著者は鯨類研究者で、東京海洋大学名誉教授。調査船に乗り込んでシロナガスクジラ等大型鯨類の資源生態を研究し、IWC(国際捕鯨委員会)の科学委員会委員も長く勤めた。
本書は、ヒゲクジラ類とハクジラ類の違いや、ヒゲクジラ類のシロナガスクジラは体長33㍍、体重200㌧にもなる世界最大の動物であること、クジラの祖先は約5000年前に出現した、立派な後ろ肢(あし)を持った陸上の哺乳類であることなど、生態学的な解説から始まる。それ自体興味深いが、やはり筆者の力が込められているのは、後半の「いったいなぜ日本はIWCからの脱退表明に至ったのか?」の部分ではなかろうか。
IWCはもともと、「鯨類資源を適切に保護・保存しつつ管理し、捕鯨産業の秩序ある健全な発展に寄与する」という目的を明記した国際捕鯨取締条約のもとに組織された。当初の30年間は捕鯨国主導の会議運営が続いたが、1970年代後半になると、欧米諸国が捕鯨から撤退するとともに、反捕鯨国の加盟があいつぎ、とうとう商業捕鯨モラトリアム(一時停止)が1982年、投票国の4分の3の賛成で採択された。それでも、「どれほどクジラが増えようと捕鯨には断固反対」という反捕鯨国の主張こそ、条約の主旨そのものに反すると著者はいう。
著者はIWC科学委員会の論議を振り返ってこうのべている。
かつて20世紀初頭には、シロナガスクジラは南半球に約20万頭もいた。欧米諸国はこぞって南氷洋に馳せ参じ、イギリスなどは1929/30年漁期に3万頭ものシロナガスクジラを捕るなど乱獲が続いた。それによって現在ではわずか約2300頭まで激減した。
一方、同じく南氷洋を回遊し、同じ餌ナンキョクオキアミを食べるミンククジラは、縄張り争いをしていた相手がいなくなったおかげで餌をふんだんに食べられるようになり、年年子どもを早く産むようになって、年に3%増と確実に増えていった。こうして絶滅危惧種シロナガスクジラの回復にはミンククジラを間引くことが必要、との調査結果が出た。
ところが、この結論は反捕鯨国にとって受け入れ難いものだった。それがIWC科学委員会が15年間も揉め続けた最大の理由だったと著者はいう。反捕鯨国が科学的な態度といかに縁遠いかが明らかにされている。
オーストラリアの不可解な提訴
それでも2006年になると、IWCは捕鯨支持国が過半数を占めるようになり、モラトリアムを解除して商業捕鯨再開をめざす宣言が可決採択された(4分の3にはならなかったため法的拘束力はない)。それは2000年代に入り、クジラが魚を食べ過ぎて漁獲量が減少したり、漁網が損傷したりするなどの被害をこうむったカリブ海や西アフリカ、アジア諸国が続続とIWCに加盟してきたからだ。すると今度は2010年、オーストラリアが、日本の南極海鯨類捕獲調査は国際捕鯨取締条約に違反しているとして国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、勝訴した。
だが著者によれば、このオーストラリアの訴訟自体不可解なものだった。オーストラリアの主張は、自身が自国領土と宣言した南極大陸領土の沖の排他的経済水域で調査をしたのがけしからんということだが、この領土宣言は同じく南極に領土を宣言する4カ国しか承認しておらず、世界が認めていないので、そもそも訴訟自体の成立が疑わしいからだ。そして2014年のICJの判決も、「国際捕鯨取締条約の目的の一つは鯨類資源の利用であり、日本の活動は科学的調査といえる」というもので、ほとんど五分五分の結果だった。
ところがそれを、日本のメディアが「完敗」とねじ曲げて報道し、時を置かずに菅官房長官が「判決を粛粛と受け入れる」と談話を発表した。判決内容が不服であるときは「解釈請求」ができる決まりがあるが、日本政府はその手続きもしなかった。そして、これが伏線となって、昨年末の「IWCからの脱退、商業捕鯨再開」という菅官房長官談話になった。それも関係者の了解や国内的論議がないまま宣言したのだから、著者も違和感を禁じ得ないという。
関連して著者は、日本の捕鯨はノルウェーに学ぶところが大きいと主張する。ノルウェーは1982年の商業捕鯨モラトリアムに異議申し立てをおこない、現在でも粛粛と商業捕鯨を続けている。IWCの捕鯨枠を守りながら、先祖から受け継いだ捕鯨を守り抜いている。異議申し立てを合法的にしているから、国際法的に一切問題はないのである。
一方、日本の場合、米国がパックウッド・マグナソン修正法(IWCの決定に抗う行動をした国を制裁する米国内の法律)を使って脅し、「米国200カイリ内のトロール漁業をとるか、それとも捕鯨をとるか」と日本に迫るなか、日本政府はトロール漁業をとって捕鯨を断念した。すると2年後、米国は日本のトロール漁業を米国200カイリから締め出してしまった。
独立国として国民の食を守り、農漁業を振興させるため、いかなる国とも対等の関係を結ぶよう努力するのでなく、相手のいいなりになってそれを放棄するなら、国の将来は悲惨なことになる。本書は、これまでメディアが取り上げてこなかった事実を知らせ、読者に以上のことを考えさせる。
(光文社新書、285ページ、定価840円+税)