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びっくり仰天する学長選挙の顛末 下関市立大学 10対40(意向投票)で敗北した現職が続投

 新年度も迫った3月5日にようやく下関市立大学の学長選考会議の結果が公表され、川波洋一現学長の続投が決まった。本来なら昨年12月末までに結論を出さなければならなかったが、11月に実施された学内の意向投票で現職が大惨敗した後、選考会議(6人)に結論が委ねられ、教員代表(3人)の選考委員と経営側選考委員(大学事務局長及び地元銀行関係者ら3人)の間で綱引きが続いていた。閉ざされた密室空間で何が起こっていたのか、学内で統率力を失っている者がどのようにして新学長になれたのか、取材にあたった記者たちで分析してみた。

 

  学長選考を巡っては、全国の大学で学内の意向投票を覆していく風潮が強まっている。下関市立大学については以前から常習的にくり返しているので、「またか!」という思いしかない。川波氏は前回選挙でも意向投票では負けていたが、その後の選考会議で議長(市大事務局長で市役所退職者)が2票を投じる荒技をくり出して学長に就任した経緯がある。

 

 世間からすると学長選挙はその大学に勤務する教授たちの投票によって決まると思っている人も少なくない。しかし、それはあくまで「意向投票」にすぎない。そこからさらに意向投票の結果を参考にして「選考会議」が決定する仕組みになっている。大差で敗れようが決定権は選考会議が握っているわけで、選考委員の頭数によって勝敗が決まる。

 

 今回の下関市立大学の学長選考を巡っては、長らく選考会議は3対3のまま結論を先延ばししていたが、最終的に2月26日の会議において、教員側の選考委員つまり教授の1人が多数決の際に退席して3対2になったことで「決定」となったようだ。極めて後味の悪い結末だが、4対2ではなく、まさかのまさか、3を2にすることによって決着をみた。前回のように議長が1人で2票を行使して無理矢理4にする足し算ではなく、今度は引き算をしたのだ。

 

 兎にも角にも、教員側の選考委員が1人崩れたことによって川波体制の続行が決定付けられたのだ。いかなる理由があれ、この退席行為が最終局面では重要な鍵になったといえる。役所執行部及び事務局や川波氏本人からすると、今後は足を向けて寝ることなどできない関係だろう。同時に、ともに対抗してきた教員の仲間たちからすると、人間不信になりそうなくらいひどい裏切り行為に見える。何が起こったのだろうかと驚くのは当然だ。

 

  まず経緯について見てみると、11月22日に意向投票が実施された。学長選に立候補したのは現学長の川波洋一氏と、九州大学の元副学長だった野田進氏の2人だった。有権者は下関市立大学の専任教員53人、幹部事務職員14人の計67人。投票結果は、川波氏24票、野田氏40票、白票3票だった。川波氏の得票から幹部職員たちの組織票を除くと10票、つまり10対40という4倍もの差がつき、教員たちの判断としては「次期学長は野田氏がふさわしい」と見なした。逆にいうと一期を経て、7割以上の教員が「川波氏はふさわしくない」という判断を下した。

 

 ところが、「意向投票を参考にする」といって開催されている学長選考会議はなかなか結論を出さず、しかも密室で6人が何を議論しているのかまったくわからない状態が続いていた。12月中に発表するのが規定だが、規定変更までして先延ばしにしていた。選考委員は教授たちのなかから3人が加わっていた他に、議長は市立大学事務局長の砂原雅夫氏(市役所OB)がつとめ、その他に経営側の選考委員として西京銀行出身者と西中国信用金庫出身者の2人が加わっていた。

 

  規定からして年内には発表されるだろうと誰もが思っていたのに、年の瀬が来てもなかなか発表されない。役所や議会でも一部がざわついていた。「何が起きているんですか?」と大学関係者に尋ねてみると、みなが「分からない」「選考会議のメンバー以外には知らされないんだ…」と困惑している。そうこうしていると、年が明けた1月はじめに「野田氏が辞退した」という情報が舞い込んできて、同時に教員のなかで学長の解任審査請求書を提出するために署名捺印を求めていることが伝わってきた。なにかしら暗闘をくり広げている様子だけは伝わってきたが、しかし事情がさっぱりだ。どうして圧勝したはずの野田氏がみずから辞退したのか?という素朴な疑問がずっとあった。

 

  学内の暗闘など興味も関心もない。勝手にやってくれと思う。学長が誰になろうが、それで市立大学が発展するのなら誰でもよいというのが市民感情だろう。ただ、下関市立大学は曲がりなりにも下関市から毎年何億円と運営交付金を注がれている公立大学だ。その郷土が誇る大学を牽引すべき学長の選考については公明正大でなければならないし、何をまた密室でゴソゴソしておるのかという思いで取材を強めてみた。寝技で事が決まろうとしているならなおさらだ。

 

 わかったことは、12月末に野田氏が辞退届を提出していたことだった。しかも、事務局に極度の不信を抱き、激怒していることが主な辞退理由ではないか。関係者に聞くと、12月21日付で辞退届けが出ていたのだという。意向投票で圧勝したのに、なぜ野田氏は学長選考から下りたのか? ここがまず第一の疑問だ。余程の理由がなければ理解し難いからだ。要因としては健康上の理由もあるようだが、先ほどのべたように事務局に対して「極度の不信」を抱いたことがあるという。では、事務局はどのようにして極度の不信を抱かせたのか?が解明されないといけない。

 

 なぜ? なぜ? と疑問を追うなかでわかったことは、10月に立候補の書類を提出したにもかかわらず、野田氏に対して大学事務局からはそれについての受領確認、意向投票の実施通知および結果、その後の手続きの流れを含む、一切の連絡・応答が12月に至るまでなかったという。つまり放置されていたようなのだ。通常であれば次期学長になる可能性もある人として、せめて「立候補の書類を受領しました」「今後このような日程で学長選考になります」くらいは何らかの連絡応答があってしかるべきだと思うが、まったく何もないというのは異様だ。

 

 それで12月6日に初めて野田氏に電子メールで連絡が入り、その際に突如として11日付の面接実施の出頭を命じる連絡を受けたのだという。野田氏としては体調のこともあって年内面接はムリであることをメールや電話で何度も伝えたのに、重ねて、執拗に12月中の日程調整を求められて、最終的には「このような事務局の冷淡で強圧的な対応に排除の姿勢を感じ取らざるを得ず」、「将来的に学長として事務局と協力しながら下関市立大学の発展に尽くす展望を失った」のだという。「事務局に極度の不信を抱く」というのは余程のことだ。

 

  そうなると学長選考には意向投票で教員の支持が10票だった川波氏1人が残された。対抗馬が辞退し、いないのだからどうしようもない。すると教員が2月4日付で学長解任審査請求書を38人の署名捺印を添えて提出する動きを見せた。7割以上の専任教員が、意向投票に続いて「学長としてふさわしくない」と否定し、学長の解任を求めたわけだ。この学長解任を決定するのも学長選考会議であり、任期内(3月までが対象)の解任の是非と同時に、3月以後の来期もふさわしいか否かを決めなければならない。結論として前述したように、選考委員の3対2の多数決によって、川波氏が市立大学の次期学長に決まった。解任請求を退けることと、川波氏の続投を同時に決定したのが2月26日の採決だった。

 

  過程でのやりとりはさまざまあろうが、要するに意向投票の結果は台無しとなり、参考にもしようがないものになった。圧勝したにもかかわらず、一方が「事務局への極度の不信」を抱いて辞退となり、一人勝ちの構図になったからだ。選択肢が潰えた。そのうえで、川波氏を続投させるには選考会議の頭数をどっちが獲るかが最大の勝負所になった。そして、教員の側から採決を退席し、相手を利する者があらわれて均衡が崩れた。このような経過をたどっている。幕切れは意外とあっけなかった。

 

  選考結果を伝える文章には教員側の選考委員三人もしっかりと自分の名前を明記して判を押しているのだという(前回は署名捺印を拒否した)。双方が納得して結果を受け入れるという意味合いなのだろう。それなりの取引もあったのかも知れない。ただ、周囲から見ていると「結局、彼らも何をしたかったのか?」という思いがある。よほどの理由があって結果を受け入れたのか、はたまたゴネ得を期待していたのだろうか?と疑う。筋が通っていないからだ。密室でゴソゴソと寝技をかけあうようなことではなく、もっと公明正大に下関市立大学の今後を巡って議論を交わすべきではないか。

 

 A 教授のなかでも一部の者については、最後に腰砕けで逃げていくくらいなら、3カ月ももませるな! という指摘がある。それを役所側の人間がいうなと思うが、見方によっては旗を振って煽っておきながら、最後に仲間を後ろから撃つみたいな光景に見えて仕方がない。解任審査請求書に実名をさらしてまで行動した仲間に対して、納得のいく説明をしているのだろうか。事情がどうだったのか詳しいことは知らないが、仮に三八人の了解を得たうえでの落としどころであり、みんなが納得する結果だったというのであれば、「川波体制で今後ともしっかり下関市立大学を発展させて下さい」というしかない。外部の人間がとやかくいうものでもないからだ。何がしたかったのか意味不明ではあるが、最後は次期学長として承認し、加担して受け入れる選択をしたのだ。しかし、みんながビックリ仰天の一本釣り、裏切り行為というなら、ちょっと鳥肌ものだろう。こうなると口先でいかなる正論をのべようと、失った信頼をとり戻すのは難儀な話になる。一言でいうと、「付き合いきれない」となる。教員の結束が分解し、疑心暗鬼にもなりかねない。必ず副作用がともなう。

 

歴史的に私物化が横行 霞む民主主義的運営

 

 B 一連の経過を見ていると、はじめから川波現学長の続投が決まっていたのではないか? と思えて仕方がない。議会で総務部長は「そんなことはない」と否定していたが、どう学長としてふさわしいのか、大学のなかからもまるで伝わってこないから不思議だ。学内で教員からの支持率が3割未満の10票というのは、これまでの意向投票と比較しても異様なる結果だ。しかも、この春に退官する教員の票を除くと5票以下になるという。それで「立候補者が1人のみになったのだから仕方がないではないか」というのは、下関市立大学の冒涜も甚だしい。川波氏に対しても失礼というべきだ。しかし、全体の流れをみるとそうなっている。なぜ川波氏でなければならないのか、もっと積極的な意義を知りたいのだ。

 

 A 新年度までに学長選考は間に合った。しかし、大学としては学術面において全学を牽引していくべきトップが、一期を経て7割の専任教員から否定されている状態だ。解任審査請求まで出るのは前代未聞だ。先ほど論議したように折り合って円満にまとまったなら別だが、そうでなければ極めて不安定な状態といえる。これで果たしてリーダーシップを発揮できるのだろうか? 市立大学の発展のためにプラスになるのだろうか? という疑問がある。何度もいうが、学長に誰がなろうが世間一般としては知ったことではない。下関市立大学がこの街の大切な大学だからこそ、その成り行きを心配しているのだ。大学運営には民主主義が貫かれ、教育研究を担う教員の意欲性が発揮できる体制にするべきだし、大学の主人公である学生たちが創造的かつ自由に学べる大学であってほしい。だから、その阻害要因については問題を指摘し、大学として発展してくれというのが基本的な立場だ。

 

  選考過程では「事務局に極度の不信」を抱いたことが影響して候補が辞退し、意向投票の結果が台無しになり、他に誰もいないから残りの1人で、という運びになっている。やはり事務局の責任は重大ではないか。学長選考の結果を左右する最大の鍵になったのが、何を置いても「極度の不信」を抱かせた事務局の対応にあるからだ。この手法を全国の他の大学事務局なりが意図して真似し始めると大変だ。意向投票をいくらやっても候補者を立腹させるようななにがしかをして、本人が辞退してしまえば“敵なし”で意中の人物を新学長として選考することに道が開ける。このような超ウルトラE難度の新技が普及するなら害悪だ。受けとり方は人それぞれだが、下関市立大学の顛末を知って、「なるほど」と思う大学関係者が出てこないとも限らない。仮に自分が大学事務局の同じ立場なら、捻ったりよじったりしながらポーカーフェイスで模倣すると思う。「えっ、辞退されるんですか?」と驚いたような顔をして。結果を裏返して考えるとそうなる。

 

 A いずれにしても、学長という大学を代表する人物の選考を巡って、みなの総意に反して選考会議の6人が決める、いわんや3人で決めることができるというのなら、それは民主主義的な意志決定の方法などこの大学は知らないことをあらわしている。「意向投票を参考にして」という規定も飾り物になる。心配されるのは、教員たちの意欲性が削がれた場合、大学としては後退してしまうことだ。下関市立大学の場合、よそと比較しても少ない教員数で、その奮闘によって教育も研究も成り立ってきた。この力を思う存分発揮できるような体制を作らなければ、大学間競争も激しいなかで魅力は薄れてしまう。

 

  昨年から 「下関市立大学トイレ改修工事損害賠償請求事件」 を調査チームが調べ、紙面上も展開したが、大学を役所側が私物化するというか、政治の側が支配的な振る舞いをして、その度に教員と矛盾になってきた。基本矛盾はそこにある。教員も昔からいいたいことはズバズバいっていく気質があって、負けていないのが下関市立大学だった。

 

  役所側の私物化でいえば、市長が役員を務める不動産会社のアパート物件を市立大学が学生寮として借り上げるとか、それこそ市長を熱心に応援していた企業経営者が大学評価委員になってトイレ改修工事を官製談合で受注し、挙げ句に焦げ付かせるとか、歴史的に利権の道具くらいに見なしている節がある。

 

 大学事務局長は1200万円の報酬が約束されるポストで、理事長になれば1400万円。市役所を定年退職した幹部職員が天下るポストになり、理事長・事務局長ともに市役所OBが就いていた時期もあった。彼らは役所の退職金ももらえるが、理事長・事務局長としても退職金が支給される。市長が一期4年で3000万円の退職金をもらえるのと似た構造だ。勤めれば勤めるほど退職金がおかわりできる。だから、市長選挙にもなれば次期理事長ポストを巡る話が飛び交うなど、政争の道具になる。事務局長ポストも幹部職員としては副市長や水道局長と並んで 「上がり」 のポストと見なされている。

 

 A 3月以後の理事長ポストがどうなるのかも注目されている。亀田理事長説は消えたが、では誰がなるのかまだ発表されていない。任命権者は市長だ。理事長と学長を兼務にすれば年間1400万円が浮いて、その分大学運営に資金を向けられるのに、そうはせずにポストを温めている。前前回の学長選挙では当時の荻野学長が敗れたが、中尾友昭の修士論文を担当していた関係からか、学長選に敗北した後に理事長に出世するという仰天劇がやられた。毎回そういうことをくり返している。その荻野理事長が引っ張ってきたとされるのが川波現学長だった。そして、意向投票に敗北して選考会議で勝つ--を二度やった。

 

  選考結果やその過程については疑問だらけだが、とにかく大学として後退させてはならないという一点に尽きるのではないか。内部だけでゴチャゴチャと切った張ったをしているのではなく、広く学生や市民に説明がつくように公明正大にやるべきだ。市民に開かれた大学として、それこそオープン・キャンパスして大切に思われる存在でなければ話にならない。下関市にとっての財産なわけで、誰の私物でもないのだ。

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