著者は鹿児島大学水産学部教授で、政府・規制改革推進会議が進めている漁業権の民間開放に異議を唱えてきた一人である。漁業権の民間開放の狙いの一つが、民間企業の養殖への新規参入にあるとして、日本の養殖の現状を踏まえて民間企業参入の問題点を本書で明らかにしている。
著者は、養殖業が今後の水産業の大きな柱であること自体は否定しない。世界の漁業生産は1990年代から頭打ちだが、養殖生産は現在も右肩上がりだ。しかし「養殖はすぐにも漁業を追いこして水産物供給の大黒柱になる」という見方にも与していない。
というのも、世界の養殖生産のうち6割強が中国一国によるもので、その大部分をコイなどの淡水魚とコンブなどの藻類、カキなどの二枚貝が占めている。このうち藻類の大部分は食品添加物などの原料として利用され、二枚貝や淡水魚の多くは中国国内で消費されている。中国を除けば、養殖生産は世界の漁業生産の3分の1にとどまっている。
また、一般的な魚類養殖のコストは、餌(漁獲した天然魚)料が六割以上を占め、収益性は餌の価格に大きく左右される。1㌔太らせるのに必要な餌の量は、ブリ類では7㌔、クロマグロでは11㌔と、かなり効率が悪い。そして養殖が増えると、餌となる魚が不足し、価格も上がる。結局、養殖は餌となる魚の資源問題や生産の限界、その価格上昇から逃れられず、養殖だけが発展することはありえない。
日本の養殖業はこれまで、ブリ、カンパチ、マダイ、ヒラメ、ウナギ、クロマグロと、高級魚の生産を志向して発展してきた。しかし個人経営体(親兄弟など一つの家族が中心となり4~5人で営まれている)の平均的経営状況を見ると、ブリ類では2003~2012年の10年間のうち赤字の年が5回、とくに2008年は1000万円の赤字。マダイでも同じく赤字の年が5回。安定的に利益を生み出せる産業ではなく、廃業も多い。それは、利益の大きい養殖には新規参入者が増えて生産が拡大する一方、販売する国内市場は限られているので、供給が需要を上回ると値崩れを起こし、経営を直撃するからだ。他方、養殖魚の大手ユーザーであるスーパーや回転寿司は、仕入れ価格が下がるともうけが増える。
儲からず突如撤退したM社
では、ここに大企業が資本力を生かして参入するとどうなるか。著者は外資系企業として初めて日本の養殖業に参入したM社の例を挙げている。M社は海外に本社を置く世界最大のサーモン養殖企業の日本法人で、2003年、大分県と高知県でハマチ養殖に参入した。地元漁協は、地元養殖業者との競合や市場の混乱を避けるために生産物はすべて輸出すること、地元に輸出用の養殖魚加工工場を建設し雇用を増やすこと、を条件に参入を認めた。
ところが同社は参入から5年間、一度も黒字を計上できず、海外の株主が騒ぎ出し、2008年に突如撤退した。またこの5年間、一度も海外に輸出せず、すべて国内市場で販売して相場を下落させたので、近隣の養殖業者から不評を買った。加工工場も建設せず、約束は何も守らなかったのに、誰も責任をとらなかった。また、海上の餌やり作業では、ハマチ養殖の経験のない外国人が現場を仕切り、サーモン養殖の技術をそのまま持ち込んでいたが、ハマチにはあわず、サイズのばらつきが大きくなったうえ輸出市場で求められる大型の魚は育成できなかったという。
改革論者はノルウェーのサーモン養殖が理想だという。だが、大手養殖企業10社が全生産量の7割を独占し、コストを引き下げるために現場の従業員数を減らし、給餌も自動化してコンピューター制御の無人工場と化したグローバルビジネスを、歴史も背景も全く異なる日本に持ち込めばどうなるかを考えざるをえない。
そこから著者は、日本の沿岸漁業の将来を考えた場合、効率的に見えるけれども株主利益によって参入と脱退をドライに決定する企業でなく、生産性は低くても粘り強く漁業にとりくむ地元に根付いた漁業者こそが担い手にふさわしいとのべている。とくに養殖業には長い経験にもとづく技能や正しい判断力、周辺業者や地元住民との協力関係が不可欠だ。これまでも日本水産やマルハニチロが養殖業に参入した例はあるが、それは地元漁協の一組合員になり、零細な漁民と対等の立場で、同じルールの規制を受けることで成り立ってきた。海を知悉する漁業者がみずからを漁協に組織し、多種多様な漁業の利害を調整しながら、全体として経営を維持し、同時に資源保護と漁業の持続性を保障するというのが浜の論理であり、それと企業のもうけの論理はあいいれない、というのが著者の立場である。
そのほか本書では、瀬戸内海では春にサワラが産卵のために回遊してくるが、それを寿司にして食べるのが岡山あたりの春の風物詩であるように、変化にとむ季節や風土にあわせて“旬”を楽しむ日本の食文化の価値を再確認している。そして、アジやサバをはじめ日本の沿岸にいる多様な水産物をわれわれに届けてくれる漁業者が減り、流通の仕組みが壊されようとしていることこそ食文化の危機であり、メディアがマグロやウナギばかり騒ぐのは問題の本質から目をそらそうとしているのだ、という指摘もうなずける。
(新潮新書、191ページ、定価700円+税)