとも重要な拉致問題の解決に向けて相互不信の殻を破り、次は私自身が金正恩委員長と直接向き合い、あらゆるチャンスを逃すことなく果断に行動する。北朝鮮との不幸な過去を清算し、国交正常化をめざす」とのべた。
しかし、米朝首脳会談に向けて安倍首相が拉致問題を押し立てたのは、「日本国家は拉致という北朝鮮の犯罪行為を忘れない」というものだった。この問題をあくまでも暴露告発して、北朝鮮をなおも追及するつもりだという意志表示であったが、被害者家族は「とにかく交渉だけはしてほしい」という願いを強め、安倍氏は交渉する気を見せるように追い込まれていった。5月から「無条件で会談する」といいだして注目を引く作戦を展開し始めた。しかし安倍首相は2006年以来の「拉致三原則」を堅持しており、対話はたんなるジェスチャーに過ぎない。金委員長と会談はできないし、拉致問題の解決に進むこともできない。
もしも本気で無条件で交渉をおこなおうというのであれば、拉致三原則を放棄して平壌宣言に基づいて平壌と東京に大使館を開き、ただちに核ミサイル問題、経済協力問題、制裁解除問題、そして拉致問題を交渉することができる。しかし、その道を進むことはできないだろう。
施政方針演説のなかで最も恐ろしかったのは、韓国について一言もふれず、完全に相手にせずの対応を示したことだ。韓国は日本にとって大事な隣国であり、日韓間は大きな問題を抱えているにもかかわらず、そういう態度をとった。それを聞いて1938年1月の近衛首相の演説を思い出し慄然とした。あのとき、「爾後国民政府を相手にせず、新興支那政権の成立発展を期待する」といって日中戦争に完全に突入していった。中国、韓国、北朝鮮とは断絶し対決して、米国との軍事同盟にこもり米国と心中するという未来は悪夢だ。安倍首相は自分の国のまわりで戦争が起こるのを防ぎ、そして隣国との平和的で人間的な協力関係をつくっていくことが外交の第一の課題であることを理解していない。考えていない。その意味でとんでもない総理大臣だと思う。
◇ 京都大学名誉教授 間宮陽介
安倍政権はたんに暴走しているだけでなく、破壊しながら暴走している。破壊は部分的な破壊ではない。障子が破れると部分的に切りとって貼りかえると修復されるが、部分的な破壊ではなく一つが破壊されると次が破壊される。それは根本的なところにまで及んでいる。憲法、立憲主義、法の支配の破壊、教育、労働、いろんな面での破壊が進んでいる。そうした破壊は経済でも起こっている。アベノミクスが失敗した、クロダノミクスが失敗したというたんなる失敗の話ではない。経済自体が破壊されている。
経済学の古典を紐解くと経済の目的について書いている。「国民一人一人の福祉厚生、生活水準を向上させるにある」と謳われている。それはアダムスミスからケインズ、現代にいたるまで変わらない。しかし先の国会で、「年金の財源について法人税率を引き上げて年金の財源に回せばいい」と議員がいったら安倍氏がせせら笑い、「論外だ。経済成長が大事だ。そのためには一部の富裕層を優遇する」という。それは「経済成長をすれば、恩恵が下下まで回っていく。雨水がしたたり落ちるように恩恵が世界全体に広まる」というトリクルダウンのことをいっている。
そういってこの間法人税率を下げ、10月から消費税率を上げることになっている。だが法人税率が下がり企業の利潤は増えている。だがそれが設備投資に回れば経済活動を促すが、1年で30兆から40兆円という大きな額が企業の貯蓄に回っている。内部留保の累積が400兆円で、ものすごい額が企業のなかに留まっている。
マクロ経済的にいうと内部留保は貯蓄と同じであり、貯蓄が増えるとGDPは下がっていく。内部留保が増えるとGDPを抑制する効果がある。法人税率の引き上げ、消費税率の引き下げをすれば消費支出が増えるからGDPを増やす効果をもたらすが、従来の経済の目的が壊されている。
その点は日銀の政策でもおこなわれている。富裕層のために日銀が株式を買い集め、その結果、日銀が保有している株式(ETF)は、残高が25兆円になっている。日本全体の株式の2~3割の株式を保有している。日銀が筆頭株主になっている大企業も何社かある。それが進むと日銀が日銀の首を絞めるようになってくる。大量の株式を保有して株価が下がると日銀の財務状況が悪化する。多額の株式を買っているので、簿価にあらわれない損失分が膨らんでくる。下手をすると債務超過になりかねない。それを守るために自分のために株を買い付けなければならない。どんどん所有株式が増えていくく。目的が富裕層のためという事態からさらに進んで日銀みずからの保身のために株を買わなければいけなくなってくる。
それは日銀が保有する国債についてもいえることだ。現在450兆円の国債を持っている。従来、国債は景気調整、物価調整のために買ったり売ったりするのが目的だったが、政府の財政赤字をサポートするために国債を購入するようになっている。
政府の経済政策の意味が変わってきており、さらに経済の破壊活動を推進するのが新自由主義だ。新自由主義の新自由主義たるゆえんは企業間の競争を高めるのではなく、未開拓の地、従来は市場化されていなかった教育、農林水産業、医療をビジネスチャンスとするということだ。そうやって生活面を破壊していく。新自由主義というのは破壊活動の先兵になっている。日本は経済的にも破壊されていくと思う。安倍政権はぜひとも倒さなければならない。
◇ 早稲田大学名誉教授 浅倉むつ子
安倍政権は2016年以降、「働く人の視点に立った働き方改革」といい始め、2018年6月に「働き方改革法」を成立させた。ここでは同一労働同一賃金、時間外労働の上限規制など非常に耳当たりのよいキーワードをたくさん用いた。しかしその内実は決して労働者の権利擁護ではない。これはわずかな規制を付け加えただけであって、その効果が見込まれない。
強調したいのは、安倍政権の働き方改革というのは、労働政策上の法理念が欠落していることだ。
労働の立法政策を語るのであれば、憲法的価値をベースとした人権、基本権の調整となるような理念が必要だ。今年は国際労働機関・ILOの創立100周年にあたる。ILOは「すべての人にディンセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」を実現することを目標としている。日本でも民主党政権の時代には「公正な処遇のもとディンセント・ワークを実現するために、不合理な格差の解消をはかる」ということがきちんと提示されていた。
今の安倍政権はILOの国際基準には目もくれず、国際基準に後ろ向きであることを隠そうともしていない。労働政策は決して経済政策に代替されるものではない。そういうことを強調したい。
理念のない政策の当然の結果として、働き方改革の目玉政策での「同一労働同一賃金」の政策というのは、ほとんど実効性は期待できない。「正規労働者と非正規労働者の待遇差が非合理なものであってはならない」とするにとどまり、現在の著しい格差を縮小するような画期的効果を期待できるものではない。そもそも正規と非正規の格差を問題とするのなら、両者間に異なるルールを用いること自体を問題とすべきであって、格差に合理性があることを立証する責任は使用者にある。それを明確にすべきだと思う。
しかし改正法は合理的でなければならないということまでは求めずに、「不合理な場合には損害賠償が可能となる」、それだけの効果しかない。しかも問題は正規、非正規間の格差だけではなく、正規労働者(雇用管理区分)の差別の合理性が日本では問われているはずだが、安倍政権はそれについての認識が欠如している。
さらにいうと時間外労働の上限規制は、現実的な時間短縮効果を期待できないと思う。上限は従来は厚労大臣告示に合わせられている。しかも特例の限度基準が過労死ラインしかない。ここでは過労死ラインまでは罰則を気にしないで時間外労働を命じる、そういうふうに考えてしまう使用者が登場しても不思議でない。時間外労働の上限規制が逆効果をもたらさないことを願うばかりだが、働き方改革ではこれを規制強化と位置づけて、それと引き換えに高度プロフェッショナル制度を導入した。これは自分の労働の分量をみずから決められることを想定されている管理監督者とは異なって、高度プロフェッショナルな人たちが上司の指揮命令を受けて働いている労働者であるにもかかわらず、一切の労働時間規制から除外されるという仕組みだ。この新しい制度は働き方改革の名には値せず、過労死放任の制度というべきかと思う。
このような安倍政権の労働政策ではなく、私たちは長時間労働と決別して、健康や家庭の事情で残業できない人であっても8時間働けば普通に生活できる当たり前の社会づくりを求めたいと思っている。むしろ労働基準法が定めている8時間労働の原則に立ち返って無制限、無限定な正社員の働き方を見直し、すべての人にディンセント・ワークを保障する働き方改革が必要なのだと思う。今こそ新しい政権をつくって本当に改革を私たちの手で実行したい。それを心から願っている。
◇ 同志社大学教授 岡野八代
ジェンダーとは「社会的、文化的性差」と一般的には定義されている。だが現在の政治状況のなかで、私たちはさらにはっきりと「ジェンダーとは個個人にさらに強い力で強制される政治的な性差だ」と考えるべきだと思うようになった。なぜなら現在、安倍政権でおこなわれている前代未聞の、政治という名に値しない権力の乱用は、私たちの職業選択や人生設計に大きな影響を与える性差に対しても政治的に大きな力が働いているといわざるを得ないからだ。
それは私たちの基本的人権、未来にむけて新しい可能性を一人一人が創造していく自由、そうした人権を保障することこそが国家の役割だと規定する憲法を無視した暴力的な法の制定、多様な国民の意思が反映され、代表による熟議がおこなわれなければならない最高機関であるはずの国会審議の軽視、そして恣意的な法の運用や制度設計を許さないために文書によって過去のプロセスを記録すべき行政における文書主義の破壊、また法や制度が基づくはずのデータの改ざんなどがあげられる。
「男らしさ、女らしさ」など私たちの言葉遣い、身のこなし方まで規定する性差の規範は、国家を根底から支える一つの秩序だ。それは例えば、国の労働力をどう編成するか、また未来の世代や生産年齢をこえた人たちをどのように支えたりするかといった労働、人口、福祉社会政策に密接にかかわっている。安倍政権下では女性活躍といいながら、女性の多くは正規労働から排除され、家事責任の大半を担わされ、男性世帯主がいない女性親一人世帯では、母親はもちろん、多くの子どもたちが貧困にあえいでいる。この仕組みを、いかに政治的な労働政策や社会保障制度のなかで見えなくさせているのかがジェンダー秩序にほかならない。
またそうしたジェンダー秩序は、理想的な国民像、国民としての権利や責任、政治的、市民的な権利の受け止められ方が男女によって異なる原因にもなっている。例えば日本における現在のジェンダー秩序は、「身体を侵害されない」という人権の中心であると同時に、市民的権利の根幹を女性には充分には保障していない。なぜなら、強姦罪が改正され、強制性交等罪となってなお、どれほど抵抗したのかをもってその強制性をはかろうとするため、性暴力を決して許してはいけない人権侵害といまだ日本は認めていないからだ。
さらに労働力としては資本の都合のよい使い捨てできる安価な資材のように女性を利用し、その能力の発展をさまたげるセクシャルハラスメントも容認するようなことを大臣がいっている。また医学部の不正入試にあらわれたように、未来に可能性を広げるはずの教育を受ける権利さえ奪う、そのような歪んだ構造をジェンダー秩序が支えている。
そしてこの秩序が政治的につくられたものだと私が主張する理由は、他ならない現在の政治こそが女性には最低限文化的に一人で生きていける生活費を保障せず、身体の安全を保障しないような社会を許すどころか、欲してもいると考えざるを得ないからだ。
例えば、今年の統一地方選挙ではようやく誕生した政治分野における男女共同参画推進の法律も反映し、全国レベルではようやく女性当選者が10%をこえた。しかし自民党にいたっては女性議員は3・5%に過ぎない。これは政権与党として政治は男が独占してよいのだという政治的な姿勢を発し続けていることにほかならない。こうした態度こそが、今私が話してきたジェンダー秩序をつくりだし、女性を差別する社会構造を温存し続けている。
この歪んだジェンダー秩序は女性だけを苦しめているわけではない。規制緩和という名の下で、労働者に対する権利侵害の横行で過酷な労働を押しつけられて苦しんでいる人、あるいは強い男らしさの規範に批判的な男性たちの生きづらさをつくり出している。もっといえば、多くの男性政治家が体現するような女性蔑視を身につけさせられている、女性を支配するようになる男性もまた個人の価値を尊重できないような人格を帯びてしまうという点では、自由な社会で生きづらくさせられているといえるかもしれない。
安倍政権の立憲主義への敵意は個人の尊厳、自由、なにより人に強制されずに幸福に生きたいと願う権利にも向けられている。ジェンダーの視点から、このような敵意は、可能性に開かれた私たち一人一人の自由な創造力と未来を殺すのだと訴えたい。
◇ 東京大学名誉教授 大沢真理
社会保障の問題は、この学者の会の趣旨からいえば、やや周辺的な趣旨と思っていたが、思いがけず時の話題になっている。6月21日にいわゆる「骨太の方針」の最新版が閣議決定された。私はこれを読んであっけにとられた。「70歳まで働け、病気になるな、要介護になるな、お上に頼るな」ということだけが社会保障の項目に書かれている。
今年の骨太方針は75ページもあり、去年も72ページだった。安倍政権も2013年までは30ページ台だったのだが、長くなればなるほど中身がなくなる。「年金の信頼をとり戻す」などというのは念頭にないことが骨太の方針で明らかになった。「年金が頼りにならない、だから貯金しろ」というのは政府のスタンスとは違うから、報告書は受けとらないし、なかったものにするというのだ。さらに財務省の審議会で「年金の給付水準が下がる」という言葉は書き換えさせられている。しかし年金の給付水準が下がっていくことは、2004年の年金改革のさいにデザインされていたものだ。
年金に限らず日本の社会保障は「機能不全に陥っている。機能強化が必用である」ことを初めに書いたのは、福田康夫内閣の社会保障国民会議の報告だった。自力で何ともできないときに頼るのが社会保障であり、生活を成り立たせ安心感を持たせるのが社会保障政策だ。それ以来、日本の社会保障には機能強化が必要だということは政権交代をこえて共有されてきた認識だ。麻生太郎内閣でも「機能強化が必要だ」との報告書をまとめてきた。
ところが今の安倍政権は日本の社会保障には機能強化が必要だというスタンスに対して完全に背を向けてきた。「安心できない」といっているのを、「安心だ」と強弁している。また安倍政権は姿勢として背を向けてきただけでなく、実際に社会保障給付費総額の対GDP比を低下させている。日本のように高齢化が進む国で、社会保障給付費の規模を低下させるのはすごいことだ。一つには安倍政権下で物価指数は4ポイント上がっている。消費税率をアップし、それから社会保障の当然増、自然増といわれる圧力があるなかでのことだ。もちろん名目額からみた社会保障給付総額は増えているが、その対GDP比が低下してきたというのはいかに強力な適正化、重点化といわれるものが作用してきたかということを如実にあらわしている。実際にこれまでの安倍政権の骨太方針において、社会保障は適正化、重点化という要望の下で、負担は増し給付はカットするという一点張りで終始している。社会保障という言葉が出てくるチャプター(章)は、財政健全化のチャプターのなかの筆頭項目として出てくる。
ところで安倍政権もさすがに評判が悪いと察知したのか、2017年ぐらいから成長政策から分配政策にスタンスを移しているのではないかという好意的な解釈もある。これは言葉に騙されている。2018年の骨太方針から社会保障の「基盤を強化する」という言葉が出てくる。「機能強化」と「基盤強化」は平仮名にすると二文字しか違っていないのだが、聞き流してしまうと大変危険だ。きちんと文書を読めば、世代間の負担と給付のあり方を再検討する、そしてきちんと収入をはかる、支出を減らすという文脈で基盤強化はいわれている。実は基盤強化と機能強化は正反対なのだ。
そしてとうとう「70歳まで働け、病気になるな、要介護状態になるな、自分で何とかしろ」ということだけが社会保障の項目に書かれている事態になっている。あっけにとられているだけではどうしようもないので、こういう政権には鉄槌を下さなければならない。そのチャンスが間もなくやってくる。
◇ 慶応大学学生 谷虹陽
未来のための公共という団体で自分も市民運動にかかわってきた。2017年に発足した市民団体で、特措法に反対する行動、公文書改ざんに対しても抗議の声を上げてきた。
選挙について、立憲野党と安倍政権の対立の枠組み、「左派や右派」「保守か革新」で語られることが多い。だが最近の政治を見ていると一部の支配層対90%以上の市民という構図の方が正しいのではないかと思っている。今一部の富裕層にカネが集中していたり、政権中枢に巨大な権力が集中していたりする。
権利や尊厳を切り崩されている状況で、次の選挙で問われるのは一部の富裕層や政権を握る中枢の政治家による今のむちゃくちゃな政治を許すのか、あるいは一人一人の尊厳が尊重される平和で民主的な社会を実現するために立憲野党を応援するかのどちらかだと思う。
◇ 京都大学教授 高山佳奈子
金融庁報告書問題について、自民党政権、民主党政権、現自民党政権下で地方制度等審議会の委員を務めてきた立場から発言する。本日のアピールのテーマは「一人ひとりの尊厳が尊重される平和で民主的な社会のために」となっている。一人一人の尊厳が尊重されるためには暮らしを守らなければならない。だがそうはなっていない。平和に反する武器、しかも機能に問題があるような武器を爆買いし、福祉予算が足りなくなっている状態だ。
そしてその事実が書かれている報告書を握り潰す時代になっている。これが民主的な社会の妨げになっていることは明らかだ。審議会の委員は政府自身が任命する非常勤の公務員だ。そしてその専門的な知見を披露し審議して報告書を作成し、それを地方政治に役立ててもらうというのが審議会委員の任務だ。血税で雇われている審議会の委員が、知見を結集して専門的な立場から検討をおこない、提出した報告書が反古にされるということは民主主義のために必要な情報の共有ができなくなるということだ。税金の使い方がわからなくなっているということだ。
専門家の立場として今回、このような事態がおこったことに対して強い憤りを覚えている。なぜ事実が握り潰されているのか。それは選挙の前に都合の悪い情報は隠したいからに他ならない。真実は沈まない。今こそ主権者としての行動を訴えたい。
◇ 学者の会のアピール
一人ひとりの尊厳が尊重される平和で民主的な社会のために
今こそ主権者としての行動を
2015年9月19日に安全保障関連法が強行採決された翌日、「安全保障関連法に反対する学者の会」の学者170名が学士会館に集い、大記者会見を開き、抗議声明を発表しました。
学者の会は、この日よりこれまで15回の集会やシンポジウムなどを開催し、のべ1万2000人を超える方々と学び、考え、行動をともにしてきました。そして、学者の会の取り組みは、全国各地の大学有志の会が立ち上がるなかで、いっそう広がり、力強く展開してきました。
平和主義、立憲主義、民主主義という基本的価値を守りはぐくむ志を同じくする私たちは、それぞれ学者としての専門的立場から、そして大学という学問共同体に身を置く大学人として、学生や市民、労働者の皆さんと連帯し、路上や生活の場で声を上げるとともに、学問の軍事利用に反対し、大学や学校、職場や暮らしを壊し、個人の尊厳を奪うような政策の抜本的転換を訴えてきました。
しかし、この間、安倍政権は暴走をつづけ、国家の根本さえ大きく歪めてしまいました。ポスト真実の政治が、日本の将来を蝕んでいます。
この夏の選挙で、日本の「戦後」は、最大の正念場を迎えます。結果次第では、まっとうな議論のないまま、明文改憲への動きがいよいよ加速することになってしまうでしょう。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」という70余年前の焦土の決意と希望は、私たちの代で意味を失ってしまうのでしょうか。
闇の深まる時代に、学問が照らす光は、私たちの歩む道を示すはずです。自らの蒙を啓く研鑽の場としての大学は、未来を切り拓くための「自由の砦」たりうるはずです。
2015年、大学から路上にとびだした若者たちが、政治は、統治者の支配の道具ではなく、私たち主権者一人ひとりが尊厳あるくらしを勝ち取るための日常であることを教えてくれました。
学者の会は、いま再び、市民の皆さんに呼びかけます。
大きな連帯をつくることによって、私たちは政治を変えることができます。
今こそ、主権者としての行動を起こし、私たちの声で議会を動かそうではありませんか。
2019年6月23日
安全保障関連法に反対する学者の会
大学有志の会ブロック連絡会