いけうち・さとる 名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。宇宙物理学者。1972年京都大学大学院博士課程修了。専門は宇宙論・銀河物理学、科学・技術・社会論。軍学共同連絡会共同代表。世界平和アピール七人委員会委員。著書に『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)、『親子で読もう宇宙の歴史』(岩波書店)、『科学者と軍事研究』『科学者と戦争』(岩波新書)など多数。
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2015年度に開始された防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度(以下、推進制度)」は、研究者を軍事研究に誘い込むための委託研究制度で、昨年(2018年度)で4年目になる。この間、防衛装備庁は研究者が応募しやすいよう公募要領に数多くの変更を加え、あたかも文部科学省が行っている基礎的な民生研究の募集であるかのような装いをしている。
たとえば、公募要領の最初の「制度の趣旨」の中ほどには、「防衛装備庁が自ら行う防衛装備品そのものの研究開発ではなく、先進的な民生技術についての基礎研究を対象としている」と書かれており、応募し採択された岡山大学や東京農工大と交渉すると、この文言を理由にして応募したと答えている。
しかし、この公募要領の冒頭部分には、「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な民生技術についての基礎研究を公募・委託するものです」と書かれていることを見逃してはならない。将来に防衛装備品(武器または武器に関わる周辺技術を意味する)の開発につなげることを目的とすると明記しているのだ。それは当然のことで、そもそも防衛装備庁が純粋の民生研究に資金を提供することはない。各省庁の予算は、その省庁の設置目的に合っていることが法律で定められているためで、防衛装備品に活かすことを省くわけにはいかないのである。
そう受け取るのが当然であるのに、右の大学ではあっけらかんとして、防衛装備庁が純粋な民生技術に資金提供をすると考えており、公募要領の都合のよい部分にしか目が行かないのである。というより、そう思い込むことで自らに言い訳をしているのではないだろうか。おそらく研究者のほとんどは、文科省からの資金で純粋な基礎研究を続けたいと願っている。ところが、そのための予算は減少一方であり、文科省の競争的資金も五倍を超える競争率で首尾よく獲得できる確率は極めて小さい。そのような環境下で研究を続けるには、たとえ防衛省からの軍事研究がらみの資金であっても手を出してしまう、ということなのだろう。
私は、このような状況を「研究者版経済的徴兵制」と呼んでいるが、アメリカでは貧しいがために軍隊に行かざるを得ない子どもたちが多くいるが、それと似て研究者が研究費がないために軍事研究に手を出そうという事態に追い込まれているのである。その意味では、大学における基礎的な研究予算を削っている財務省や文科省が、研究者を軍事研究へと追い込んでいるとも言える。日本という国が軍国主義化している一つの兆候と言えるのではないだろうか。
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この推進制度で募集されている研究種目は、(A)1年で3900万円が上限、3年間継続可能、(S)5年間で総額20億円の大規模研究、(C)1年で1300万円が上限、3年間継続可能で研究実績を問わない、という三種類に整理される。最初はシニアの研究者を対象とした(A)だけで出発し、2017年度から実力者の取り込みを図って大規模研究の(S)が登場し、2018年度から若手研究者の応募を見込んで(C)が創設されたのである。予算は15年度3億円、16年度6億円、17年度110億円、18年度101億円で、大型の(S)の登場で100億円程度を常時支給する状況に固まりつつあると思われる。
というのは、防衛装備庁として大学の研究者を取り込むことを狙っていたのだが、大学からの応募数は15年から18年までで、58件、23件、22件、12件と年々減少しており、いわば当てが外れた状況にある。日本学術会議が2017年3月に発出した「軍事的安全保障研究に関する声明」において、この推進制度を容認すると国家からの研究活動への介入が強まり、学問の自由が脅かされるとして、慎重であるべきと述べたことで大学からの応募が慎重になっているためと思われる。
といっても、大学からの応募が減少していることに安心してはならない。まだ態度を明らかにしていない大学も多く、軍事研究に明確に反対しているわけではなく、様子見をしている可能性が高いからだ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と他大学の動向を見ていたり、受験生が減るのを警戒して今は目立たないようにしていよう、というような大学も多くある。先に述べた「研究者版経済的徴兵制」に同調してしまう側面が否定できないからだ。これには、大学の教育・研究費をもっと潤沢に配分せよとの運動を引き続き行っていく以外にはない。
むしろ怖いのは、研究者の意識として、科学・技術が発達しさえすればいいので、そのためには軍からの資金を得ることもやぶさかではないという考えが根強くあることだ。科学・技術至上主義であり、現在のように研究者間の競争が熾烈になると、そのように考える研究者も増えてくる。このような科学者を増やさないためには、何のための科学か、誰のための科学か、という科学の原点を考える倫理教育が必要である。今や、科学・技術は資本主義のポチになって、金のある方に惹かれていく傾向が強くなっているが、そのような気風を改めない限り、軍事研究に邁進する研究者の出現を止められないだろう。
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他方、企業等からの応募はこの4年間で、29件、10件、55件、49件とほぼ定常状態になっている。企業ではまだ海の物とも山の物ともつかない新製品の開発に初期投資を必要とするが、それを防衛省が肩代わりしてくれるとして企業は歓迎して応募しているのである。そこで防衛省としては、軍と産の結合を強めて軍産複合体を形成し、さらに産が学との連携(つまり産学共同)を強め、結果的に軍産学複合体の形成を促すという作戦に変えたのではないかと考えている。2014年4月に武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に変えられ、企業が武器の製造・輸出に活動の軸足を移すようになったことが、産を仲立ちとして軍産学複合体制を強めることにしたのだろう。
その具体的な表れは、ベンチャー企業からの採択が17年度には2件、18年度には5件あることである。ベンチャー企業は立ち上がって間もない期間は大企業や大学との共同研究を続けているところが多く、そこへの防衛省からの資金の流入は自然に軍と産と学の結びつきを強めていくことになるからだ。大企業は大っぴらに軍事研究を行うことを避けており(軍需企業だと評判になると民生事業に悪影響を及ぼすためである)、表面に立たない形で軍事生産に参画していこうとしているのだろう。
その意味では、まだ日本の多くの企業は根っこまで軍国主義に染まっているわけではなく、市民の顔色を見ながら軍事化を進めて行っている段階と言える。そのような民事と軍事の二股かけた企業の姿勢を市民がきちんと批判すれば(さらにその企業の製品のボイコット運動まで発展すれば)、このような軍事化の動きは止められるのではないかと思っている。
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科学者の軍事研究の問題は極めて社会的かつ現代的な重大問題であり、科学が軍事化していくのを阻止するのには市民の監視が何より大事であることを強く訴えたい。