5年間をふり返る 子や孫のため建てさせぬ
A 2013年4月に前田建設が安岡公民館で初めて住民説明会を開き、その年の10月に安岡沖洋上風力発電建設に反対する会ができた。会の立ち上げのころだったと思うが、初代会長が私を呼び止めて「安岡の沖に風力発電ができるのを知っているか」といい、私が抱いていた犬を見て「巨大な風車ができれば、低周波に敏感な犬や猫は人間の何倍も苦しむ」といったので、それは大変だと思い反対署名を始めた。初めは「2000人集めたらストップできる」と話し合っていた。でも、それがなかなか集まらず苦労した。十分に説明できず、反論されたりして、なかなか書いてもらえなかった。
B 初めは風力も低周波も知らなかった。
C 「原子力と違って、海の風の力で電気を起こす。こんな健康にいいことはない」と思っていた。
D 初代会長は仕事で風力発電をつくったり、低周波音被害の防止装置を考案していたそうだ。低周波を浴びたとき、心臓が止まりそうになったといっていた。自分で身をもって体験しているから、話に説得力があった。でも会を立ち上げても、浸透するまでがなかなかだった。
C 初めのころの初代会長の情熱というか、訴えが必死だった。それでみんながハッと気づかされ、立ち上がっていったと思う。
A 署名は漁師町から始め、Bさんと2人で3時間回って50~60人がやっとだった。一軒一軒呼びかけていった。
B 署名をしてくれた人でも、後になって名前を消してくれという人もいた。そのころは漁師も反対ではなかった。
A 学校の校門の前でBさんと2人で生徒に署名を訴えたこともあった。「風力のこと、お父さんやお母さんに聞いたことがある?」といって。
B 学校で問題になったこともあったけど、小さい子どもも一生懸命書いてくれた。ある日、たまたま私一人で署名に行くと、ある子どもが「おばちゃん、今日は一人?頑張ってね」と手を振ってくれた。あれはすごく感動した。下関工業高校の生徒も「おばちゃん、もう署名したよ」「頑張ってね」と声をかけてくれた。案外、男の子の方が心配してくれた。
A 市長に風力反対の請願書を持って行ったのが2014年の2月。4月には安岡新町自治会として前田建設に調査拒否の申し入れに行った。風車を建てるためには春夏秋冬に環境調査をしないといけない。前田建設は冬の調査はもう終えていた。私たちは春の調査から反対を始め、春、夏、秋と止めた。
B 私が波止場で犬の散歩をしていたら、軽トラックが止まり調査の機械を降ろした。それも動作が速い。私もピンときて「何をするか、そこで! やめろ!」と叫んだ。
D 私たちは見張っていたのだが、ちょっと目を離した隙に置いていく。住民がいないときを狙ってやるというのがどうかと思う。夏の調査では夜中の2時ぐらいまで、機械が置いてある吉見から垢田までの10カ所で、何十人もが一緒になって抗議した。
A 前田建設の社員を呼んで説得し、機械を持って帰ってもらった。すると次の9月の調査では、機械をガードマンが囲んでいた。これが今、前田建設が「住民が機械を壊した」といって裁判を起こしたものだが、機械を壊した者などいない。
D 機械をみんなでトラックに乗せて運ぶときも、初代会長が「壊れないように丁寧に運べ」といっていた。
E 前田建設は初めから裁判に持ち込もうという思惑があったのだと思う。9月のときは機械をスチールの箱に入れて、その中に録音機を仕かけていたし、コンクリートブロックを入れて横にすれば壊れるようにしていた。これで訴えれば勝てると…。
司会 山口地裁下関支部は去年、住民に損害賠償500万円を払えという判決を出したし、刑事裁判でも3人の住民に懲役1年・執行猶予2年などをいい渡した。
F 裁判長はいったいどっちの味方をしているのか。工事差し止めの裁判でも、漁師さんが切切と訴えたのに、「海には支障はない」といった。現場に行って見たのかといいたい。出世のために国を忖度したのだろう。
B 総理大臣からして「自分のため」だ。
D 世の中は平等じゃないと思う。真面目な人が勝つとは限らない。いや、負ける方が多い。
C こういうことを体験するとわかってくる。
諦めずさらに大きな運動に
E しかし、前田建設にしたら、本当なら風車が建っているはずなのに思ったより遅れているから、焦りがあるのではないか。
C 反対運動がここまで盛り上がるとは思わなかったと思う。そこが第一の誤算じゃないか。
司会 風力発電は経済産業省がバックの国策だ。だから住民を脅せば簡単にできると考えていたのではないか。
A でも住民は引かなかった。それも初代会長や医者の先生たちが風力発電がいかに悪いかの知識を教えてくれたからできた。
D それとみんなで署名を集めたのが大きかった。あきらめなかった。
C 病院の医師や職員の人たちが参加してきた。2014年9月に横野の会ができたのも大きかった。横野町は街頭活動を呼びかけてずっと続けている。パワーと組織力がある。
A 豊北町の道の駅にも署名活動に行ったね。
B 安岡の漁師が反対に立ち上がってくれたことがうれしい。
F 毎日毎日一生懸命やってきて、気がついたら5年経っていた。
A 初めは街頭に立つのに恥ずかしい気持ちがあったけど、今では全然そんなものはない。
F 市長選で割れたこともあったけど、やっぱり住民が一つにならないといけない。割れたら向こうの思うつぼだ。それと12月の市議会である議員が「安岡は振り上げた拳が下ろせなくなったのだろう」といったが、すごく腹が立った。
D 安岡のことがわかっていない。自分は先は短いけど、子や孫のために風力を建てさせないと志を立ててやってきた。
E 裁判では住民側の意見が通らなかったけど、年末の800人のデモで住民は納得していない、あきらめていないということを示せた。
D 「居眠り晋ちゃん」(前田晋太郎市長)が「風力を進めることはできない」といったのも、その世論が怖いのだろう。
C とにかく住民のこの力を落としたらいけないということだ。年末のデモ行進の前に、安岡地区の国道沿いをAさんと2人で歩いて、一軒一軒お店の戸をたたき、自治連合会の風力反対のポスターやデモ行進のポスターを貼ってもらった。関心のない人は一人もいなかった。みんな気持ちよく貼ってくれ、裁判がどうなったか心配してくれていた。一軒一軒声をかけて、話して、了解を得ていくのが大事ということがよくわかった。だから気持ちのある人がもう一人に呼びかけて、街頭活動やデモに出る人を増やしてもっともっと大きな運動にしていく。100人が声をかけたら200人になる。そういうのが大きな力になる。
D 偉い人に頼ってもダメ。偉い人は我が身かわいさが強い。
A 回ってみると、断るところがなかったね。
F 女性は行動的。男性と女性と、それぞれ得意な分野がある。男性は格好をつけるが、女性はずうずうしいというか。それと風力発電の低周波が頭痛や不眠、耳鳴りなどの健康被害を引き起こすというので、年寄りの病気と思いがちだ。しかしある学者がいっていたが、低周波は生理不順とか妊婦の出産にも影響が出るそうだ。若い人の感覚に響くようにそういうことも知らせたらと思う。うちには若い娘がいるが、それを知ったら、なんでお父さんが一生懸命デモ行進のときの幟をつくっているのかわかってくれるかも。
C 毎月第1土曜日に街頭活動をやっているが、安岡地区の南の入り口の梶栗町から北の端の福江に至るまで、途切れることなくずーっと立っているなということになれば、アピールになると思う。安岡地区に入ったら反対の幟やポスター一色だというように。それには自治連合会の力を借りることも必要だ。
F 去年、安岡マルシェがすごく盛大だった。そこに参加している若い人や学生さんたちが風力の運動にも参加してほしい。風力ができたら町おこしもないのだから。
C 安岡だけでなく、彦島や唐戸の人たちにも署名をしてもらった。今度デモ行進をするなら唐戸がいいのではないか。唐戸商店街から市庁舎の周りを1000人がとり囲むというのも意味があると思う。要するに下関市全体にどう関心を持ってもらうか。全体にどう広げるかだ。
司会 毎月の街頭活動も、豊北町や豊浦町、萩、長門の人が見て「頭が下がる」「自分たちは建てさせてしまったけど、そうならないよう頑張ってくれ」と注目している。萩市のイージス・アショアに反対している人たちも、安岡と反対署名を協力しあって、同じ思いで頑張っている。
D ハートはみんな同じだ。
C そうして積もり積もったら大きな力になると思う。署名を広げる、街頭に立つ、デモに参加する 私たちにできることはそれしかない。演説ができるわけでもない。でもそうやって一人一人訴えていけば、塵も積もれば岩をも動かすんじゃないかなと思う。
F こんな普通の市民が政治を動かしたら、これほどうれしいことはないよね。
C 何がなんでも風力発電を阻止しないといけない。今年はこれまで以上に頑張りたい。
司会 きょうはこの辺で。