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瀬戸際に立たされる水産都市・下関 卸売市場法改定や流通再編の荒波 

基幹産業の活路やいかに

 

 下関市では地場系スーパー・レッドキャベツの閉店とかかわって、地元産の鮮魚を買う場所がいよいよなくなってきた。水産都市として発展し、鮮魚について舌が肥えた市民が、新鮮な魚を食べることができないと悩まなければならない状況になっている。この20年ほどで水産物の流通は大きく変化しており、さらに2020年施行予定の改定卸売市場法は、市場や卸・仲卸業者のあり方に大きな変化をもたらそうとしている。下関の水産界もその波を避けて通ることはできず、これまでにも増して厳しい状況が押し寄せてくることが予測されている。このなかで下関の水産業と流通はどうなっているのか、時代の荒波を乗りこえる道筋はあるのか、水産関係者に取材をすすめてきた記者たちで分析してみた。

 

  レッドキャベツの閉店で、近隣住民が一番困っているのが魚を買う場所だ。生鮮食品については消費者、とくに主婦たちのあいだで「ここが新鮮」「あそこは古い」「ここは安い」などシビアな評価が下されるが、レッドキャベツについてはとくに鮮魚部の評価が高く「新鮮」「旬の魚がある」と評判だった。下関市内3店舗は、地元の鮮魚店がテナントとして入っていて、下関漁港に揚がった魚を下関中央魚市場の仲買から仕入れていたほか、下関の沿岸漁師たちも出荷している小倉の市場から沿岸物などを仕入れていた。上田中店では握りや海鮮がたっぷり入った「海鮮巻き」が人気で、いつも夕方買い物に行くと売り切れていた。スーパーは丸魚で売れ残った分を加工して販売するという話を耳にしたので聞いてみると、「消費者は鋭いから、古いものを使ったらすぐにわかる」ので、その日に仕入れた物を海鮮巻きに回していたそうだ。

 

  常連客の女性は、「魚が少ない時期は店頭の魚も少ないが、その分旬の魚が置いてあるからいつも買っていた」と話していた。養殖やハウス栽培など技術が進歩して、定番食材は1年中店頭に並んでいるのが当たり前のような感覚になってしまうが、いつが旬なのか知っている人はそうやって買う店も選んでいたのだなと感じた。魚が好きな人ほど買う店がなくなったと感じている。

 

  レッドキャベツは4年前にイオンの傘下に入ったが、その後も鮮魚や精肉部門には下関や九州など近隣の肉屋や魚屋が入っていた。野菜も地元の仲買が卸していた。仲買などに聞くと、「地元企業だから下関で揚がったものを優先して仕入れていた」という。だが、九州側ではイオンへの転換が進み、下関の魚を仕入れなくなってきて、下関の仲買にも影響が出ていたそうだ。スーパー業界全体の流れとして、テナント形式をやめて生鮮部門も直営化し、流通を効率化する方向が強まっているという。バックヤードで魚を処理するのは技術もコストもかかるのでアウトソーシングして、処理が済んだ物を仕入れる形だ。魚を扱える人は必要なくなり、棚出し要員だけを雇えばいい。先日スーパーで刺身を買ったが、確かに広島でパック詰め加工までしたものだった。山口県内のレッドキャベツ閉店もその流れのなかにあると指摘する人もいる。

 

  閉店は、売場を失うテナント業者はもちろんのことだが、そこに納品していた仲買や仲卸にも影響が及ぶ。関連して動いていたさまざまな業界に波及する。今まで知らなかったが、レッドキャベツで出る魚のアラは市内にある専門業者がひきとって魚粉にし、養殖のエサになっていたという。魚は捨てるところがなく、身は人間が食べて残滓は魚のエサになって循環しているそうだ。大手は魚のアラも一括して回収する場合が多く、イオンの店舗は呉市の処理施設まで運ばれている。下関で出た残滓がはるばる呉まで行くというのだから、「効率化」といいながらかなり非効率だ。

 

  90年代の大店法撤廃で、全国に大型量販店やスーパーが進出して商店街はシャッター街になり、飲食店も全国チェーンが席巻するなど、流通は大きく変化してきた。下関も例外ではなく、中国地方を基盤にするイズミをはじめ、スーパー業界最大手のイオン、トライアルやダイレックス、ドラッグストアにコンビニと、「もういらないだろう」と思うほど各地域に出店してきた。人口減少も進むなかで次第に大手同士の競争が激しくなっていて、全国大手の傘下に組み込まれる場合も多い。マルショクや丸喜、ハローデイなど地方系のスーパーは「次はうちではないか」と戦戦恐恐としている。

 

  流通が大型化すればするほど地場流通の領域は狭まっていく。チェーンのスーパーは生鮮食品もそれぞれ取引先を持ち、「効率的に」一括購入し、中国ブロック配送センターみたいなところから各店舗に配送している。イオンやイズミもそうして配送されてきた物が大半で、不足した物を下関漁港の仲買などから仕入れる程度だという。産地開発の担当者を置いたりして地元産を店頭に並べる動きもあるが、イメージ戦略というか広告のようなもので全体の3割ほど。7割が一括購入との話だった。

 

  仲買が話していたが、「スーパーの店頭に並んでいるのは値段の決まった冷凍物が主体で、生魚が少ない。真空パックとか工場でつくったような商品になっている」という。下関は地元で魚が揚がっているのに、市民は鮮度のいい魚を食べることができない。一方で、アジやシラスなどが大量にとれても加工業者が減って売り先がなくなっているため、海に廃棄しているという。「効率化」というのは売り手側の効率化であって、消費者や生産者にとっては決して効率化ではない。流通が大規模化し、市場が寡占化して地方の仲買や仲卸は取引の枠外に押し出されていき、地域同士の連関も断たれていく。

 

卸売市場法改定の影響

 

下関漁港市場での競り

  中央魚市場や唐戸魚市場といった「卸」が鮮魚を生産者から仕入れて少しでも高く売り、仲買や仲卸ができるだけ安く買いつけて小売店に売る--というのが市場の機能だ。戦後の食料難の時期に、産地を育成して食料の安定供給・安定価格を保障するために、行政が管理して中央卸売市場・地方卸売市場をつくった経緯がある。しかし流通再編で売場が支配されるなかで、相対取引や市場外流通が増え、市場の経由率は下がり続けている。西日本では福岡に荷が集中している印象があったが、「じつはガタガタで、取扱量は激減している」という話だ。スーパーの動きとからんで、大手仲卸が長崎や松浦などの産地から直接仕入れるようになったことが背景にあるという。

 

  この動きが、卸売市場法の改定でますます主流になっていく。2020年夏に施行予定の改定法は、都道府県と人口20万人以上の地方自治体に限られていた中央卸売市場の開設を、民間企業でもできるように緩和したほか、卸・仲卸業者の参入規制も緩和した。変化が大きいといわれているのが卸・仲卸の垣根をとり払う点で、卸が直接スーパーなどに販売できるようになったり、仲卸がどこから仕入れてもよくなる。福岡の仲卸の動きはそうした今のトレンドの動きのようだ。今後は「見かけ上は福岡の市場を通して」ということをせず、堂堂と産地から直接仕入れることができるようになる。

 

  国は可能な限りビジネスに口出しせず、卸売市場への税金投入も徐徐に減らして、生鮮食料品流通もこれまでの規制と保護から、弱肉強食のビジネスに移行させる方向だという。とくに2025年の見直しで、民営化路線が明確にうち出される可能性が高いと研究者は指摘していた。

 

 C 江戸時代の問屋制に戻る感じだ。今は卸(生産者側)と仲卸(消費者側)で役割を分けているが、今後は仕入れも販売も問屋が一手にやるようになっていく。消費者ニーズに合いやすく必然の流れという意見もあるが、これが業界の組織再編になるのは必至だ。

 

  とはいっても、生産者が獲ってきた鮮魚を仕分け・選別する機能は消費市場だけではできない。産地市場としての機能は今まで通り必要で、流通の拠点としての役割は残っていくだろうといわれている。とくに天然物は市場ごとに特色があるため、それほど競争にはなっていないそうだ。

 

 現場サイドから見ても、下関の場合、漁港に揚がった魚は一箱残らず売り切っているが、それは仲卸や仲買の協力あってのことだという。東京や大阪など大きな市場は相対取引のような形で必要な量しか買わず、廃棄する場合もあるが、下関では市場の信頼のために互いに競いつつも協力しあって成り立っている。生産者が魚を獲ってきて初めて商売が成り立つからだ。卸が仲卸の領域に乗り込んで直接販売などを始めると、全体の関係性が壊れてしまう。法律が変わったからといって簡単に「自由化」されるものでもない。

 

  しかし、養殖の方は競争が熾烈で、リスク承知で生け簀ごと買いとるとか、エサや種苗の手配までするなど、資金力があって付加サービスができる業者がより荷を得ることができるようになり、勝ち残っていくといわれている。フグで知られる唐戸魚市場は、以前は皮鋤きや身欠きの技術で集荷していたが、だんだん荷が集められなくなっていて、2年前には品切れを出して注文に応えられないことがあったという。市場としてはあり得ないことだが、すでに養殖のひきあいで負けている状況がある。自由化してさらに競争が激しくなると、厳しいのではないかと見る意見もある。養殖フグで見ると、大阪に勢いのある問屋があり、南風泊もそうした問屋とつながって生き残る仲卸と、淘汰される仲卸にわかれると警鐘を鳴らす関係者もいる。この変化をとらえなければ、成り行きまかせでは本当に下関の水産業がつぶれかねないと危機感がある。

 

主力の沖合底引の現状

 

沖合底引き船の網上げ

  下関の水産関係者のなかでは、それ以前に生産者の減少や人手不足で、水産業界が相当に厳しい状況にあることが語られている。下関の水産業を支えてきた主力は水揚げ量からしても沖合底引き船団の7組で、減ってきたとはいえ、今も西日本最大の勢力だ。だが、この5月で1組がやめる。もう1組もどうなるか…と危ぶむ声すらある。沖合底引き船団の水揚げの7分の1がなくなるというのは、広大で多様な裾野を持つ下関の水産業界全体にとって大きな打撃になる。

 

下関で水揚げされるのどぐろ(アカムツ)

 沖底でとれる魚のうち加工向きのノドグロやカレイなどは安定した値がつくし、漁場での同業者同士の競争率も高い訳ではないため、1年間普通に漁をすれば採算はとれる。漁労長の腕前によってはさらに上乗せが可能になる。だが、どうしてもぶつかるのが船員確保の問題だ。漁業は免許を持っていれば魚がとれるという職種ではない。今乗り組んでいる漁労長たちも、「18歳から船に乗って50、60歳で一人前」といわれている。以前は長崎の以西底引き船団にも船員がたくさんいたし、巻き網船団などもあったので、船員同士で人材の引っ張りあいをしたりして、沖底にも経験を持った船員が移ってきていたが、以西底引きも4組になっていて、確かな技術と経験を持っている人材が絶対的に不足している。

 

  沖底は狭い船上で揚がった魚を箱に並べる(立てる)が、鮮度を保つためにスピードが第一だ。そのなかでベテランは素早く、見栄えよくサイズを揃え、1匹ずつ交互に並べて立てていく。これも技術だ。今、若手乗組員はインドネシアの実習生に頼るところが大きい。若い人材は必要なので否定はできないが、実習生は3年で帰り、また新しい人が入ってくる。そのあいだに経験者は高齢化していくので、技術継承という面から見ると限界がある。経験者がいなくなれば、いくら実習生が入っても漁に出ることができなくなる。

 

底引き船でおこなわれる選別作業

 また、漁船そのものも老朽化している問題がある。下関漁港を拠点にしている沖合底引き船団は、リシップ(漁船大規模改修工事)事業によって船内の装備などを修理・更新してきた。市と県が5000万円ずつ補助し、それ以外は会社が負担するのだが、いざ修理を始めると、船齢30年をこえるような漁船ではあちこち悪いところが見つかり、当初予算をオーバーすることも少なくないのだという。

 

 市場法の改定や、大手スーパーの影響力が強まることによる流通の変化など、今後下関の水産業界に大きな変化の波が押し寄せてくることが予測されるが、そのなかでも「まず第一に“人材”“漁船”“魚”これがなければ市場は始まらない。話はそれから」と、ある市場関係者は語っていた。瀬戸際まで来ている気がする。

 

  生産者がいなくなれば、三方を海に囲まれていながら、市民は本当に養殖物や輸入物、遠方で揚がった魚しか食べることができなくなる。下関の水産業はどこに可能性を見出したらいいのか、というのが課題だ。

 

  下関市には「食の認定ブランド品」が70品目もあるという。一口にブランドといっても、目を引くネーミングや「ご当地」色を出したからといって売れる物ではない。その商品の何が魅力なのか、食べた人に伝わってまた買いたい、食べたい、食べさせたいと思わせてからがスタートで、消費者のこだわりや評価が価格としてあらわれて初めて「ブランド」となる。そういう意味では下関でも「角島のサワラ」や「肥塚のタイ」など、知る人ぞ知るブランドがある。徹底した鮮度・品質管理が評価され、市場の競りでも「この魚でないとだめだ」という仲買人の評価が次第にブランドを生み出した。

 

  全国を調査で歩いて来た水産大学の教授が、「下関から萩にかけての北浦沿岸の青魚は脂の乗り具合が他県のそれと比較にならないほど良好だ。これを捨てなければならないのはもったいない」と話していた。身近にあるものほど、灯台もと暗しであたりまえと思ってしまうことも多いが、その価値に今一度目を向け、自分たち自身が知ることがまずは大事だ。

 

鰆を釣り上げる角島の漁師(下関)

 北茨城で毎年ある「全国あんこうサミット」でも、下関のアンコウ鍋に行列ができるようになったという。中央魚市場の自慢の鍋で、ハクサイやネギ、エノキなどたっぷりの野菜に、アンコウを肝や皮まで余すことなく使い、「彦島みそ」で仕上げた鍋だ。関東人に馴染みのない甘みのある麦味噌が人気を呼ぶ一つの要因といわれていた。

 

 また、茨城で水揚げされるのは1㍍をこえる大ぶりなものが多く、肝も特大なのに対して、下関の沖合底引きが対馬沖から見島沖の海域でとってくるアンコウは、小ぶりだが身質が引き締まり、きめ細かい歯触りであったり、他の海でとれるものとは異なった味わいがあるのも特徴だ。そういう違いが現地で評価されて口コミで広がっているという。

 

  「魚離れ」といわれるが、スーパーの躍進で、規格外品が排除されて、多種多様な魚が食されなくなっている面や、鮮魚店が減って魚の食べ方を知る機会が減っていることも大きな要因だ。水産大学の先生がいっていた。「魚離れは“魚場慣れ”がなくなっているからだ」と。

 

 縄文時代から日本人はさまざまな魚介類を工夫して調理し、摂取する、一番おいしい形で食べ尽くすために魚食に関する知恵を蓄積してきた。大学の先生が講演で話していたが、日本人の季節感も魚食を通じて醸成された部分が大きいという。農産物は収穫時期が秋のものが圧倒的に多いのに対して、水産物はカツオ、サンマ、サケなど、季節ごとに地域の魚が揚がるからだ。そうした蓄積してきた知恵を失いつつあり、豊富な食材が身近にあるのに、販売される魚種も限られてきたし、刺身など単純化した食に偏っている。食の豊かさは広がったのか狭まったのか考えものだ。

 

  魚が嫌いなのかというと、そうではない。「さかな祭」には、新鮮な魚を求めてたくさんの人が列をなす。子どもたちでも正直なもので、美味しい魚には目がない。日頃から食べ付けているか否かもあるが、「嫌い」というわけでもない。肉に押しのけられているという側面の方が大きい。最近サバ缶がブームになっているが、テレビなどでとりあげられ、栄養価の高さや美容効果について認知度が広まって売上が急増している。サバにはEPAやDHAが豊富に含まれている。缶詰という手軽さに加えて、健康に対する効果が注目されたことがブームに火をつけたが、それはサバに限らずアジやイワシといった青魚に共通したものだ。

 

  缶詰で食べるよりは断然鮮魚の方が美味いが、地元の人が食べて美味しいと感じて、よその人に「これ食べてみて」と自信を持って勧めることが産地としては一番のPRになると思う。水産大学の先生は「給食にとり入れることができないだろうか」と提案していた。せっかく健康にいい青魚が地元でとれるのだから、味覚が形成される子どもの時期に、その味を知ることは大切だし、何より魚を知らなければ食べようとはならない。

 

  フグもノドグロもアンコウも日本一の水揚げだが、東京などの大消費地に高値で引っ張られて、地元ではあまり食べる機会がない。逆に島根県浜田など、加工に強いところは下関産でも「浜田のノドグロ」として売られていくし、アンコウ産地の茨城は、たくさんアンコウ鍋を食べさせる店があって手軽に食べられるという。下関でアンコウ料理といえば、すっかり高嶺の花になってしまった。上送りが生業になっているからという理由もあるが、一般市民の食卓とも縁遠い。

 

  前半に論議したように流通再編の影響もあって、水産業が市民生活と切り離れたものになりつつある。それで、産地市場でありながら地元産の美味しい鮮魚が手に入らず、遠く遠方に離れた消費市場を満たすだけの存在になってしまったのでは、消費者としても困る。そして、水産業全体を見ても、それだけでは立ちゆかない環境が見え始めている。街の魚屋が次次に廃業していき、売り場を支配され、その販売力が価格をも支配し、水産市場や生産者は弱肉強食の厳しい競争にさらされている。これは沿岸地域がどこも直面している課題で、普遍的なものだ。抗いがたい変化をともなっており、この荒波をどう乗りこえていくか直面している課題は大きい。簡単に答えが出てくるような代物ではないことはわかりきっている。しかし、どう変化していくのか、周囲はどう変化しているのかを捉えていなければやられてしまう。水産関係者たちに話を聞いてみると、緊張感をともなっている。

 

  黙ってこれまで通りにしていたら壊滅してしまうような変化だが、みなの知恵を出し合って、下関の強みを見出していく以外にはない。そうはいっても水産都市なわけで、基幹産業が衰退していくことは市民生活全般にとっても影響が大きい。関連産業も多いのだ。

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